第9話 テニス金メダリストの橘さん(2)

 右手で自分のお腹を触る橘さんを見て、ふとあたしの頭にサフランの顔が浮かんだ。これってもしかしたら、サフランならお母さんの時みたいにどうにかできるんじゃない…。

「手術室は四階です。こちらのエレベーターへ…」


「私は東京の病院に入院してたんだけど、画期的な手術方法が見つかったから、流星病院って所に転院しろって言われてこっちに来たの!」

「あ、あ…。あの、話が突然変わって恐縮ですが、岸本まなぶ君はお元気ですか?」

「元気よー! たまに会ったら『おばちゃーん!』って私の足に抱きついてくるの。大きくなったわね」


「あたし、あの時、五百円だけ募金しました」

「うそーっ! ありがとう! あなたのおかげでまなぶが助かったわよ!」

 感激した様子であたしの手を握ってくる。あたしの目から涙が溢れる。こんないい人どうにかして助けたい。


「手術室はこの奥です…。お二人は手術衣に着替えてください…」

 ご夫婦には手術の閲覧室ではなく、脳手術の風景をすぐそばまで見てもらえということだ。なぜ、そんなことをする必要があるんだろう…。

 あたし達三人が着替えて手術室へ入ると、頭蓋骨が切り取られた患者さんの、手術の最中だった。脳腫瘍のうしゅよう開頭腫瘍摘出術かいとうしゅようてきしゅつじゅつ。脳が丸見えになっている。見慣れないお二人はその光景に目をそらした。


 手術スタッフの中に青い瞳のサフランがいる。こちらに気づかないぐらい真剣な目で手術を見ている。

 ちょうど腫瘍しゅよう摘出てきしゅつは終盤を迎えており、頭蓋骨の閉頭が始まろうとしていた。本当なら脳脊髄液のうせきずいえきが漏れないように縫合したり、チタンのプレートを使ったり難しい作業になる。


 でも、すぐそばにはサフランがいる。後ろから声がした。

「山本さんご夫婦、こんにちは。癌センターの滝沢です」

 太い眉に鋭い目つき。手術着であまり顔が見えないけど、あたしはすぐわかった。昨日会ったヤクザみたいな先生だ。


「山本さん…、すみません、私もテニスをたしなみまして。ここでは橘さんでいいですか? 脳腫瘍の手術などショッキングなものをお見せして今日は申し訳ありません。他にわかりやすい例があまりなかったもので…。見ていてください、これから魔法で頭を治します」

 ご夫婦が怪訝けげんな顔をする中、サフランが呪文を唱え出した。


「ラフルマーマ・ナロウコレクト……」

 サフランはとりわけ長い呪文を唱えた。完全回復リカバリーという魔法のようだった。彼女が魔法を唱えると患者さんの頭が光って傷がたちどころにふさがった。

 剃られたツルツルの頭が血色良い。今までの手術の光景が噓のようだった。


「な、なんですかこれは⁉」

 お二人はただただ驚くばかり。旦那さんが言った。

「こんな魔法みたいなことができるのなら妻の腕と赤ん坊を助けられるのでは⁉」

「ははは。次に行きましょう」


 あたし達四人はまた移動して今度は心臓外科の手術に立ち会った。

 手術室には人工心肺を付けられた赤ちゃん。病名は心室中隔欠損症しんしつちゅうかくけっそんしょう。心臓に穴が空いた病気だ。

 ここでも手術が終わりかけで、遅れてサフランがやって来た。


「遅くなってごめんなさい」

 サフランがスタッフ達に一言謝ってここでも魔法を唱える。大きく開かれた胸の傷があっという間にふさがってしまう。

 滝沢先生が説明した。


「あの子は魔法が使えるんです。あの子がここに現れたおかげで流星病院では少々無理な手術でも安全に、それも応用で今までできなかったことが可能になりました。

 ここで橘さんの手術を簡単に説明しますと、まず患部の腕の表から六から七割ほど大きく切除します。そしてさっきのような回復魔法。次に裏から六から七割ほど腕を切って回復魔法。


 あの子の魔法は不思議なことに、かけられた人は健康な組織が生えてくる。癌だけ切ってたぶん腕を残せます。後は癌の転移がないかの検査ですね。

 それからこのことは人に言わないでくださいね。魔法のこともSNSなんかに書くのはやめてください。虚言癖きょげんへきがある人って思われますよ」


 翌日、橘さんの手術が無事終わり、また東京の病院に転院となった。怪しい医療のためセカンドオピニオンが必要だと満場一致の考えだった。

 後から滝沢先生から聞いたことだが、サフランがあたしからかくれんぼしていた時、彼女は滝沢先生の部屋に無断で入り、机の下に潜り込んでいたらしい。彼女はあちらの世界でもそこから人を脅かして遊んでいたそうだ。


 滝沢先生が、東京の病院の先生とネットのテレビ電話で橘さんの話をしていると、会話にサフランが割り込んできて今回の手術を提案したそうだ。あっちの世界の先生が似たような手術をやっていたらしい。


 しばらくして橘さんからあたし宛に手紙が届いた。短い時間ながら、一番気持ちを共有してくれたのがあたしだったから、だそうだ。

 寮の中で今日も橘さんの手紙を読んでいた。


『前略 優しい看護師の星山さん。元気?

 あれから、私はセカンドオピニオンどころか、サードオピニオンまで受けました。

 あれが手術と言われても、痛みも傷も残らないのだもの。仕方ないでしょ?

 どこのお医者さんも転移なし、腕に癌はないとお墨付きをもらいました。信じられなかった…。


 私は腕の完治を自覚するまで長い時間を要しました。

 結局、いつの間にか闘病の終わりを理解した私は、両手で赤ちゃんを抱くことができる! そう叫びながら泣いて旦那に抱きついていました。

 これからもテニスもできるし、赤ちゃんも産める。自分はどれだけ欲張りな人間か思い知りました。

 星山さん、ありがとう。滝沢先生と魔法使いの友達にもよろしく。』


「本当によかった…」

 あたしが寮の家で手紙をどこにしまっておこうか考えていたら外から声がした。

「ユヅキ、いるー?」

 お母さんだ。今日はサフランと三人で夕飯を食べるということになっていた。


「お母さん、いらっしゃい。ちょっと見てよ、この手紙。テニスの金メダリストの橘さんからよ!」

「まあ、すごい人からお手紙もらったわね! 一緒に募金した人ね! へえ! ユヅキの病院で患者さんだったの!」

「サフランのおかげよ」


 当のサフランはベッドでスヤスヤと眠っていた。

「こんな時間だけど、今日はサフランはいっぱい魔法を使ったから疲れてもう眠ってる。今日は起きるかわからない」

「かわいい寝顔ね。本当にお人形さんみたい」


「寝てる時はね。起きてたらあたしのお菓子を勝手に食べたり、いたずらばっかり!」

「…ずっとこっちの世界に居て欲しいわね…」

 お母さんはこの時、サフランを養子にしようと考えていたみたい。そして少し先の未来で本当にあたし達は姉妹になるの。


「ユヅキはサフランのこと好き?」

「ふ、ふーん…」

 もう心の半分ぐらいは持っていかれちゃってるわ…。いつか本人に言わないと…。私の恩人。サフラン大好き!


  ― 終わり ―

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魔法少女、令和の病院の命を救う 加藤かんぬき @waisibo

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