九尾の末裔なので最強を目指します【第四部】

斑猫

閑話 異界の門を預かりし者

 市内某所のとある屋敷。世間ではまだお正月気分が抜けきらぬ所であるが、この屋敷ではそう言った事は無関係であると言わんばかりの空気を醸し出していた。

 それもそのはずである。ここの住民たちは盆暮れ正月を気にする手合いでは無い。と言うよりも世間で流通している暦を気にしていない、と言った方が正しいであろうか。現在この土地で使われている暦はグレコリオ暦と呼ばれるものである。このグレコリオ暦が採用されたのは明治の初期、要は百五十年程度しか使われていない暦なのだ。

 もちろん寿命の短い人間であれば、グレコリオ暦がカレンダーの暦だと思う事は無理からぬ話だろう。しかし、人間よりもはるかに長い年月を生き続ける妖怪となれば話も異なってくる。百年などと言う歳月は、妖怪であれば苦も無く過ごしてしまうような年月に過ぎないのだから。

 要するに、この屋敷の住民たちは人間などではなく、グレコリオ暦以前の暦を知っている妖怪の類であるという事なのだ。もっとも彼らは人間や妖怪たちが使っていたような暦を有難がる手合いでは無いし、若干一名は妖怪と無邪気に呼んで良い存在なのかどうかすら定かではないのだが。

 さて、異形たちの中でも特に浮世離れした面々が集まるこの屋敷の中では、一体何が繰り広げられているというのだろうか。


「イルマ、お客さんが来るって話があったのにブラブラと……どこをほっつき歩いていたの?」


 屋敷の女あるじである碧松姫は、赤絨毯で敷き詰められた部屋にやってきた異形を見るや、呆れたように問いただした。応接室の中央には丸い猫足のテーブルが配置されており、その上にはアフタヌーンティースタンドが鎮座している。応接室の重厚な雰囲気も相まって、中々に優雅なティータイムでも始まりそうな気配である。

 但し――スタンドの上に載っているお菓子の類が、蟲やら爬虫類やらと言った人間基準で言う所のゲテモノ、更には何がしかの生物――もしかしたら妖怪のモノも含まれているかもしれない――の鮮血滴る肉片や臓物であるわけなのだが。

 もちろんそうした物に臆する者は誰もいない。イルマと呼ばれた異形は言うまでもなく、女あるじの碧松姫へきしょうきや食客の八頭怪、そして――客妖きゃくじんとして相対する妖怪でさえも。


「そんなに怒らないで下さいや、碧松姫様。下界の様子をちょっくら偵察していたんですよう」


 異形の青年たるイルマは、ややもっさりとした口調で碧松姫の問いに応じた。この土地の訛り、要は関西弁とは異なるニュアンスの物言いであるのは、彼の生まれつきの癖のようであった。碧松姫が目的のために道ヲ開ケル者と交わった果てに生まれた存在であり、異形の中の異形であるとも言える存在であろう。

 女あるじの碧松姫や、八頭怪にしてみれば目的を果たすための道具に過ぎないのだけれど。


「下界の偵察に行っていたのね。イルマ君、お正月早々頑張ってるんだね、お疲れ様」


 屈託のない口調で言ってのけるのは客妖だった。もちろん彼女もイルマの素性については知っている。知った上で無邪気に彼の行動を微笑ましく思い、ねぎらいの言葉をかけていたのだ。彼女自身はある意味普通の妖怪ともいえるのだろうが、肝が据わっている事には変わりはない。

 何しろ碧松姫は彼女の母親であり、したがってイルマは彼女の異父弟に当たるのだから。手駒として碧松姫に利用され、それでもなお碧松姫に忠義を誓っているという点でもイルマと相通じるところがあった。

 イルマが彼女に心を開き、親しげに姉さんと呼ぶのもそのためだったのかもしれない。


「お正月、確かにお正月って言ってたよ。ああ、神社とかお寺とかいう色々な物を祀っている所に、人とか、獣の化けたのとか、いーっぱい集まってたよ。何か犬の絵が多くて、それがちょっと怖くて嫌だったけれど」

「今年は戌年らしいからねぇ、犬の絵が多いのも仕方ないよイルマ君」


 イルマの妙にたどたどしく癖のある言葉に指摘を入れたのは、食客である八頭怪だった。地球上での暑さ寒さならば特段苦にはならないらしく、相変わらずスラックスにワイシャツ、そしてその上に濃紺のチョッキを身にまとった、冬場にしてはやけにあっさりとした出で立ちである。

 七つの小鳥の頭で首許を飾る彼の正体は、道ヲ開ケル者の遣いであり尚且つ子孫でもあった。イルマに対して多少優しさを見せているのは、イルマが道ヲ開ケル者の落とし子であるからに他ならない。


