第2話

 まず最初に、広大な青空が映った。


 何の変哲もない、清々しいまでに青一色の空は目にするだけで心穏やかになる。


 続けて、優しい微風が頬をそっと撫でた。心地良さの中にほんのりと乗った草や土の香りは、都会暮らしにすっかり馴染んでしまっただけあって故郷への記憶を呼び覚ます。


 懐古の情に浸りそうになった、というのもほんの束の間のこと。



「……ここ、どこだ!?」



 とてつもなく恐ろしい事実の前に、幸之助は激しく驚愕した。


 まったく身に憶えのない光景が視界いっぱいに広がっている――それ以前の話で、仮眠していた自室でないだけでも、十分驚愕に値する。


 当然ながら夢遊病を患った経歴はないし、第三者の仕業という可能性もありえない。少なくとも幸之助には、そうと断言できるだけの確固たる自信があった。


 それはさておき。



「と、とにかくここがどこか調べないと……!」



 今が異常事態であるのはもはや確認するまでもない。


 ならばすべきことは知れている。まずはなんといっても情報だ。情報があるとないとではまるで違う。


 いついかなる状況であっても常に冷静であれ――自らにそう言い聞かせて、さらさらと流れるせせらぎの音色にふと釣られて小川を見やった幸之助は「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁあああああ!!??」と、ひどく冷静さを欠いた。


 一瞬、顔に見知らぬ美少女・・・が映っていた――そう思ったが現実は大きく異なる。



「こここ、これが俺なのか!? えっ? 俺、女の子になってるのか!?」



 幸之助はひどく取り乱しながらはたと己を見やった。


 藍色の瞳と栗毛なのは元からだが、顔立ちが目に見えてわかるぐらいかわいさを帯びている。


 肌の質感も指で触れれば、男の時にはなかったすべすべでもちもちとした柔らかさが指先に返ってくる。


 そして何よりも、最大の変化は主に肉体部分に二つ。


 あるはずのモノがなく、なかったモノが何の因果かある――そっと触れれば、そこそこあるのが妙に腹正しくて謎の背徳感が胸中に渦巻く。



「な、なんでこんなことに……こ、これって夢とかじゃないよな?」



 幸之助は、古典的な方法なのは否めないが文句を言っている場合じゃない。自らの頬をぎゅうっと強く抓った。


 痛い。抓った頬にじんわりと熱と鈍痛が帯びる。


 すなわち現実であり、意志とは関係なく性転換した事実を受け入れざるをえない。



「本当に何がどうなってるんだよ……。なんで女なんだよ。服装も、よく見たらそれっぽくデザイン変更されているし」



 ラフな私服から、これもまたいったいいつの間に仕事着に着替えたのやら。幸之助はひどく頭を悩ませた。


 女性という理由からだろう、男性用のデザインだったはずなのに今やスカートのような袴を着用している――加えるなら、裾が少し短い。


 この分動きやすくはあるが、気恥ずかしさがどうしても拭えない。


 すぅすぅする……スカートというのはこんな気分になるのか。幸之助は頬をほんのりと赤らめた。



「――、どっちにしたってこんな恥ずかしい格好……絶対職場の人間には見せられないなぁ……」



 幸之助は深い溜息を吐いた。


 それと同時、近くの茂みが不意にざわついた。


 何かが、いる。幸之助は素早く身構える。



「――、あれぇ。おっかしいなぁ、さっきこっちに獲物が逃げたような気がしたんだけど」


「……へ?」



 茂みの奥より姿を現したその少女に対し、幸之助は素っ頓狂な声をもらしてしまった。



 大型の狙撃銃スナイパーライフル……黒鉄くろがねの輝きがなんとも禍々しく美しい。


 金色に燃える体毛を生やした狼耳と尻尾を生やして明らかに人間ではない。少女のあどけなさが残る端正な顔立ちだが、真紅のレザーコートを風に遊ばせる姿は大人びた印象を与える。


