Last fight:小さな幸せ

「リディア……無事か?」


「マーカス! 大丈夫なの!?」


 彼の声に視線を上げると、マーカスが目を開けていた・・・・・・・。彼自身もオレグの攻撃を受けて、文字通り満身創痍の状態であったのだ。だが彼は辛うじて頷いた。


「ああ、なんとかな……。待っていろ、今助ける」


 彼は自分がズタボロなのにも構わずリディアの拘束を解こうと歩み寄ってくる。しかしもう鎖を引きちぎる力も無いように見えた。


「あそこの壁にレバーがあるわ! それを引けば鎖が外れるはずよ!」


 リディアは頭を振ってそのレバーの場所を示す。


「あれか……待ってろ」


 マーカスがそちらに歩いていってレバーに手を伸ばす。だがその時……


 銃声・・が鳴り響いて、マーカスの伸ばした手とレバーの間に当たり火花を散らした。



「そこまでだ。大番狂わせの『優勝者』君」



「……! グラシアン!!」


 リディアは鎖の拘束が解かれないまま、新たにやってきた闖入者達の方に視線を向ける。そこにはグラシアンと、そして拳銃を持ったボディガードが2人いた。いつの間にかマーカスが昇ってきたのとは別の入口が開いていた。隠し扉か何かのようだ。


「貴様……何のつもりだ。俺はこいつを倒した。俺は『優勝』したんだ。早くリディアを解放して賞金を寄越せ」


「ふむ……私が君達などに莫大な賞金を払うつもりはないと、既に悟っていると思ったが?」


 マーカスの要求に全く悪びれずに薄笑いを浮かべるグラシアン。奴はオレグを使って実質的に賞金を回収し続けてきた。莫大な優勝賞金は、ただ参加者たちを釣るための餌でしかなかったのだ。


「この島の開発や『サン=ブレスト号』の維持などに相当の金を掛けているのだ。私は無駄な出費・・・・・は極力抑える性質でね」


「この……人間のクズ!」


 リディアは相変わらず鎖に繋がれたままの身体を悔しさに捩らせる。兄を殺した下手人はオレグだったが、命令したのはこのグラシアンなのだ。そして今また命がけの死闘を勝ち抜いたマーカスの戦いを全部無かった事にしようとしている。許せるはずがなかった。


 だがマーカスが鎖を解く前に妨害されたので、四肢を拘束されたままのリディアはその場から動く事も出来ず身をもがかせるだけだ。尤も銃を向けられているのでマーカスも迂闊に動くことは出来なかったが。



「さて、茶番は終わりだ。今回の『ライジング・フィスト』は残念ながら優勝者なしの結末を迎える事になる。まず奴から殺せ。女の方はまだ使い道があるのでもう少し生かしておくか」


 グラシアンの命令でボディガード達の銃口がマーカスに向く。流石の彼も離れた位置にある銃には勝てない。ましてや満身創痍の今なら尚更だ。


「マーカス!!」


 リディアは思わず悲鳴を上げて目を瞑る。だが……ボディガード達の銃が発射される事はなかった。代わりに複数の足音とグリップ音が鳴り響く。



「な、何だ、貴様らは……!?」



 グラシアンの動揺した声にリディアは目を開けた。そこには驚くべき光景が映っていた。防弾装備に身を包んだ何人もの男達がグラシアンとボディガードを取り囲んでライフル銃を突きつけていたのだ。ボディガード達は両手を上げて投降している。


 男達の装備の背中には『FBI』という文字が。有名なアメリカの連邦捜査局だ。何故FBIがここにいるのかリディアには訳が分からなかった。いや、彼女だけではない。


「馬鹿な、FBIだと!? 何故ここに……どうやって私の居所を掴んだ!?」


 グラシアンが怒りと驚愕に顔を歪めて喚く。奴の居場所は普段は厳重に秘匿されていて、外部の者がここまで奴に近づく事は不可能だ。……内部の手引・・・・・でもない限り。




「往生際が悪いですよ、グラシアン。いえ……お父様・・・。もうあなたの時代は終わったんです」




「……!? ドミニク!?」


 グラシアンに応えたのはFBIではなく、その後ろから進み出てきた1人の女性であった。スーツ姿に眼鏡の才媛、ドミニクだ。だがあの女はグラシアンの忠実な部下であり、そのためにリディアを嵌めたのではなかったか。しかも今聴き間違いでなければ……


