5

 夏休み。予定さえなければ誰も目覚ましなんてかけない日々のなかで、俺は時計の短針が数字の6を指す前に目を覚ます。早起きしてまでやりたいことがあるわけでもないのに、だ。それには単純な理由がある。窓から真夏の激烈な日差しが射し込めば誰だって寝てはいられない。カーテン閉めたら、と友人は言う。そのとおりだ。俺も閉めたい。でも朝のあいだはカーテンを開けるというなかなかクレイジーな家訓のせいでそれができないのだ。

 目を開けて窓の外に目をやると、今日も抜けるような青空が広がっている。今日も暑くなるだろう。とりあえず部屋着に着替えてスマホを見た。とくに気にするような連絡は入っていない。朝食まではとくに何をするでもない時間だ。音がないのがさみしくて、見るつもりもないテレビをつけた。


 七時が朝食の時間だ。学校に行く朝も休みの朝も同じ。生活リズムが一定なのは望むところだからそこに文句はない。テレビを消して階段を下りる。あまり眠れていなかったのに朝日が俺を叩き起こしたせいで寝不足の感がある。

 もう疑いはしていないけど、昨日はとんでもない一日だった。最後は超至近距離で花火を眺めさえしたのだ。あんな夜を過ごしてすっと眠れるか。ずっとそう思ってはいたが、俺の感性が一般的なものであることが証明されたようだ。

 テーブルについてリビングのほうを見ると、いつもの頭がソファの背から覗いていた。あいつは休みになると俺より早くに朝ごはんを食べるようになる。テレビは朝の情報番組の天気予報を流していた。今日も全国的に晴れ。天気予報士お墨付きの猛暑日だそうだ。

 みそ汁をすすってご飯に箸をつける。ほうれん草があって卵焼きがあって焼き鮭がある。我が家の朝食ではよくあるラインナップだ。


「惟親、焼き鮭がおいしいぞ」


「おう、よかったじゃん」


 玉緒の頭越しにテレビを観る。いまは行楽地の情報の時間らしい。こうまで暑いと出かける気をなくしてしまうが、天気予報と時間を離さなくていいんだろうか。めちゃめちゃ暑いですけど外に出て遊びましょう、なんて苦笑いされそうなもんだけど。

 鮭に箸を伸ばす。たしかに美味い。味がしっかりしているとご飯がよく進む。よく噛みながらもういちどテレビのほうに視線を動かすと、なにか違和感があった。顔を手元の朝食からテレビに移すまでのあいだだ。いや待て、それはおかしいだろう。違和感が挟まるだけのスペースがない。それでも感覚にしたがって、いちおうまわりを確認してみた。テレビ、玉緒、ソファ。テーブル、冷蔵庫、ウリエル、朝食。

 ちょっと待った。


「おまっ、ウリエルじゃねえか!?」


「そうだ」


「芸術家のところに行くんじゃないのか?」


「残念ながら生まれる瀬戸際の芸術は毎日あるようなものではない」


 それはそうかもしれない。


「で、なんで当たり前みたいな顔して飯食ってんの?」


 銀の髪が後ろにまとめられていた。朝の光のなかで、玉緒がほれ込んだ白い肌がさらに白く際立っている。一般家庭のふつうの食卓におそろしく似合わない。二種類のなんでここにいる、が頭を駆け巡る。どんな経緯をたどってここにいる、という意味がひとつ。もうひとつは立場というか身分というか、そういうものが違い過ぎるのに問題はないのか、という意味だ。

 ウリエルは咀嚼をしてはいたが、視線をまっすぐ俺に向けていた。質問に答えるという強い意志を感じる。しかし箸きちんと使えるんだなこいつ。

 咀嚼が終わって口の中のものを飲み込むとやっと口を開いた。さすがというべきか天使は行儀の悪いことはしないらしい。


「玉緒に誘ってもらったことによる」


「ああ、あいつがせっかくだし、とか言ったのか」


「おそらく惟親は正確な意味を理解していない。私は昨日、花火が終わって惟親を下ろしたあとで玉緒のもとに向かった」


「は? あ、そうなの?」


「そして玉緒に望みを尋ねたのだ。助けてくれた恩人の願いを叶えるために」


 そういえば感謝するなら玉緒にしろ、とか言ったな俺。

 そこでウリエルは鼻を鳴らして、片っぽの口の端を上げた。いわゆるドヤ顔というやつだが、これは俺のウリエル像と一致しない。こいつは終始無表情だったはずだ。しかしどこか不自然だ。変な言い方だが、上手ではない。


「すると玉緒は言ってくれた。しばらくこっちにいなよ、と」


「あいつの願いでここにいるのかお前……」


「そうだ」


 短く答えるとウリエルは再び食事に取り掛かった。事情を知らなければ、その姿は日本で生まれ育った外国人のものだった。見ていると食べるスピードが遅かった。

 ……食べる? ちょっと待て。


「待てお前、ウリエル、さっきって……!」


 ウリエルはちらっとだけ俺と視線を合わせて、今度はみそ汁に手を伸ばした。それだけで俺は瞬間的にその意味を余すところなく理解した。


 天使を見たことがあるだろうか。俺はある。というか、うちにいる。

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ウリエルの美しい感情 箱女 @hako_onna

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