マッチング、Go、Go、業

ぶざますぎる

マッチング、Go、Go、業

[1]

「一寸した悪戯のつもりだったんです。スリの多い処だと聞いていたので」A子さんは言った。


[2]

 A子さんは過日、ヨーロッパ某国へ旅行した。

「ダミーの財布を用意して、その中に写真を容れました」

 1枚目、怯懦顔の女性がカメラの方を見ている。下着姿。涙負けしたマスカラが目元を黒く汚している。女性は手足を拘束され、口には猿轡。

 2枚目、拘束されたままの女性が、床へ横臥している。体には痣、切り傷が出来、所々出血している。女性は苦痛の裡に諦観を込めた様な、妙な表情をしている。

 3枚目、女性の顔のアップ。何者かが女性の髪を掴み、強制的にカメラの方を向かせている。猿轡は外されている。顔面が血、傷、痣だらけで、ひどく腫れ上がっている。半開きの口の中では、歯がヘシ折れている。女性の顔裡には如何なる感情も伺えない。さながら、ディスカウント・ストアにて売られている、安価なホラーマスクが如く。

 4枚目、恐らくは最前の女性のものであろう。血の海が広がる床に、たいへんに損壊した遺骸が転がっている。女陰には何やら細長い銀色の棒が突っ込まれている。""女性のものであろう"" と書いたのは、その写真裡には頭部が見当たらないからだ。胴体からは、頭が切断されている。


[3]

 あまりゴアが得意でない私は、A子さんから手渡された写真を見、精神衛生をえらい害された。

「よく出来ているでしょう」A子さんは得意げに言い、確認するような仕草を、隣に居るB美さんへと向けた。

「この撮影は大変でしたよ」A子さんに促されてB美さんは言った。

 写真裡でたいへんな目にあっている女性。畢竟に殺害され体をバラバラにされた女性。その女性が今、B美と名乗り、私の眼前にて喋っている。その光景に、私はいまひとつ現実を掴み兼ねていた。

 A子さんとB美さんは、これまでに幾品かのゴア、スプラッター系作品を制作した。先述のおそろしい写真も、B美さんをモデルにして撮影された作品であった。つまりはフェイクである。最後の首なし死体も勿論、作り物だ。

「ルシファー・バレンタインの様なものですか」私は訊ねながら、出来るだけ写真から目を逸らす様にして、机上を辷らせてA子さんたちに返した。

「あの監督とは目指す方向が違いますね」少しムッとした口吻でA子さんが言い、B美さんはウンウンと頷きつつ、非難めいた目つきで私をチラと見た。どうやら地雷を踏んだらしい。

 私は自らの発言を撤回するが如くに軽く咳払いをし、それから水を向けた。

「つまり、私が拝見した御写真と同じ物をダミー財布へ容れておいて、それを盗んだスリを仰天させよう、とお考えになったんですね」


[4]

 当初、A子さんとB美さんは共にヨーロッパ某国へ旅行する予定であった。しかし、B美さんは仕事の都合で参加出来なくなり畢竟、A子さんは独り旅行と相成った。

 旅行前、ネットにて訪問先の観光情報を漁っていたA子さんの目に、次の一節が留まった。

 ""スリが多いので注意してください……胸ポケットや口の開いたカバンに財布などを容れておくと、盗られ易いので気を付けてください""

 A子さんの身の裡に悪戯心が出来した。ダミーの財布を用意する、その財布の裡に制作した写真を容れておく、ダミー財布を盗んだスリはアジトにて中身を見、仰天する……。 

 A子さんは己が妙案に浮かれたという。


[5]

 ヨーロッパ某国へ到着したA子さん。先ずはひと通りの観光を満喫した。持参したデジタルカメラで、旅先の場景を沢山、撮影した。

 そして、いざ悪戯の実行である。悪戯のため、旅行用とは別に用意しておいたカバンを身に着けた。口の大きい肩掛けカバン。A子さんはそれを背中側に回した。どうぞ中身を盗んでくださいと言わんばかりの身ごしらえである。そのカバンの中へ、件の写真容りダミー財布を忍ばせた。貴重品類は、ホテルの金庫へ預けておいた。

 その恰好で、A子さんは亭午の街をウロつき、敢えて人いきれの裡へ入り込んだりもした。他、わざとらしい位にトロそうな身振りで、典型的な ""カモ"" を演じたのだという。

 暫時そうしてから、A子さんはカバンの中を覗いた。ダミー財布は無くなっていた。盗まれた様だ。今頃、スリは仰天しているだろうか。それとも、未だ戦利品の値踏みはせずに、金の代わりにゴア写真が容っているとは気付かぬまま、胸中に財布を忍ばせて、街を漂揺しているのだろうか。ターゲットの反応が観れぬのは残念だが、悪戯は成功である。A子さんは北叟笑んだ。

 A子さんは宿に戻った。観光の楽しさに加え、悪戯の成功に由り、心身に狂的な昂りが生じた。A子さんは、まるで狩りが成功した肉食獣が如くの快味を、身の裡に得た。

 夜、ベッドに寝転がりつつデジタルカメラを操作し、今日撮影した情景を見ながら、罠に引っ掛かった間抜けなスリのことを考えていると、サディスティックな悦びが出来した。

 A子さんはデジタルカメラの電源を切り、ベッドサイドテーブルに置いた。部屋の明かりを消し、眠った。

 平生、A子さんは寝付きが悪かったが、その日は直ぐに眠れたのだという。


[6]