「お前か! これはお前の仕業か! 私を裏切ったのか!?」


「……私はあなたが戯れに孕ませて、そしてゴミのように捨てたブランシュという女の娘です。ようやくこの時が来ました。長かった……」


「ブ、ブランシュだと……? あの女、生き延びていたのか……!」


 心当たりがあるらしいグラシアンの顔が歪む。リディアは以前にドミニクが奴の恨みがあると言っていたのを思い出した。あれはその場しのぎの嘘ではなかったのだ。


「私を逮捕などすれば『アザトース』が黙ってはおらんぞ! すぐに釈放されるだろう。そうなったら貴様もただでは済まんぞ、ドミニク」


「そのご心配は無用です。あなたはこの『遊び』に傾倒しすぎました。完全に赤字の趣味を繰り返し続けるあなたと一部の好事家達を『アザトース』は切り捨てる算段を立てていたのです。もしマーカスがこの最終ステージを優勝・・した時は、あなたのメンバーとしての権限をの私がそっくり引き継ぐ事が『参事会』で決定していました。『参事会』もまた賭け・・をしていたのですよ」


「な……さ、参事会が……?」


 グラシアンが呆然となる。参事会というのは恐らく『アザトース』内部の意思決定機関か何かのようだ。グラシアンは『アザトース』に切り捨てられたのだ。その何よりの証拠がここにいるFBIの部隊なのだろう。


「あなたへの沙汰は追って下します。連れていきなさい」


 ドミニクが指示するとFBIの部隊は疑問も抱かずにグラシアン達を連行していく。恐らくFBIもまた『アザトース』と関係があるのだ。呆然として意思が抜け落ちたようなグラシアンが連行されていき、フロアにはマーカスとリディア、そしてドミニクの3人だけが残った。




「……お前がグラシアンの娘だと? 矢継ぎ早過ぎて事態に付いていけんぞ」


 緊張を解いたマーカスがかぶりを振る。


「申し訳ありません。誰にも話す事は出来ませんでした。どんな些細な漏洩の可能性も発生させる訳にはいかなかったので」


 ドミニクは心苦しそうな表情になって俯く。リディアへの時とは違ってその様子に演技はなさそうだ。


「まあ、そうだろうな。だが結果的に俺達は助けられた。お前はずっと1人で戦っていたんだな」


「マ、マーカス……」


 理解を示してくれた彼の言葉と態度に、ドミニクの瞳が僅かに潤んで声が震えた。その2人の様子にリディアは急に胸がムカムカしてきた。



「ねぇ、ちょっと! 私はいつまでこうしていればいいのよ! 危機は去ったんだからいい加減に助けてくれない!?」


 鎖に繋がれたままの四肢を苛立たしく揺らしながら怒鳴る。ドミニクが一転して冷たい視線を向けてくる。


「ああ、いたんですか。気づきませんでした。『お姫様』にはよくお似合いじゃないですか。折角だからもう少しそのままで楽しんだらどうですか?」


「な、何ですって!? この……陰険眼鏡女!」


 リディアは体を揺すって怒りを露わにする。今すぐこの憎たらしい女に殴りかかりたい衝動に駆られるが、四肢を拘束する鎖がそれを阻む。マーカスが苦笑した。



「お前達は相変わらずだな。勿論すぐに外す。待ってろ」


 マーカスはそう言ってレバーに手を伸ばした。今度は妨害が入る事もなく、リディアの四肢の拘束が音を立てて開いた。


「くっ……」


 長時間無理な体勢を強要されていた彼女は、拘束が解けた瞬間思わず呻いてその場に四つん這いになってしまう。身体こそ無傷なものの予想以上に消耗が激しかった。

 

