エピローグ


 白と薄桃色の絨毯を踏みしめ、地下の下駄箱へ行く。花びらがもうほとんど散ってしまっているこの頃、私は二年生に進級した。

 前年度、激動の一年次を経験したのは校内で私だけではないだろうか。…いや、そうやって思い上がって勝手にマウントを取るのはやめておこう。これから私は「共犯者」として、誰にもバレるわけにはいかないのだ。これまで通り、模範的な生徒像で平穏を目指す。

 上履きに履き替え、一階への階段を上る。今まではここA棟からC棟まで行かなければならなかったのだが、今年度からはひとつ隣のB棟まででよくなった。これにより三分ほどの短縮となったため、これから家を出る時間がもっとギリギリになってしまうことだろう。

 B棟の階段を上り三階へ。文理選択で文系コースを選んだ場合、数字が前半のクラスに割り振られる。私もそのひとりだ。

 一組の扉は既に開け放たれており、数人の笑い声が聞こえる。友達…かぁ、と心の中で呟きながら、私は廊下と教室との境界線を跨いで中に入っていった。

 名簿順により、私の席は窓際の前から三つ目、まぁつまり真ん中にある。席に向かう途中で二人組の女子と挨拶したもののその後の会話はなく、出欠確認や連絡のあるSHRショートホームルームまで、何かを考えていそうでその実何も考えていない頬杖をついたポーズで過ごした。

 SHRで担任からプリントを配布される。『進路希望調査書』と書かれたそのプリントには、希望進路や志望校、志望職種などを書き込む欄があった。

「来週の金曜六限に回収するからそれまでに書いておいてねー。

 特に決まってないって人は取り敢えず頭に浮かんだ大学とか職業書いといてー。後で直せるから、取り敢えず皆提出してねー」

 希望進路か…。

 私はそのプリントをすぐにクリアファイルにしまった。


 一限目は現国で退屈だった。しかも初回授業ということで今年度の授業の流れ、授業計画などを長々と説明された。ちなみに現国の教師もものすごく退屈そうにしていた。

 始業式が昨日に終わり、今日明日は授業説明の日となる。これが六限まで…と考えると、思わず溜息をついてしまいそうになる。なんとか堪えたが。

 そんなこんなで三限まで終わり、至福のお昼の前にある四限に臨む。四限目の科目は英語表現だった。まさかな…という予感は見事に的中。担当教師は、中井陸だった。

 持ち前のフレンドリーな性格と茶目っ気で、クラスの退屈ムードを吹き飛ばしていく。本当に凄い先生だとは思うが、私は気まずさから目を合わせることができなかった。寧ろどうやって普通に接しろと言うんだ。


 昼休み、去年と同じくコンビニで買った菓子パンを食べる。このメロン味のクーヘン、カロリー高すぎだろ…おいしいから別に気にしないんだけどね。

 こうやってお昼を食べるのも去年と同じくひとりで、だと思っていたのだが、今年はなぜかもうひとりいる。去年美術室で話した、あの女の子だ。偶然なのか名簿順で私の隣になった。新学年が始まったばかりだからまずは知っている人と一緒になりたいのだろう。私達は短い会話を繰り返しながら共にお昼を食べる。

 一年次の思い出話や友達の話をし、それが終わると今日の退屈な授業の話になった。

「今日の授業さぁ、マジで暇じゃなかった?」

「いや、ホントそれ。めっちゃ眠かった」

「ねー。あ、でもさぁ、さっきの英表は大丈夫じゃなかった?」

「…うん、めっちゃ目ぇ覚めた。凄い先生だったね。明るい人って感じ」

「そうそう、やっぱ明るいとこっちまで楽しくなってくるんだよねー。しかも結構イケメン。男子も惚れてる人いたりしてー」

「ふふ…確かにいそう…」

 うぅ、難しい。あの人に対してどのくらいの距離感を保てばいいんだ…。それなりに知ってしまっている以上、本人が居ない所での彼の話題にはどういう気持ちで、どのくらいの知識量で臨めば怪しまれないのだ…。

 その後は話題が変わり、午後からや明日からの生活について話し始めたためなんとか助かった。

 ひと通り話し終えると、学校の話題がなくなったのか急にあることを尋ねてきた。

「そういえばさぁ、奈菜ちゃん髪切ったよね?バッサリと。去年はロングだった気がするんだけど…なんでか聞いてもいい?」

 よく覚えてるな、そんなこと。

「……いや、うん…が、キリ良く終わったから、かな。それでスッキリしたから、髪も切っちゃえーって」

「え…もしかして失恋…じゃないよね?」

「違う違う。そんなんじゃないよ。そもそも誰とも付き合ってすらいないし」

「あぁー良かったぁ!もしそうならあんま聞いちゃいけなかったなって焦ったぁ」

 ん。女子が髪をバッサリ切るとそう受け取られるのか。やらかした…。

「あ、でもね、それ知らない人は失恋かもって思うから気を付けた方がいいよ。

 奈菜ちゃんクールビューティーって感じで裏で人気高いから、男子どもが寄ってたかって話しかけてくるかも」

「え、そうなの?そんなことないと思うけど…もしあったら、うわ、面倒だな」

「でしょでしょ?でも大丈夫。私が守る!」

「?えぇ、なんで?」

 わけがわからない。何を言っているんだこの子は。そう思っていると、彼女は神妙な面持ちでこう言った。

「それはね……奈菜ちゃんがだから。

 実はね、私、去年のあの日から奈菜ちゃんのこと気になっちゃって…」

 なんだこの子…。もしかしてヤバい?

 返答に困った私は、

「そ、そう。ありがとう…?」

としか言えなかった。

 去年も随分と忙しかったというのに、何かまた新しいことが始まろうとしている気がする……。果たして私は平穏で居られるのだろうか…?

 こうして二年次の高校生活はスタートした。



 金曜日、六限のLHRロングホームルームで進路希望調査書を提出する。

「ねぇねぇ、奈菜ちゃんは何て書いたの」

「んー?まぁ適当かな。そのうちちゃんと決まるでしょ」

 嘘だ。実のところ希望進路は決まっているし、そう書いた。ちなみにこの二週間で決めたわけじゃない。もっと前から、既に決まっていたのだ。そう、半年ほど前から。


(仮)の私の進路は、いつの間にか本物になっていた。

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