ある日目覚めた時の話
目が覚めた。
部屋は薄暗いので周りは良く見えないが、自分が眠っていたベッドの他に机や椅子が置かれていて例えるなら保健室のような空間だった。
隣の部屋の光がこちらに入ってくる。他の窓にはあの空間を分断したり、光を避けたりするあの布……なんだっけ、そうだカーテン。隣の部屋とを隔てる窓以外の全ての窓にはカーテンが掛けられており、外の様子はよく分からない。でも、部屋の暗さをみると夜だろう。
ここはどこだろう。頭がぼーっとする。なんだか長い時間ここにいた気もするし、ここにきたばかりのような気もする。
体をゆっくりを起こしてみた。長い間横になっていたのか全身がギシギシと軋むような感覚に襲われて顔を歪める。
「あっ、目が覚めちゃったかな」
と隣の部屋から背が高くてガリガリの例えるならまさにもやしのような男性がひょっこり顔をだし、僕に話しかけ、不意のことに体がビクッと強張った。
するとその僕が驚いた姿を見て、その人も驚いたようでその男性もビクッとしたのちに一回隣の部屋に姿を消し今度は恐る恐るこちらの部屋を覗き込むように目から上だけを覗かせる。
「あっ、怪しいものじゃないです!大丈夫です。ひ弱で力もないのであなたを取って食おうとかそういう力もありません。ご安心を……」
と早口で言いまた部屋に引っ込み、再びこちらを覗き込む。
何も答えずにいると、男性はうーんうーんと何か悩んでいる様子を数分続けて、大きく深呼吸して丸い椅子を持ってこちらの部屋に入ってきた。
「隣座っていい?」
さっきのビクビクしている姿とは打って変わって穏やかな言い方だった。
「隣座っていい……?」
言われた言葉を繰り返してみる。椅子、人、座る……。頭がよく働かない。意味がすぐに理解できなかったので復唱をしたのだけれど、それを男性は許可と判断をしたらしく、僕の寝ていたベッドの横に丸椅子を置いてゆっくりを腰掛けた。座ってみるととても猫背で改めてひ弱に見えた。
「一回殴られたことがあってね……それからちょっと怖くて……えへへ」
と微笑み掛けた。
「全然殴ってくれてもいいんだけどね、なんか色々報告しないといけないのが面倒で」
とぶつぶつと自分の隣で話かけてくれたが、頭が働かないので、聞き流した。
「寝られない時の薬もあるんだけど、まだ21時だから早いかな。なかなか眠れなかったら持ってくるよ」
その後は長い沈黙が続いて、その男性とどこか遠く、もしかしたら宇宙かもしれない薄暗い空間を見続けた。この感覚……。
「前もこんなことがあった……?」
男性は少し驚いたような表情をみせた。
「覚えてるかな?昨日もこうして2人で虚空を眺めていたよ。一昨日は僕が担当じゃなかったから分からないけど」
そして僕に聞く。
「何かを考えているの?」
話をしようとすると、言葉にする前に脳内から消えてしまう。うまく言葉が出てこない。
「何も、でも」
「でも?」
「怖い、かも」
「そっか怖いか」
「不安、かも」
「……不安か」
沈黙が流れる。
「話してくれてありがとう。もう少しここにいてもいいかな。こう見えて暇なんだよ」
男性は僕に微笑みかけてくれた。心からではなく作られた微笑み。
「今日のお昼のこと覚えてる?背が高くて白い服を着たセンター分けのおじさん」
僕は首を横に振る。何も思い出せない。何も分からない。ただ怖くて不安で、何が起こっているのか分からない。頭を抱える。分からない分からないああああああああ。
「大丈夫、大丈夫だから、そろそろいい時間だしお薬入れてもいいかも、持ってくるね。きっとよく眠れるよ」
男性は僕の背中をさすった。そして男性が立ちあがろうとした時に僕はその腕を掴んだ。そして続ける。
「本当に大丈夫なの」
男性は微笑んだ。心からではなく作られた微笑み。そして隣の部屋に行き、しばらく経ったのちに戻ってきた。
「ちょっとチクっとするよ」
手慣れた様子で僕の二の腕にアルコールを塗り注射が刺された。
「君が寝るまではここにいるよ。君が寝ても隣の部屋にいるよ。何かあったら声をかけて」
僕は彼に伝えて、彼を横になるように促し、布団をかけてあげる。そして隣に腰掛ける。
彼が寝付くまでに時間は掛からなかった。寝息を立てたくらいで隣の部屋に戻った。
そこには白衣をきた長身の男性が部屋に入ってくる。この施設に勤務している川元という医師だ。
「センター分けのおじさん、じゃなくてイケメンなお兄さんって言って欲しいんだけどまだ僕30代……というかかけるさんと僕2歳しか変わらないし」
「あの歳の子から見たら僕らなんてもうゴリゴリのおじさんですよ」
「あの子今日で処置から4日だよね」
そうです。と答えながら、彼の方を見る。
「というか川元先生こんな時間にここにいるなんて寝てます?昨日も遅くまでいたし……」
「まあ、この子が心配ってことよ。都合のいいところだけ記憶が消えるなんて容易じゃないよな。やっておきながらアレだけど」
と言いながら大きなあくびをした。そして続ける。
「この処置の繰り返しは本当に心臓に悪いよ。子供たちのトラウマとなったであろう記憶を消して、社会に戻すなんて正気じゃない。医者がもう1人いるうちにやめておくんだった。」
「彼、怖いって、不安だって言ってました」
「上の奴らは記憶がなくなれば、親から虐待をされ続けてきたりしたことやら都合の悪い諸々をすっかり忘れて幸せに生きていけると思ってるんだろうけど、記憶は消えても感情は残る。そもそもうまく都合よく記憶なんて消えない」
川元はポケットからタバコを取り出して咥える。
「あ、ここ禁煙」とタバコを取り上げる。2人でしばらく睨みあう。
「彼らは幸せになれるんでしょうか」と尋ねてみた。
川元は何も答えなかった。
「彼、先生とのお昼のやりとり覚えていないようでした。でも昨日の夜の記憶はうっすら」
「4日も経ってその様子じゃ予後が悪いね。また失敗か……」
「記憶や思考の障害が残り続ける……んでしょうか」
「うん、きっとそうだね」
「これはいつまで続くのでしょうか」
「どうだろうね」と言いながら川元先生は部屋から出ていった。
窓越しに少年の様子をみると穏やかな表情で眠りについており、今だけでも平和に過ごせていて欲しいと僕は願った。
短編保管庫 大原理玖 @Ohara_riku
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