「イルマ君。この国では十二年おきにこの年はコレ! って言う畜生が割り当てられているんだよ。それでさ、今年は何と犬畜生が割り当てられているんだよね。そんな訳で、今年は犬畜生共が大きな顔をしてのさばっているかもしれないからさ、イルマ君も碧松姫ちゃんたちも気を付けてね! ボクも、犬畜生には碌な目に遭わなかったからさ」


 八頭怪はそう言うと、首飾りの端っこをそっと撫でていた。


「そうは言っても八頭怪様。八頭怪様の頭を食いちぎったのは、凡犬駄犬ではなくて恐るべき哮天犬こうてんけんだったんですよね。であれば、イルマも八頭怪様もその辺の駄犬を畏れる必要はないんじゃないの?」

「頭を食いちぎったって碧松姫ちゃーん。火の玉直球ストレートで言っちゃったねぇ」


 へらりと笑う八頭怪であるが、その顔には渋いものが浮かんでいた。碧松姫の言葉は事実だったからだ。

 八頭怪は元々九頭駙馬きゅうとうふばと呼ばれていた。姉である九頭雉鶏精きゅうとうちけいせいと同じく九個の頭を持ち、尚且つ龍王の許に婿入りしていたからだ。かつての大陸では、王女への婿の事を駙馬と呼ぶ時期があったのだ。

 それはさておき、哮天犬は八頭怪にとって忌まわしい敗北と敗走を思い起こさせる存在に他ならなかった。邪神の力を有し、尚且つ龍王にまで認められるほどに強かったにもかかわらず、無様に血を流しながら逃れる他なかったのだから。

 しかも、それ以来哮天犬以外の犬にさえも恐怖心を抱くようになったのだから何とも忌々しい話である。 

 だが――八頭怪や彼の親族と犬との因縁は浅からぬものであるのもまた事実である。イルマの異母兄であるウィルバーは、犬に喰い殺されて生命を落としている。そもそも大前提として、道ヲ開ケル者は常に鋭角ヨリ出ヅル狗と相争っているではないか。鋭角のアレは地球上の犬とは異なるのだが。


「まぁでもイルマ君の異母兄に当たるウィル君はさ、ご存じの通り犬に食い殺されちゃったわけだし、イルマ君も気を付けるのに越した事は無いよ。狂犬病とか感染症もあるだろうからね」


 それに――忌々しさと面白さとをないまぜにしたようないびつな笑みを浮かべ、八頭怪は言葉を続ける。


「実際の哮天犬の野郎がやってこないにしても、哮天犬を模した術式を組み込むアホがいるからね。例えば仙人気取りのメス雉とかさ」


 仙人気取りのメス雉。その言葉に碧松姫とその娘は反応していた。碧松姫はあーっ、と大げさに声を上げている。客妖である娘の方はそんなに派手な動きはないが、それでも身じろぎをしたのだった。


「それって紅藤の事でしょ。あいつ、単なる野良の雑魚妖怪だった癖に……まだ胡喜媚様の威光に縋りついて、それで権力を得てふんぞり返っているんでしょ。忌々しいったらありゃしない」

「あのメス雉はそう言う所ばっかり変に知恵が回るからねぇ……でもさ、あいつの部下たちは付け入る隙が十二分にあるはずさ。特にペットの仔狐とか、哺乳類の癖にスカイフィッシュ気取りのチビ雷獣とかさ」

「八頭怪様の仰る通りだとは思いますわ。ですが……」


 思案顔で告げたのは、客妖である碧松姫の娘だった。


「八頭怪様は既にあの二匹に接触を図っていて、それで既に警戒されているんですよね。であれば、そのような状態なのにすぐに動くのは悪手ではないでしょうか」

「それもそうだよねぇ……」


 やはり星辰が揃うのを待つべきなのかもね。そんな風に八頭怪が呟いたその時、応接室の隅で控えていたイルマがすっと動いた。


「どうしたのイルマ。せわしないわね」

「ネズミがいたんです、碧松姫様……」

「ネズミね。ああ、それなら構わないわ」


 それなら好きになさい。ひらひらと手を振る碧松姫の姿に、イルマは静かに微笑んだ。屋敷の中をうろつくネズミの駆除、と言うよりも捕獲と捕食の許可を得る事が出来たからだ。

 少しだけ失礼します。そう言ってイルマはその身をにゅるにゅると縮ませ、触手と鱗にまみれた不可思議な姿でネズミを追跡した。

 ネズミ自体はあっさりと捕食できた。だが――ネズミに付着していたごくごく小さな生き物を取り逃がした事に、若きイルマはついぞ気付かなかったのである。

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