樹上の旅人

篠岡遼佳

樹上の旅人

 


 とあるところに、ちいさな街と村々があった。

 

 あるとき、雨が一滴も降らなくなった。

 河は干上がり、食べ物は枯れ、森から獣も消えた。


 彼らは神に祈った。

 なんでもいい、命を繋ぐためなら、差し出せるものはすべて差し出すと。


 そこに、ひとりの旅人が通りかかった。


 事情を知ると、そのひとはあるだけの食物や水を村人に渡し、街の中心にある巨木にのぼった。

 地面からまるで飛び立つように、一度の跳躍で。

 照りつける日の中、最も高みへ進むと、すい、と何らかの紋を青すぎる空に描いた。


 するとどうか。

 ひび割れた大地の先、山々のむこうから、呼ばれるように黒い雲が沸き立った。

 雲はあっという間にあたりを包み、日を隠した。

 そして最初の一滴が、旅人のマントを濡らした――。






「かみさま、かみさま、そろそろ起きてください」


 少年の声が誰かを起こしている。

 ここは樹の上。だが、どういうわけか枝が避けるように伸び、平らになっている場所がある。

 そんなところに、マントを敷いて寝転がっている人物がいた。

 そのひとはごろごろと寝返りを打ち、長い金髪を面倒そうに払い、目を閉じたままこたえる。


「うーん、起きてる起きてる。ご飯もってきてー」

「目を開けて、ちゃんと身支度を調えたらご飯にします」

「どうして君はそう、しつけをする人間みたいなことを言うのさ」

「かみさまにはかみさまらしくいていただきたいからです!」


 小言を言う少年は、寝転がるひとの枕元に盆を置いて、自分もそこにぺたりと座った。


「はい、あさごはんですから、おきてくださいな」

「起きる!」


 ぱち、と目を開け、その人は身を起こした。

 座っていてもわかるが、背が大きい。髪はなおざりに伸ばしているようだ。

 そしてその瞳。紫水晶よりも深く明るい、菫のような珍しい色をしている。

 少年はその目に微笑み、


「おはようございます、かみさま」

「おはよう」

「ほんとうに、かみさまはごはん好きですね」

「まあね、食べないともたないし」

「かみさまなのに、なんだか人間みたいです」

「人間ではないね。かみさまでもないけど」


 言いながら、固めのパンに目玉焼きと豚肉の燻製を乗せたものを、ものすごい早さで食べている。食べ方はいたってきれいなので、少年はいつも通り「すごいなあ」と思いつつ、茶の用意をしてやる。



 旅人は、雨を呼んだことでこの町を救った。

 つまり、人々から大きな期待を寄せられることとなったのだ。

 かみさま、と呼ばれるようになってから、木の上に住むようになるまではそう時間はかからなかった。


 旅人からかみさまになったそのひとは、とりあえず、とまだ幼かった少年を指した。

 その子、預かるよ。どうやら親がもういないみたいだからね――。



 寝起きののんびりと憩う時間を、旅人だった「かみさま」は好む。

 しかし、本当はどんな物音も聞き逃さないような人だ、ということを少年は知っている。

 村や街を、ごろつきや野党から守ってくれるのもかみさまで、病に伏せる時に頼れるのもかみさまだった。



 少年が手渡した茶をごくごくと飲み干すと、かみさまは「ま、」と言う。 


「君のことは育てている途中だからね。大きくなったら、覚悟しておいたほうがいいよ」

「えっ、た……食べますか……?」

「人間を食べる趣味はないよ。いまのところね!」


 そう言って、少年の髪を撫でた。

 少年はかみさまより淡い金髪を持ち、そして、その瞳は月のような銀色をしていた。


「かわいいかわいい、『銀の瞳』くん。稀少な人間はぜひモノにしたいものさ。

 ほだしてほだしてほだしまくって、君がついてくるって言い出すまでね」

「?? ……よくわかりませんが、僕はかみさまのものですよ」


 ? と首を傾げる姿が小鳥のようで、元・旅人は微笑んだ。


「本当に私のものになったら、私のことを教えるよ。

 そして、一緒に世界を旅をしよう。一緒に生きていけるようにね――」


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樹上の旅人 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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