エピローグ 被験者殺しは青い春の夢を見るか
――水原さん、桜が綺麗だよ?
――植物学的には、バラ科サクラ属Prunus yedoensis Matsumura(プルヌス エドエンシス マツムラ)だけどね。
――風流もクソもないよね。
――ボクは賢いからね、もっと褒めて良いよ?
――褒めてないし。それに賢いだけじゃない、水原さんを知っちゃった今はなんともね……。
――それ、どういう意味かな?
ボクは、桜の花びらが舞い散るのを、ただ目を細めながら見上げる。
季節は回って。
何度も、通り過ぎて。
未だに、君を
「茜さんっ!」
ぶんぶんと、ひなたちゃんが手を振る。
高校生の制服姿の彼女。そして爽君に感慨深さを感じる一方。これだけの時間をかけて、まだ何ももできない自分に歯がゆさを感じる。
「茜ちゃん、ちょっと感傷的なんじゃない?」
「あーや?」
ちょんと、あーやがボクの隣に座る。
彼女も制服姿で。
この間に、代替わりを繰り返し、今のあーやで三代目。
サーバーとしての摩耗が、あまりに激しい。それだけ、ボクがあーやを酷使したということでもある。それなのに思う結果が出ないことに、焦りを感じていた。
旧世代から、
「研究は一日にしてならず、なんでしょ?」
あーやが、小さく笑む。それは初代に対して、ボクが言った言葉だった。これで、全世代から同じ言葉を投げかけられたことになる。
でも、だ。だとしても、時間をかけすぎている。つい自嘲気味な笑みが零れてしまった。
「……茜ちゃん?」
「あ、いや。【被験者殺し】が、いつもまでも未練たらしく、青春を追いかけているみたいじゃないか。実りのない研究は、実験室の研究者としては、さっさと割り切るべきだよね、ってそう思っただけだよ」
あーやは、沈黙して、奏君達の方を見やる。つまり、サーバーであるあーやから見ても、そういうことなんだろう……。
と、爽君とひなたちゃんが頷き合って。二人のLINKシステムは、より精度を増している。そろそろ次の段階に移っても――。
「へ?」
見れば、爽君もひなたちゃんも、全力でボク目がけて駆けてきた。
「「「せーので、どーんっ!!」」」
「え、え……え?!」
問答無用で、三人がボクにタックルをしかけてきたのだ。
バランスを崩したボクは、丘から転げ回ってぐるぐると回る。その衝撃で――。
(あれ、痛くない?)
見れば、ひなたちゃんが、ボクを抱きしめながら一緒に転がっていた。ひなたちゃんの制服は、葉っぱや花びらだらけで。きっと、ボクも同じような状況になっていると、容易に想像できる。
「ちょ、ちょっと、な、何が――」
とん、とひなたちゃんがボクの鼻頭を指先で突く。
「私、茜さんに殺されたこと、無いですから。だから【被験者殺し】って呼ばれ方、間違いだって思います」
考えながら、思考をめぐらしながら。でもひなたちゃんは、しっかりと言葉を紡いでいく。
あーやから爽君に。爽君からひなたちゃんに、バトンが渡されたらしい。LINKシステムを悪用しすぎである。
ひなたちゃんの気持ちは非常に嬉しい。本当に嬉しい。でも、ボクが廃棄寸前のサンプルを預かってデータを収集した事実、それは間違いないのだ。
「……それに、青春って。別に私たちだけの特権じゃないって思うんです」
それをボクに言ってしまうか。
思わず、苦笑が漏れた。
ボクに限らず、実験室の研究者は、戸籍データがない。
当たり前じゃない。
まっとうじゃないんだ、ボク達は。
ただ、目的のために時を食い潰している。
生きる屍という言葉があるのなら、それはボク達大人にこそ相応しくて――。
「諦めるつもりないんでしょう?」
あーやが囁く。
分からない。自分でもよく分からないんだ。
ただ、なかったことにはしたくない。
目を閉じたら、日原君が笑いかけてくれる。
日原君の声が聞こえてくる。
教室に行ったら、また日原君が笑ってくれるような気がして。
ずっと、そんな夢ばかり見ていていた。
「……だったら、諦めなければ良いだけです」
ぐっと、ひなたちゃんが拳を固める。
そっか、と。
妙に体のチカラが抜ける気がした。
「姉さんがムリだったら、きっと誰もが無理だから」
爽君が、そんなことを言ったら。
本気にしちゃうじゃないか。
その冷たさに、自分の罪深さを実感する。
それでも、歩みは止められない。
そう、歯を食いしばっていたけれど。
「夢を見ても良いのか……な?」
「夢を見なかったら、どうやって叶えるんですか?」
ひなたちゃんが、そうにっこり笑うの、本当にズルい。
その顔も次第に、ゆがんで――ぼやけて見える。
おかしいなぁ。
桜の花びらが舞う、この季節に。
目が乾燥する。
目が開けていられないくらいに、痛くて。
――水原さん。
君の囁く声が、また響くんだ。
――桜の花も綺麗だけど、さ。水原さんが一番綺麗だよね。
あのね、日原君。
そういうことを言うの、本当にズルいって思ってしまう。
未だに、こうやってボクに語りかけてくるの、本当にズルいから。
……日原君。
君はよく分かっていると思うけれどさ。
ボクはワガママだから。
絶対に、これで終わらせない。絶対に終わらせてあげないから――。
■■■
花弁が舞う。
頬を撫でる風が冷たい。
流れる感情も。
――水原さん。
今も、君の声が止まらない。
こんなの、本当にズルいよ。
ボクは、絶対に諦めないから。
だから――。
目を覚ましたら、覚悟してね?
実験室の
【了】
実験室のTray ~被験者殺しは青い春の夢を見るか~ 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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