「リディア、大丈夫か!」


 マーカスは自身が満身創痍でありながら、無傷のリディアを気遣って駆け寄ってくる。ドミニクも面白くなさそうな表情ながらそれに追随する。


「う……だ、大丈夫よ。ありがとう、マーカス」


 リディアはマーカスに肩を貸してもらってどうにか立ち上がった。消耗が激しくてドミニクに殴りかかるどころではなかった。



「ふぅ……何とか終わったな。我ながら信じられんが……。しかし、これでニーナの手術費の当ては無くなったな。すぐにアメリカに戻って何とか金を稼ぐ手段を見つけないとな……」


 マーカスは嘆息した。彼はそのためにこのゲームに参加したというのに、結局骨折り損のくたびれ儲けだったのだ。その心中は察するに余りある。だが……ここでドミニクが眼鏡をクイッと直した。


「その事でしたらご心配には及びません」


「「え……?」」


 マーカスとリディアは同時に訝しげな視線をドミニクに向けた。




*****




 悪夢の『ライジング・フィスト』から数ヶ月たったある日。アメリカ、インディアナポリスにある小児病院。


「さあ、今日で退院だな。よく頑張ったな、ニーナ」


 まだ人気の少ない朝のロビーには、マーカスと娘のニーナ。そして主治医のメラニーの3人がいた。ニーナはまだ車椅子に乗っているが、これまでとは違って血色も良く元気そうだ。


「うん! ありがとう、パパのお陰よ! あ、勿論先生もね?」


「ふふ、おめでとう、ニーナちゃん。先生は何もしてないわ。全部ニーナちゃん自身の頑張りと、約束通り手術費を稼いできたお父さんのお陰よ」


 メラニーはしゃがんでニーナとハグを交わす。マーカスは無事・・『優勝賞金』を手に入れ、それによってニーナの手術費を工面する事が出来た。ニーナの手術は成功し、定期的な通院は必要なものの彼女はほぼ健常者の身体を手に入れたのだ。


 グラシアンに代わってマーカスに莫大な賞金を支払ってくれたのは勿論……



「――何とか間に合いました。今日がニーナちゃんの退院日でしたね。おめでとうございます、マーカス。おめでとうございます、ニーナ」



「あ、ドミニク・・・・さん!」


 突如聞こえてきた女声に、その姿を認めたニーナが笑顔で手を振る。そこには相変わらずスーツ姿に眼鏡の女性ドミニクが立っていた。その手には何か袋を抱えており、それをニーナに手渡す。


「辛い闘病生活と手術を勝ち抜いたあなたにプレゼントです」


 ニーナが袋を開けると、それは何冊かの絵本だった。中にはニーナの好きな物語の本もあり、彼女は目を輝かせる。


「わあ! ありがとう、ドミニクさん!」


「……俺からも礼を言わせてくれ。本当に……ありがとう、ドミニク」


 マーカスはその様子に目を細めながらもドミニクに対して心から礼を言う。それは絵本や退院見舞いの事だけではなかった。失脚して逮捕されたグラシアンの位鉢を継いで『アザトース』の幹部となったドミニクが優勝賞金を全額支払ってくれたのだ。いわば彼女はニーナの命の恩人であった。


 だが『アザトース』の幹部になったはずの彼女は、『サン=ブレスト号』を売り払って優勝賞金を捻出した後は、何故かマーカスに付いてアメリカにやってきてこうしてニーナとも面識を持ってしまっていた。娘には『お父さんと懇意・・にしている仕事上の取引相手』と自己紹介していた。


