第十幕:コカトリスの眼鏡と宝石ドラゴンの瞳
新年妖怪言い放題
「金曜日の夜の事は花金って言うらしいね。雷園寺君と島崎君は若いから、もしかしたら馴染みの薄い言葉かもね」
「……そう言う言葉があるって事は存じてます」
「僕も。子供の頃に聞いた事があるなぁってレベルだけどね」
研究センターの面子が揃う新年会は、一月五日の夜に開催された。金曜日の夜であり、多少遅くなろうとも酒が入ろうとも特段問題はないと上が判断したがための日取りだった。場所は吉崎町の中心部にある居酒屋である。職場の近くが会場として選ばれたのは、ひとえに若妖怪たちの……特に源吾郎の事を慮っての処置であるらしい。源吾郎自身は運転免許を取得してはいる。しかし自家用車はまだ手許には無かった。今の所はママチャリ等でどうにかなっているのだが、もう少し蓄えが出来てから購入するつもりである。
と言うか今回も、雪羽と共に萩尾丸の車でここまで輸送されてきたわけであるし。
萩尾丸の口から花金が出てきたのは、単純に今がまさにその状況であると思い至ったからに過ぎない話だ。しかも彼の眼前には、あつらえたように仔狐たる源吾郎と幼獣たる雪羽がいるのだから。
年長者が若者に昔語りを行いたがる。人間社会ではよくある事らしいが、妖怪社会でももちろん珍しい事でも何でもない。いやむしろ、妖怪社会の方が人間社会のそれよりも多いのではなかろうか。妖怪は人間よりもはるかに長命であるのだから。現に萩尾丸だって、源吾郎にしてみれば実の親より年長の上司にあたる。それはきっと、隣に座る雪羽にも当てはまる事なのだろうが。
「まぁ君らになじみの薄い言葉なのはしょうがないよね。かれこれ三十年ほど前に盛んに言われていた言葉なんだからさ。雷園寺君はまだほんの子供だったろうし、島崎君に至ってはまだ生まれてなかったもんね。むしろそれでも知っていたから感心だよ」
まぁ俺には年長の兄姉がいるし。源吾郎はそう思いながら頷いておいた。末っ子で未だに仔狐扱いされてしまう源吾郎であるから、どのように振舞えば波風を立てず、尚且つ可愛がってもらえるのかはよく解っていた。ましてや今回の相手は萩尾丸である。従順で可愛い仔狐を演じていた方がメリットがあると源吾郎は判断していたのだ。
「そりゃあ僕だってさ、人間とか若い
「……言うて今の暦になったのって百五十年前ですぜ、島崎先輩。叔父貴だって昔の暦なんてほとんど知らないし」
何故かドヤ顔で告げる萩尾丸の言葉に、雪羽が源吾郎の方を向いてぼやいた。雪羽の保護者である三國は百五十を迎えたかどうかの若妖怪である。明治初期の産まれであろうから、年代的にも年齢的にも若妖怪に分類されてしまう。
そんな三國に養育されてきた雪羽にしてみれば、萩尾丸は途方もない歳月を生き抜いた大妖怪であり、彼の言う過去は化石じみた大昔の出来事という物なのだろう。そこは源吾郎も同意見であるのだが。
だからこそ、源吾郎も小さく頷いて同意を示したのだった。
「……萩尾丸。お酒の席だからって調子に乗って、昔の事とかを言ってマウントを取ったら嫌われちゃうわよ? そもそも、今のグレコリオ暦になるまでに暦なんて何度も変わってるのよ。だからその、私が馴染みのある暦と萩尾丸や青松丸が馴染みのある暦だって多分違うかもしれないし」
「ははは、紅藤様の仰る通りでして」
紅藤にたしなめられると、萩尾丸も若干大人しくなった。ゆうに六百年以上生きている紅藤は、妖怪たちの間でも長い年月を生きた存在であると見做される。それこそ、萩尾丸を自分の息子と呼んでも遜色のない年齢差を保持しているのだ。
なんだかんだ言いつつも、大天狗である萩尾丸も、紅藤の前では数少ない弟子の一人であり、忠実な部下に過ぎないという事だ。
