ポンポコの恩返し

七倉イルカ

第1話 ポンポコの恩返し・前編


 「ほお~~」

 加藤は、形だけの笑みを浮かべた。


「はい」

 粗末な椅子に座った木村は、きょとんとした眼で、うなずき返す。


 自分を見ているのか、見ていないのか分からない木村の眼が癇にさわった。

 殴りたおしたくなる感情を、加藤はグッとこらえる。

 刑事という社会的立場がなければ、こらえ切れなかったかも知れないと思う。


 「つまりは、だ……」

 机の上をコッコッと指でたたきながら、加藤は低い声で言った。

 「すべてはタヌキの仕業だと。

 ……こう言いたいわけだな」


 「はい」

 木村は、さっきとは違い、嬉しそうな笑顔で答えた。

 やっと理解してくれたのかと言うような笑顔である。


 「スーパーのレジから金を盗んだのも、居酒屋からブランデーをかっぱらったのも、こともあろうか、アイドルの 青山ミサを連れ去ろうとしたのも、ぜ~~んぶ」


 「はい。タヌキの仕業です」

 木村は、加藤が言うより早く、笑顔で答えた。


 加藤のこめかみで、ブチリと血管が切れる。

「ふざけるな!」

 大声をあげて机をぶっ叩いた。


 木村は、目を真ん丸に見開く。


 それは加藤の出した大声に驚いたというよりも、これだけ説明しても加藤が分かってくれないことに、驚いているようであった。


 加藤は殺意をたっぷりと込めた眼で木村を見すえた。

「貴様、警察をなめてると……ん?」

 加藤の眉が、グッと中央による。

 「何だ、それは?」

 あごをしゃくって、木村の腰のあたりをしめす。


 椅子に座った木村の腰から、だらりと何かが垂れているのである。

 毛皮にくるまれた、楕円形の枕のようなものである。


 「え、これですか」

 木村は自分の腰から垂れている、それに手を当て、加藤の腰のあたりを反対にジロジロと見返した。

 見返しながら、ふんふんとうなずく。


 「刑事さんには、ついていませんね」

 ひどく納得したように言い、そして胸を張って答えた。

 「これは、しっぽです」


 ……!

 全身の血が頭に昇った。

 血管が、かたっぱしからブチブチと切れていく。

 もう、こいつは殺す。

 加藤はそう決めた。

 実行しようと木村に近づく。


 「け、刑事さん! 

 お、落ち着いてください!」

 木村ははじめて恐怖の色を見せた。

 加藤をなだめようと、無意味に顔の前で両手をふる。

 「そ、そんな、自分にしっぽがないからって……」


 「加藤くん」

 しっぽのない自分の手が、木村の首にかかる寸前、加藤は後ろからかかった声で、我に返った。


 「岡部さん……」

 振り返った加藤は、取調べ室に入ってきた初老の先輩を見た。


 岡部はニコニコと笑うと、加藤の肩をたたく。

 「手こずっているようだな。

 ま、ボクと変わってみようや」


 「はあ……。それじゃ、お願いします」

 加藤は渋々とうなずくと、岡部に替わって取調べ室を出ていった。

 部屋を出る時に、木村にむかって血走った眼をむける。

 木村はきょとんとした顔で、加藤に小さく手をふっていた。


 「よう。どうだった、加藤?」

 自分のデスクにもどった加藤に、同僚の伊倉が声をかけてきた。

 「どうも、こうもねえよ」

 加藤は、乱暴な動作で椅子に座る。

 「連れてくる所がまちがっているんだよ。

 警察より病院行きだぜ。

 まったく、しっぽのおもちゃまで、持ち込みやがって」

 「しっぽ?」

 伊倉は訳が分からないといったふうに、肩をすくめる。

 「タヌキだよ!」

 「タヌキ?」

 伊倉はますます妙な顔つきになって加藤を見る。

 手が空いている他の同僚たちも、加藤の周囲に寄ってきた。

 「あの木村っていう容疑者が言うにはだな」 

 加藤は演説でもするかのように、大きな身振りで話しはじめた……。


 コインランドリーに入った時には小雨だった雨が、出る時にはバケツの底が抜けたような土砂降りになっていた。

 夜の十一時を回った時間である。

 木村は傘からはみ出そうになる肩をすぼめ、アパートまでの道を小走りにかけた。

 と、道路のすみっこで、黒い小動物がぶるぶると震えているのに気付いた。

 立ち止まって見ると、それは雨に打たれ、ずぶ濡れになった黒い子猫であった。

 しばらく考えた木村は、しかたなしにシャツの一枚を犠牲にすると、その子猫を包み、アパートへと再び走りだした。

 「あれれ?」

 狭い四畳半の部屋で、子猫をタオルで拭いていた木村は、あきれたような声をあげた。

 子猫と思っていたそれが、猫などではないことに気づいたのだ。

 猫にしては、顔が妙で体にもしなやかさがない。

 どう見てもタヌキであった。

 「いるか?」

 加藤は、ジロリと同僚たちの顔を見回した。

「町中に、タヌキが雨に打たれて震えているか?」

 同僚たちは、曖昧な笑顔を見せるだけである。

「ま、いいか」

 木村は簡単に納得すると、子タヌキに温めたミルクをあたえた。どっちにしろ、ペット厳禁の規則に反しているのだ。

 そのうえ、家賃をもう三か月も滞納している。

 大家さんに「ニャーニャー」と聞こえようが、「ポンポコ」と聞こえようが、追い出されるといった結果は変わりないのである。

 「金さえあったらなぁ」

 木村は溜め息をつきながら、ミルクをなめるタヌキの頭をなでて、つぶやいた。

 「で、気がつくとだ」

 加藤は両手を広げて声を高くした。

 「木村は、ヤカンの頭をなでていたわけだ」

 何人かの刑事がぷっと吹き出す。

 「で、そのヤカンは綱渡りでもしたのか?」

 「するか! 

 文福茶釜の話をしてるんじゃないんだよ!」

 加藤はちゃちゃを入れた伊倉を睨みつけた。

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