「ふふ、いいんですよ、マーカス。その代わり……あなたとは今後も・・・仕事を続けたいと思っています。是非私のオファーを受けてください」


「む……まあ、いい仕事・・・・なら、な」


 ドミニクはグラシアンのような馬鹿げたデスゲームではなく、もっと健全な非合法・・・・・・格闘団体を創設したいと考えているらしく、マーカスをその花形選手に据えたいという目的があるようだ。彼としてもニーナを救ってもらった借りがあるので無下には出来ないのが悩ましい所だ。


 因みにあのゲームで一命を取り留めたムビンガにも既にオファーを掛けているのだとか。


「うふふ、ドミニクさんはパパにお熱・・だね! 二人はケッコン・・・・しないの?」


 そのニーナは知的な女性の雰囲気バリバリのドミニクにすっかり憧れており、好意を抱いている様子であった。子供ならではのストレートな発言に当の二人は勿論、メラニーまでちょっと固まってしまう。一瞬場が微妙な空気になりかけるが……



「――はぁ! はぁ! よ、良かった。まだいたわね! ニーナちゃんの退院に立ち会えない所だったわ!」



 そこに息せき切って駆け込んできた女性が1人。セミロングの金髪を靡かせて荒い息を吐くのは、やはり『ライジング・フィスト』で共に戦った相棒リディアであった。彼女もやはり大きな袋を抱えていた。


「く……やっぱり来てたのね。ホントに油断も隙もないわね」


「あなたに隙が多すぎるんです。今日は邪魔者が来ないと喜んでいたのに空気を読んでください」


 そしてこの2人の美女の仲の悪さも相変わらずであった。リディアはあのゲームに参加するに当たって既に英国での身辺整理は済ませていたらしく、やはりマーカスにくっついてアメリカに渡ってきていた。


「ニーナちゃん、退院おめでとう! 前に欲しいって言ってた『クマのポーさん』よ」


「え、ホント!? ありがとう、リディアさん!」


 袋の中から出てきた黄色い熊をデフォルメしたぬいぐるみを見て目を輝かせるニーナ。リディアも既にニーナと面識を持っていた。彼女は再びドミニクを睨む。


「また性懲りもなくマーカスに勧誘を掛けてたわね? 彼と私は一心同体・・・・なんだから、そういう重要な話は私にも通しなさいよね」


「……何やら語弊のある表現が聞こえましたが、私の聞き間違いでしょう。確かに女子部門・・・・も立ち上げるつもりでしたから、不本意ではありますがあなたにもオファーは掛けさせて頂く予定でしたが。本当に不本意ですが」


 お互いに火花を散らす二人の美女。間に挟まれたマーカスは居心地悪そうに顔をしかめる。


「うふふ、パパ、モテモテ・・・・ね! ドミニクさんとリディアさん、どっちとケッコン・・・・するの?」


「「「……っ!!」」」


 何故か上機嫌なニーナの爆弾直球に、やはりメラニーも含めた大人たち全員が固まる。そのメラニーが慌てて咳払いした。   



「オホン! さ、さあ、皆さん! もう退院の時間ですよ! ニーナちゃん、本当におめでとう。でも定期的な通院は忘れないでね?」


「うん、勿論よ! これからも宜しくね、先生!」


「……本当にありがとうございました。これからもお世話になります」


 ハンター親子はメラニーに改めて礼を言って、病院の外に向かって進んでいく。ニーナの車椅子は勿論マーカスが押していく。


「あ……マーカス、待ってよ!」「先生、それでは失礼します」


 ドミニクとリディアもいがみ合いを止めてメラニーに一礼すると、マーカス達の後を追って歩き出していった。



 ニーナの車椅子を押しながら外に出たマーカスは、昇り始めた木漏れ日の光を一身に浴びて目を細めた。あの地獄の『ライジング・フィスト』を経て結ばれた絆、そして助けられた何よりも大切な命。

 

(俺は今のこの幸せが守れれば、後はもう何も望まん)


 改めてそう決意しながら、マーカスは三人の女性達と共に病院を離れていった……



Fin


 

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ライジング・フィスト ~肉弾凶器 ビジョン @picopicoin

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