 人外という存在が、幸之助に驚愕の感情いろを与えたのではない。


 むしろそれだけの要因ならばさして驚くこともなかった。


 何故驚いたか――理由は至極単純なもの。



「……“真白みこと”?」


「ん? あれぇ、君見かけない娘だね。新しくここにやってきた人?」


「え? いや、えぇ!?」



 幸之助は驚愕に目をこれでもかと、カッと見開いた。


 ここが現実のものであるのはさっき試したばかりである。


 だから今目の前にある事象も例外にもれることなく現実だ。


 現実だが、仮想Vtuberである住人がいるのはいくらなんでも非現実的すぎる。


 これは、ありえないことなのだ。



「ねぇねぇ、さっきこの辺りにグレートボア見かけなかった? 素材を集めてるんだけど、後一歩ってところで逃しちゃってさぁ」


「あ、あの……あなたは“真白みこと”さん、ですよね?」


「え? かなでのこと知ってるの?」



 この、自らを“真白みこと”と名乗る少女はきょとんとした顔で返答した。


 知っているも何も、Vtuberに関心があるものなら誰だって知っているぐらい超有名だ。


 今でこそ大手事務所である【ドリームライブプロダクション】は、彼女をはじめとする第一期生あってこそ。



「し、知ってるも何も超有名じゃないですか! え? いったいここで何をやって……いや、そもそもここはどこなんですか!?」


「え? みことってばそんなに有名人になってんの!?」


「えぇ……」



 なんだかうまく話がかみ合わない。


 謙遜というわけでないのは、彼女の挙措を見やるにどうやら本当に自覚がないらしい。


 何かがおかしい。幸之助は沈思した。


 すでに現状が異変だらけなのは言うまでもないが、根本的な部分で何か違う。


 ひとまず情報収集をするのが先決だろう。幸い話がわかる相手がすぐ目の前にいるし、なんと言っても最推しのVtuberだ。


 誰にも邪魔されることなく、二人っきりと言うシチュエーションは一生費やしても実現しないだろう権利チケット現在いま、自分は手にしている。


 他リスナーを差し置いている、この事実が幸之助に優越感を与えた。



「え、えっと……みことさん。実はお話を伺いたいことが――」


「あ、みことのことはみことでいいよ。なんならみこっちゃんとかでも全然オッケー」


「え? い、いやしかしさすがにそれは……」


「それと、敬語とかも使わなくていいよ。なんていうか、うん。堅苦しいってみこと苦手なんだよねぇ」


「う、う~ん……」



 初対面と言うのは少々異なる気がしないでもないが、なんの接点もないのにいきなり呼び捨てや、ニックネームで呼称するのはいかがなものか。幸之助は大いに悩んだ。


 せっかく本人から許可が降りているのだから、無碍にするのも無粋というものか……。幸之助は大きな咳払いを一つして――



「じゃ、じゃあその……みこと、で」



 と、か細い声で言った。



「オッケー! やっぱ堅苦しいのってどうも苦手でさぁ」


「は、はぁ……そ、そうなんですね――あ、いや。そうなのか」


「ところで、君は名前なんていうの?」


「俺ですか? 俺は――秋月幸之助あきつきこうのすけって言うんだ」



 一瞬だけ、幸之助は自分の名前を言い淀んだ。


 確かめるまでもなく“真白みこと”は、あくまでもVtuberとしての名前であって本名ではない。


 対して幸之助は、Vtuberではない。姿格好こそ本来とは違うが本質までは何一つ変わらない。


 隠すことなく己の本名を堂々と名乗ればいい――が、ここで一つだけ幸之助の胸中に迷いが生じた。


 相手がVtuberであるのなら、それっぽい名前を名乗った方がいいのだろうか? 質問の価値としては路傍の石に等しい。


 議論するほど内容が濃いわけでもなし、咄嗟に出た偽名ほどカッコ悪いものはない。



「ふ~ん、なんだか変わった名前なんだね。じゃあコウちゃんって呼んでもいい?」


「コ、コウちゃん? ま、まぁ別に俺はそれでも構わないけど……はじめてだな、その呼び方されたの」


「じゃあ改めてコウちゃん、よろしく」


「あ、こ、こっちこそ……!」



 “真白みこと”の手は、優しい温もりを宿している。


 最推しとの握手とだけあって頬がどうやっても緩んでしまう。


 情けない姿だけは是が非でも見せてなるものか……! 幸之助は冷静さを必死に装った。



「と、ところで聞きたいことがあるんだけど……ここって、どこなんだ?」


「ここ? コウちゃんってもしかして他所から来た感じ?」


「他所っていうか……まぁ、そうなる……のかなぁ?」


「ここは【ドリラブタウン】から南にある城郭都市オルトリンデ近郊の森だよ。みことはこう見えてもハンターだからさ、たまにこうやって素材とかモンスターを討伐してお金を稼いでるの」


「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ! え? 【ドリラブタウン】? オルトリンデ?」


「そうだよ? どうかしたの?」


「え……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」



 幸之助は驚愕の叫び声をあげた。


 いささか大袈裟すぎやしないか、と事情を把握していない者ならばこう思う者も恐らくいるだろう。


 たかだが場所を聞いただけでいったい何に驚愕するのか――これに驚愕しないことこそ、幸之助にしてみれば異常者と疑うべき事案である。


 来訪は今回が初となるが、知識だけならばすでに持ち合わせている。



「ここって……もしかして、【ドリームライブファンタジア】の世界なのか!?」


「ドリーム……ライブファンタジア? 何それ」



 事情を把握していない“真白みこと”だけは、不可思議そうな顔で小首をはて、とひねった。

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バーチャル万屋コウちゃんにきいてみて!~Vtuberが住む世界でなんでも屋することになったら、推しがリアル凸してきました!~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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