クリサリスエフェクト

朝倉亜空

第1話

 くそ、くそクソ、糞あーつまらん。つまんね糞が。なんじゃこんな人生。

 時は西暦2909年。おれはツアーコンダクター社員だ。ハケンだよハ、ケ、ン。

 なんちゅーか科学力が超高度に発達し、人類が時間の壁を越えて、大恐竜時代へと時間移動旅行タイムトラベルを当たり前のようにできるようになっていようが、変わんねーもんは変わんねー。

 人間による人間いじめは全然変わんねー。貧富の差は変わんねー。金持ちがケチなのは変わんねー。アイツら永遠にどケチなのだ。おれらの給料、永遠に上げる気ナッシングなのだド糞めが! そのくせ、とことん使い倒しやがる。おれの勤めるアースタイムツアーズ社なんかその最たるもんだ。

 成金金持ちのお気楽な恐竜観光旅行に随行し、「アッ、その虫、踏まないで!」とか、「珍しいからって、その花摘んでお土産にしないで!」「固定ルートを外れて勝手に歩かないで!」とか、とにかくヒヤヒヤする。

 バタフライエフェクトを考えなさすぎる奴らばかり。ただの都市伝説だとでも思っているんだろうか。下手すりゃ、自分がその瞬間に居なくなるかもしれないというのに。神経が持たん。

 ひとツアーを終えるたびに、心身ともにグッタリ疲れ切る。なのに、派遣社員の安月給。アホか。

 どケチ糞会社からは、「お客に蝶々一匹、踏み潰させるな」を徹底的に言い聞かされる。

 バタフライエフェクトとは、何億年前に生きて活動している一匹の蝶を未来人が殺したとすると、本来、その蝶が運ぶ花粉が受粉し、花になっていたはずのものがなくなり、その花に集まってきたはずのいろんな虫たちが集まって来ないという事実が成立し、その虫を食べて、腹を満たしたはずの小動物が腹を満たせなくなり、腹が減って、弱ったところを今度はそいつが中動物に食われてしまうという、そのことも、本来とは違う事実を成り立たせてしまい……、という風に、遠い過去の、ほんの些細な事象を変えるだけで、少しずつ、小さな違いが積み重なって、次第に大きな違いとなり、最終的にはまったく違う現在に変わってしまうという理屈である。 

 その結果、例えば、自分のひい爺さんが、ひい婆さんじゃない人と結婚することになってしまったら、もう、自分は存在しなくなる。

 過去の事柄は何一つ変化させない。タイムツアー客は、決してその時代の物、人とは触れ合わず、ただ、ウォッチングを愉しむのみ。

 毎日毎日、おれはそんなバタフライエフェクトに対して無頓着すぎる未熟なお客の子守をやっているのだ。結婚もできない安月給で。世間じゃ、バタエフェ奴隷、なんて呼ばれてたりもする。

 よって、おれは決めた。今日の仕事終わりに、おれがやってやるっ。こんな不愉快な世界、壊れるなら壊れちまいやがれってんだ。おれが蝶でも蛾でも、勝手気ままにどこか遠くへと飛ばしてやるぜ。新たな歴史の再創造よ! 他人に迷惑だろってか⁉  世の中、いつだってそんなもんじゃねーの? 誰かが自分のやりたいようにやり、結果、別の他人がワリ食って、多少の犠牲になる。そういう仕組みになってんのよ。

 もし、おれ自身が居なくなっちまっても、別段どーってこたぁねえ。こちとらヤケクソよお!


「えー、では皆さん、そろそろお時間ですので、時間旅行機タイムマシンへ搭乗してもらえますかー」

 おれは、恐竜の巨大さを実際に自分の目をもって生で見ることができ、興奮冷めやらないといった風情のツアー客らに行った。タイムツアー客の大半は、ジュラ紀、白亜紀の恐竜時代を選びたがる。人間って恐竜が大好きなんだな。おれの仕事場はいつもここだと言っていい。

「それと、到着時に申しました通り、今日はいつもと違い、わが社の創立五十周年ということで、特別に何かおひとつ、持ち帰っても良いとなっておりますが、皆さん、何か採取されましたかー。花とか虫とか」