「それで、どうなったんですか」私は訊ねた。まさか、悪戯が成功しました、めでたしめでたし、では終わるまい。

 A子さんはB美さんを見、B美さんもA子さんを見た。2人して数秒見つめ合った後、A子さんはカバンから、デジタルカメラとA4サイズ位の大きさの紙を取り出した。そしてカメラを少し弄ってから、紙と一緒に私へ寄越した。

 カメラの画面には、ベッドにて眠るA子さんが映っている。紙の方には、外国語で何かが書かれている。英語ではない様だ。

「何ですか、これ」私は訊いた。

「写っているのは、旅先の宿で寝ている私です」A子さんは言った「さっきも言いましたけど、私はひとりで旅行したんです。部屋も、ひとりで泊まっていました。ドアも窓も、カギを掛けていました」


[7]

 悪戯の翌朝。目覚めたA子さんは、何の気なしにデジタルカメラを起動し、昨日撮影した写真を見返そうとした。

 起動したカメラの画面に、A子さんの寝姿が映し出された。

「寝ている間に、誰かに写真を撮られたってことですか」私は魯鈍な質問をした。

 A子さんはコクンと頷き、少し顫えた。それを見たB美さんが、A子さんの肩へ手をまわし、摩った。そして何故か、咎める様に私を睥睨した。

 あれだけのドギツイ作品を生み出す人間でも、怯えることがあるのだなぁと、私は些か場違いな感想を抱きつつ、復、B美さんの視線に気付かないフリをして訊ねた。

「それで、この紙は? 」

「サイドテーブルの上に書置きがあったんです。それのコピーです」A子さんの代わりに、B美さんが答えた。


[8]

 日本語に訳せば、書置きには綺麗な筆運びで、こう書かれているらしい。


 ""


  先ず、貴方様の御財嚢を窃取致しましたことを、お詫び申し上げます。まさか、

 愚生が掏摸を致しました御相手が同好の士で、而もその方は愚生など及びもつかぬ 

 程のマイスターであられましょうとは! 愚生は御作を拝見し、その素晴らしさに感  

 服致しました。まさか貴台の様な細腕の淑女が、これ程の傑作を生み出されますと

 は!


  巡り合わせとは誠、塵に過ぎぬ人間の理解を超えたものでございます。此度は神

 より下賜されし奇貨に由り、同好の士との遭逢という仕儀に立ち至りまして、愚生

 と致しましても、この僥倖に我が身が張り裂けんばかりの悦びを感じております。


僭越ながら、お荷物から貴方様のご住所を頂戴しました。幸い、愚生には犯歴が

 ございませんので、日本へも入国が許される身でございます。ですから、いつか日

 本を訪れました際には、控えました貴方様のご住所を訪ね、同好の士の謦咳に接す

 ることを望んでおります。


""


[9]

「置いてあったのは、その書置きだけじゃないんです」気を取り直したA子さんが言った「私が用意したのと同じような写真が数枚、部屋のドアの内側に貼り付けてあったんです」

 怯えた白人女性の写真。白人女性が痣、傷、血だらけになっている写真。生気の無くなった白人女性が床に仰臥する写真。白人女性の体に何十本もの刃物が突き立っている写真。手足が切断されダルマ状態になった白人女性(おそらくは死体)を、全頭マスクを被った全裸の男が犯している写真。

「先ず、日本大使館へ連絡しました。それから大使館経由で現地の警察へ。デジタルカメラ、書置き、部屋に残された写真を呈出しました。話の流れで、私は自身の悪戯についても説明しなければなりませんでした。私は物凄く怒られました」A子さんは言った「その時点では、私も写真、つまり白人女性が惨殺されて、遺体が凌辱されているそれが、フェイクだと思っていました。でも直ぐに、それが ""ホンモノ"" だと判明しました」

 写真の白人女性は、A子さんが其国を訪ねる1年程前に行方不明になり、半年前、極度に損壊した遺体が発見されていた。遺体の肉壷からは精液が検出された。犯人は捕まっていない。A子さんは警察から告げられたという。

「書置きも写真も、警察に渡しました。書置きは、袖の下を使ったらコピーを貰えました。さっき見せたのが、それです。結局、大騒動になって了て、暫く大使館に保護されました」

 畢竟、某国への滞在は、当初の予定よりも延びて了たという。帰国して直ぐ、A子さんは引っ越した。


[10]

 そこまで話が進んで、我々の間に沈黙が生じた。さて、どうレスポンスをしたものだろうかと私が逡巡していると、A子さんが口を開いた。

「何となくですけど、犯人は未だ捕まっていない様な気がするんです」A子さんは言った「それと、怖いんですけど、一方では得意になってもいるんです」

「は? 」と、思わず私は口に出した。

「そりゃ怖いですよ。無防備な寝姿をそんな危ない奴に晒して、挙句に写真まで撮られて、おまけに、お前の家まで行くって書置きされたんですから。でも」A子さんは続けた「そういう ""ホンモノ"" の奴に、 ""ホンモノ"" の写真だって思わせる位、私たちの作品は出来が好かったってことでしょう? 」

 今やA子さんは、不撓不屈の観を面上に呈しつつ、復、その目に悪光りを走らせていた。そして、えらいオプティミズムに満ちた生存者の口吻で以て、露骨に結果主義的な響きを纏わせた言いを続けた。

「怖い思いはしましたけど、私は生きているんです。死んでいないんです。つまり、んですよ」

「はぁ」と私は言った。

 すべては創作者の業かね、と些か呆れたのである。

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