99の死と1つの幸せ

日出詩歌

99の死と1つの幸せ

 とある雑居ビルの一角。1人の女が占いを営んでいた。

 この日は平日の昼間であった。ただでさえ占いという職柄、観光地でもなければ人がぞろぞろと入ってくる訳でもない。故に女はブックカバーで覆った小説を読みつつ暇を持て余している。元より彼女は忙しない俗世よりも穏やかで孤立した時間を好んでいた。


 と、そこに1人の客が訪れる。

 ぱっと見20代後半に見える男性だが、その顔は20年の人生では足りぬと思えるほどひどくやつれている。占いよりまず病院に行った方がいいのではと占い師は思った。

「ここの占い師の腕がいいって聞いたんだけど」

「そりゃ結構な評判だ。よく当たるとは言われるが、大袈裟な話だよ。座って。アンタは何を見てほしいんだい」

 占い師が促した椅子に座りながら男は言った。

「俺の死相を見てくれ」

「死相?」怪訝そうに聞いた。

「自分が死ぬ時を知りたいってのかい。そんなに生き急いじゃいけないよ」

「いやいや違うんだ。生き急いでる訳じゃなくて」

 と、恥ずかしそうに小声になる。

「信じてもらえないかもしれないが、実は俺不老不死なんだ」

「へえ」彼女は信じる信じないなど気にしなかった。問題は客が自分に何を望むか、である。

「そんで死ぬ時を知りたいってのかい?」

 男は頷く。

「今まで沢山死に方を試してきた。99回。そう、99回だ。全部駄目だった。飛び降りても焼かれてもだ。もう楽になりたい。生きるのは疲れたんだ」彼はそう言って重たい息を漏らす。眉間の皺がさらに深くなった。

「生きるのは疲れたなんてあたしのような身体にガタが来た老人が言う言葉だよ。まあいいけど。因みに聞くけどあんた、幸せを求める為に死ぬのか、幸せが無いから死ぬのか、どっちだい」

「どういう意味?」

「死ぬ事があんたにとって幸せなのかって事だよ。生きてる内にしか幸せは探せない。その結論が死ぬ事なのか探すのを辞めるのかって話。個人論になるけど、好きなもん食べに行ったり旅行したり、そういう小っちゃい幸せでもいいと思うけどね」

「俺は……」

 男の言葉が途切れる。そしてしばしの間自らの思考へと沈む。ややあって、彼は口を開いた。

「どちらかと言えば前者かな。そういう小さい幸せも、今は楽しめなくなっちゃって。俺本当は占い師さんより年上だしもうとっくの昔に死んでるはずだったんだけどさ、まだ生きてるからこう、周りにおいて行かれるっていうのかな、ずっとズレがあるんじゃないかって思ってる。そういうズレがなんていうかちょっと無理になってきてさ。もう……終わらせたい」

「そうかい」占い師には男の話を完全に理解する事は出来なかった。ただ、これだけは分かる。

「あんた今苦しいんだね」

 この客は自分の人生を自罰的に生きている。

 彼しか知らない海の底で苦しみながら、それが自分の所為だと思っている。故にもがきもせずに沈んでいる。

 それでも彼はここへ来た。何かの救いを求めて。

 その決意に、彼女は応えねばなるまい。

「じゃあ一応見てあげようかね。手、出して」

 占い師は差し出された男の手を取り、ゆっくりと手相をなぞる。ひとしきり見終えると、占い師は告げた。

「悪いけど、見えないね。あんたはまだまだ生きていくらしい」

 男は失笑した。

「薄々、そんな事だろうとは思ってた。結局、俺に幸せは来ないって事なのかね」

「何、別の幸せを探せばいいだけだよ。1つ幸せを失ってもまた次の幸せが待っている。死ぬ事は救いになるかもしれないけど、それが唯一って事じゃあない。生きていても楽になる選択肢は沢山ある。そうだねぇ……あんたの事をここに居てもいいって人が1人でもいたら、その違和感は無くなるんじゃないかね」

「どうかな。そういう奴がいるもんかね」男は吐き捨てる。

「見つかると信じれば見つかるさ。少なくともあたしはあんたがいてよかったと思ってる」占い師はニンマリとした。「今日儲かったからね」

「ふっ、都合のいい事言いやがって」

 呆れる男であったが、その顔はどこか肩の荷が少し降りたようであった。

 

 

「サービスに1つ教えとくよ。その内良い事が起こるよ」

「そりゃどうも。肝に銘じておくよ」

 客が去り、卜占の帳はしんと静まる。占い師は店内BGMでも変えようか、とスピーカーの方へ歩いていく。

 と、彼女にそっと囁く声が聞こえる。店には彼女以外誰もいない。聞こえてくるのは彼女の内からだった。

『おばさん、どうして嘘を吐いたの?』

 一瞬、占い師の動きが止まる。

「今の客の話かい?」

『本当は見えていたんでしょ?あの人の……』

「だってあの眼みたでしょ?生きてなかったもんだから」

 悪びれもせず、スピーカーを弄りながら占い師はからからと笑う。

「他人の幸せなんざあたしにはわからん。ただあの客が望んだ通りになったって、楽しくないと思ったのさ。仮に教えたとして、彼は死ぬまでの人生をどう過ごす?結末を知ってちゃ、人生なんて面白くないだろう?だったら、それまでの時間をたった1つだけでも、何か楽しいものを探すことに費やした方がいい。それはあんたと人生半分こしてるあたしだって同じさね」

 そしていつもの席に戻った彼女は、次の客を待ち続けるのであった。

「幸せは見つかる。そう信じる事が生きるって事なのさ」

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