 俺がさらにそう言うと、はーいはーいと、あちこちから返事が返ってきた。みんな手には、古代の毒々しい色合いをした、珍しい花とか、見たこともない昆虫とかを持ち上げている。なかにはウサギほどのゴキブリの先祖を両手で掲げた、笑顔満開のガキもいた。さすがに恐竜を連れ帰ろうとする剛の者はいなかった。さあ、とんでもない数のバタフライがバタバタバタと、無軌道に飛び散らかし始めたぞ。

 ツアー客全員がタイムマシンに乗り込んだのを確認し、おれはエンジンスイッチを押した。

「では発車しまーす」

 俺自身も古代魚シーラカンスを四、五匹、釣り上げ、手持ちにしていた。

 時間旅行機は次第にその運航速度を速め、四次元空間の中をおれたちが日常生活を営んでいる時空、西暦2909年に向かい、進みだした。お客の顔を見渡したところ、欠けているものはいない。全員いるようだ。どうやらこの中には、今回のバタフライエフェクトの影響で消滅する者はいなかったようだ。

 しばらく時空移動を経たところで、おれは小窓を少し開き、手持ちのシーラカンスを一気に全部、放り捨ててやった。タイムツアコンとしての長年の勘で、おそらく、縄文時代あたりにばら撒かれたはずだ。縄文人たち、いきなり天から大型の古代魚がバラバラと降ってきて、さぞや驚いたに違いない。骨まで噛み砕いて、喜んで食ったんじゃないか。バタフライエフェクトのダメ押しの追加である。このエフェクトによっても、タイムマシン内の誰も消滅しなかった。まあ、ここの十数人以外の環境で、いろんなことが影響を受けて変わっているんだろう。第六次世界大戦において、日本、中国、北朝鮮連合が史実ではアメリカ、韓国、ブラジル連合に大勝利を収めるのだが、時間をひっかきまわす蝶々の羽ばたきで、大敗を喫することになったのかも知れん。2100年代半ばにおいてウクライナの植民地とせられ、滅び去ったロシアがまだ存在し、ウク・ロシア連邦なんて名で存在しているかもしれん。

 いろいろ考えているうちに、タイムマシンは2909年の現代に帰ってきた。

「これにて時間旅行のすべての予定を終え、無事、リアルタイムへと戻ってまいりました。社員一同、またのご利用をお待ちしております」

 マシンの扉を開け、ツアー客を下ろし、タイムツアーは終了した。客たちの誰もかれもが大いに満足した表情で家路についたのち、おれはおれの起こしたバタフライエフェクト・テロがどのような結果を及ぼしているのか確認しようとした。

 街の様子をうかがい、ネットワークニュースを見、ChanChanChantGPTで地球史を調べてみた。のだが、一切何も変化していなかったのだ! 驚きだ。あんなに無茶苦茶したにも関わらず、おれの知っている、まったくいつも通りの2909年の世界なのだ。一体どういう訳だ?

 そもそもバタフライエフェクトなどというロジックはただの空論で、そのような現象は実際には起こりえない、というのが正解なのだろうか……? おれにはさっぱり分からなかった。だが、その答えは意外に早く、おれは知ることになる。

 結局、おれはおれの日常を営み続けていた。派遣のタイムツアコンとして毎日を働き、金を稼ぎ、日々を過ごす。不思議なもので、一度捨て鉢になり、命なんか惜しくないとばかりに無茶をしたものの、いざ、死なずに済んでみれば、なぜか生きていることへのじんわりとした喜び、嬉しさのようなものが心に芽生えていた。まあ、こんな生き方でもいいか、そう悪くはないかと思うようになったのだ。

 そんなある日、おれはある人間の訪問を受けた。

 ある朝、さて、仕事にいくかと自室の扉を開けた時に、おれは一人の人物の訪問を受けた。

「あのー、今は西暦2909年で間違いないですよね?」

 地下385階のチカマンのおれの部屋の前でその男はおれに問いかけてきた。さらにそいつはおれの住所とおれの姓名を確認もした。

「はい、そうですよ。わたしの住所、私の名前であってますよ。でも、おたくはいったい何者なんですか。変なことを尋ねてきますね」

 今度はおれが訊いた。

「ああ、これは申し訳ない。わたしは西暦5368年から超時空タイムリープしてきた者なんですよ。はるばる時間の壁を乗り越え、ここで、あなたに用があって、やってきたんです」

