第2話 ポンポコの恩返し・後編


 タヌキはヤカンを残して、(もっとも、もとから木村の部屋にあったヤカンだが)姿を消してしまった。

 しかし、翌朝になると、ちゃっかり木村のふとんの中に潜り込んでいた。

 「おう、帰ってきたのか。

 心配した、ぞ。……ん?」

 タヌキを抱きあげた木村は、その下から出てきたものを見て、驚いた顔になった。

 タヌキの下から札束が出て来たのだ。

 タヌキは札束の上で丸くなっていたのである。

 「これは……」

 数えてみると、四十八万四千円あった。

 「これが今月三日のことだよ」

 加藤は椅子から立ちあがると声を大きくした。

「二日の深夜にあったコンビニエンスストアの連続強盗!

 その被害金額が四十八万四千円!」

 二、八、四と、加藤は指を立てたり折ったりしながら喚く。

 「つまり、これは、あいつが盗んだ金に決まってるんだ!」

 「つまり、お前が恩返ししてくれたってことなのか?」

 木村は真っ黒な眼で自分を見上げている子ダヌキの喉をなであげながら、不思議そうにつぶやいた。

 そうだと答えているように、子ダヌキはちいさい舌を出しながら、首を縦にふっている。

 「……だったら、オレがレミーマルタンを飲みたいって言ったら、どうする?」

 「……」

 「レミーマルタンって知ってるか? 

 高い外国のお酒なんだぞ」

 子ダヌキは答えなかった。

 ヤカンに変わっていたのである。

 「な~で~る~か?」

 加藤はギョロリと集まっている同僚たちを睨みつけた。

 騒ぎを聞きつけたのか、少年課や広報課の連中までが顔を見せている。

 「いい歳をした大人が、レミーマルタンの説明をしながら、ヤカンの注ぎ口をなでるか?」

 加藤は息を吸い込むと、大声をあげた。

 「なでない!」

 木村はびっくりして、ヤカンから手を引っ込めた。

 子ダヌキは、どこにもいない。

 「おーい。タヌ公やーい」

 ヤカンのフタを開けて、中をのぞいてみたが、やっぱり子ダヌキはいなかった。

 「まさか、本当にレミーマルタンを……」

 「そのとおりだ!」

 加藤は大声で机をぶっ叩いた。

 もう群衆といえるほど、部屋一杯に集まった警察関係者たちは、加藤のあまりの剣幕に、ビクリと後退る。

 「君たちの考えているとおり、その日に、横町の商店で、レミーマルタンが二〇本も盗まれた!」

 加藤は自分で自分の声に興奮しながら、ますます声をはりあげた。

 「こんなことが信じられるか!」

 「信じられない」

 木村はあ然として、子ダヌキを見ていた。

 夜になって、うすっぺらいアパートのドアをコンコンと叩く音がするので、木村がドアを開けてみると、そこに子ダヌキがいたのだ。

 二〇本のレミーマルタンとともに。

 木村は子ダヌキとレミーマルタンの山を部屋に入れると、しばらく考え込んでいたが、納得のいく答えが浮かばないので、あっさりと寝ることにした。

 子ダヌキも一緒に布団に入れてやると、とりあえず礼を言ってみる。

 「ありがとう」

 そのまま、レミーマルタンを寝酒に、木村は高いびきをかきはじめた。

 ふんわかとした夢の中には、木村の憧れのアイドル、青山ミサが出てきた。

 「木村はな……」

 加藤は血走った眼を、右手の群衆にむけながら、ズイッと、そちらの方へ一歩踏みだした。

 な、わわわわ。と、群衆が後退さる。

 「寝言を言う癖があったんだと!」

 両手を頭の上で振り回しながら叫んだ。

 「その日だ! その日だ!」

 手を打ち鳴らしながら、今度は左手の群衆に迫る。

 お、わわわわ。

 あ、やややや。

 群衆は潮が引くように加藤から逃げていく。

 「その日に、青山ミサの誘拐未遂事件があったのだ!」

 ついに加藤は、両手を頭上で振りながら踊りはじめた。

 あれ?

 あれ? どうしてオレは踊っているのだ。

ふと、頭の中に違和感が浮かびあがる。

 浮かび上がったが、手と声の狂乱はとまらない。

 「しかし、我々警察の迅速な行動により、なんとか誘拐は未然に防がれた!」

 120ホンで絶叫する。

 とまらない。

 あれ?

 「さらに我々は、多数の目撃者の証言により、誘拐未遂の犯人が、木村幸一であることを突き止めたのだ!」

 ガッツポーズをとる。 

 あれあれ?

 「そして、今、この私が、取調室で木村を……」

 「加藤くん。加藤くん」

 後ろから、ポンポンと肩を叩かれた。

 「あ……、署長!」

 振りかえった加藤は、直立不動の姿勢をとる。

 「君は、こんなところで、何をやっとるのかね?」

 迷惑そうな署長の声と顔に、加藤はあたりを見回した。

 そこは署内ではなく、警察署に面した大通りであった。

 主婦や学生、サラリーマンなど、数十人の群衆が、こちらを見てクスクスと笑っている。

 「い、いえ、あの」

 訳が分からずに、加藤はしどろもどろになる。

 「きみは、木村容疑者の取調べをしていたのではないのかね?」

 「そ、それは、岡部さんが……」

 「岡部? 先月退職した岡部くんが、どうしたのだ?」

 「あ……」

 加藤の顔から血の気が引く。

 まさか……。

 マサカ……。

 モシカスルト……。

 「し、失礼します!」

 加藤は舌をかみ切るほどに叫ぶと、慌てて署内の取調べ室へと駆けもどって行った。

 「あ……」

 取調べ室へ飛びこんだ加藤は、その場にヘタヘタと崩れ落ちた。  

 椅子に座っているはずの木村はいなかった。


ただ、ヤカンだけが、ちょこんと椅子に乗っていたのである。

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ポンポコの恩返し 七倉イルカ @nuts05

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