 男は答えた。とんでもない未来人だ。そう言われればこの男、あまり見慣れない格好をしている。キラキラ光った素材でできた洋服……、いや、服じゃないぞ。光、光そのものを服やズボンの様に身にまとっているんだ。はぁー、これが未来の洋服、じゃない、洋ヒカリか。

「でも、いいんですか、今ここでわたしなんかとコンタクトを取っても。過去へ移動した場合、ほんの小さな変化を起こしただけで、現在に戻った時に、大きな変化になって表れるんじゃぁ……。具体的には、あなたが着用しているそのヒカリの服。私が知っただけで、おそらくは、完成する時期が大きく前倒しになってしまいましたよ」

 おれは男に問いかけてみた。おれが以前にやった、バタフライエフェクト不発事件のことも、何か分かるかもしれないと思ったのだ。

「はい。過去の人物や事象には一切、関わってはいけません。いや、いけませんでした。今までは」

「今までは?」

「そうです。しかし、我々の時代では、第862世代型超量子ウルトラコンピューター、通称「無学」の登場で、もはやバタフライエフェクトというめんどくさいものは無効化されているのですよ」

「バタフライエフェクトが無効化?」

「例えば、四つ辻がたくさんある街中の、その真ん中の大通りを真っ直ぐ前に進むことが時間の進行だと思ってください。過去に戻るとは、歩いている大通りをただ単純に数十メートルバックして、もう一度同じ道を歩きなおすだけです。しばらく歩いていれば、当然、バックしようとした同じ地点に戻ってきます。今度はもう一度、数十メートル下がって再び歩き出すのですが、途中で四つ辻を左に3ブロックズレて歩き続けたとしましょう。もはや、その道をいくら歩こうが、真ん中の大通りの、バックをしようと決めた地点には到着しませんね。この状態がバタフライエフェクトを現した例えです。道、即ち、時間の流れが変わったのです」

「ふーむ」

「ではその3ブロックズレた道の途中で、今度は逆に右に3ブロックズレたならどうでしょう。そうです。元の道に戻りますね。そのまま歩けば、バック開始地点にちゃんと到着します。この時、2ブロック戻っただけでは戻り足りてないですし、4ブロックも戻ってしまうと、そこもはじめと違う道になります。ちょうど3ブロック戻す。なにせ、ほんのちょっとの変化ひとつでさえ、大きく時間の流れは変わってしまうのですから、これがなかなか大変だったのです。それが第862世代型超量子ウルトラコンピューター「無学」による超々高精度な未来予測機能の究極完成のおかげで、このことが可能になったのです。バタフライエフェクトをそれが発生する以前に戻す、蝶々の一つ前はサナギ、つまりクリサリスなので、この時間軸戻しエフェクトのことをクリサリスエフェクトと呼んでいます」

「なーるほど」

 それでおれは合点がいった。以前に行なったバタフライエフェクトで、二度目のエフェクトの追加だと思ってやった縄文人へのシーラカンスプレゼントは、何千兆分の一という確立で、 たまたまクリサリスエフェクトになっていた訳だ。なんとまあ、奇跡的な偶然が起きていたもんだ。

「それで、あなたは今、バタフライエフェクトを一切気にすることなく、あなたにとっては遠い過去であるこの時代に自由に接触、関与しながら遊びに来られたという訳なんですね」

 おれは言った。

「いいえ、超レトロなこの世界を満喫するのはまたにします。今回はジュラ紀に行って、恐竜ハンティングを堪能してきた帰りなんですよ。その、クリサリスエフェクトとして「無学」が言うには、まず「西暦2019年12月にアジア地域において、当時としては未知の猛毒コロナウイルスを散布すること」。その毒性ウイルスの製造法も「無学」が教えてくれたのですが、ついさっき、私はその通りに行なってきました。そしてもう一つ。2909年のこの日、この場所、この時間には人が居てはいけないとも。あなたには申し訳ありませんが、多くの人の欲求のために、別の他人がワリ食って、多少の犠牲になるなどよくあること。恨むなら「無学」の判断を恨んで下さい」

 そう言って、男は無表情のまま、手にした光線銃でおれを撃った。ビームが当たったおれの身体は原子レベルで完全分解され、一瞬で、この世からきれいさっぱり無くなった。

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