「まぁその……僕としては土日が来るのを待ち遠しく思っているような若人たちがどうしても軟弱に見えましてね。いやはや、僕もヤキが回ったのかもしれませんが」
「そんな、私よりも三百歳近く萩尾丸の方が若いのに、ヤキが回っただなんて言わないで頂戴。そんな事ばっかり言ってたら、私もさっさと隠居しちゃうわよ。
冗談はさておき、私も休日とかはあんまり気にしないという所には同意見ですけれど。青松丸もそうだろうけれど」
そうでしょ? 母親であり師範である紅藤に唐突に話題を振られ、青松丸は目を丸くしつつも頷いていた。しかしその視線はすぐに紅藤たちからそれて、源吾郎や雪羽を見やったのだ。
「まぁ僕らは研究職ですからね……それはそうと、お正月休みはどうだったかな? サカイさんも島崎君も雷園寺君も昨日から元気に出勤しているし、仕事の休みは取れたと思うんだけど」
青松丸はそう言うと、暗い赤褐色の瞳を源吾郎たちに向けた。言いたい事を言い放題に言ってのけた萩尾丸とは異なり、若い後輩たちを気遣うような優しい言葉である。彼は立場的に萩尾丸の弟分に収まっているそうだが、萩尾丸とはえらい違いである。
「はい。僕も実家でのんびり過ごす事が出来ました。両親も、兄姉たちも普段通りでしたし」
「僕の所は
明日か明後日に叔母と弟妹達も退院して、家に戻れるんですよ」
「わ、私は独り身だから気ままに年末年始は過ごしちゃいました。私も、本当は年末年始とか、騒がしいイベントは好きなんですよ。その裏で、皆の心の隙間が出来て、それで御馳走が増えるから……」
年末年始の過ごし方の返答については三者三様であった。特に新たに弟妹が産まれた雪羽などは、さも嬉しそうに頬を火照らせているではないか。
その一方でサカイ先輩の休みの過ごし方も中々にユニークである。イベント好きであるというのは意外に思えたが、心の隙間だのそれで御馳走が増えるというくだりで源吾郎は何となく言わんとしている事を察してしまったのだ。
それはさておき、源吾郎は表情を引き締めて青松丸を見つめ返した。
「青松丸先輩。年末休みの間、ホップの面倒を見てくださってありがとうございました」
「良いんだよ島崎君。ホップちゃんだって君の家族なんだし、島崎君は島崎君で実家の都合があったもんね」
源吾郎の言葉に、青松丸は穏やかな笑みを見せていた。
先程の話の通り、源吾郎は正月休みの間は実家に滞在していたのだ。その間、使い魔兼ペットのホップの世話を、青松丸と紅藤に依頼していたのである。妖怪化していると言えども、ホップはまだ小さな十姉妹に過ぎない。慣れない環境下に一週間近く晒してしまう事、そもそも寒風吹きすさぶ中を連れ歩く事自体が危険であろうと判断したが故の選択だった。
結局のところ、青松丸は何くれとなくホップの面倒を見てくれた。源吾郎のスマホに撮影したホップの様子を転送してくれたわけであるし、源吾郎が放鳥させる時間に放鳥させてくれてもいたらしい。
そんな訳で、ホップは何も不安を感じずに、飼い主不在の一週間を過ごしていたらしい。もっとも、青松丸はミルワームやブドウ虫と言った芋虫の類もホップに与えていたらしく、その辺りを源吾郎がどのようにフォローするかがささやかな悩みだった。
青松丸もホップも鳥類であるから、芋虫の類は大好物である。しかし源吾郎は芋虫の類は苦手であり、したがって今までもホップには与えずに過ごしてきた。
とはいえ自分も観念して、ミルワームを購入すべきなのかもしれないが。そこはホップと協議(?)して決定せねばならない案件であろう。
※
「はい、こちら彩りシーザーサラダと取り皿でございます」
源吾郎とさほど歳の変わらぬ店員が、丸盆の上にサラダと取り皿を運びにやってきた。萩尾丸が声を上げたのは、店員がサラダをテーブルの中央に置いた直後の事である。
「ほら雷園寺君。取り皿を受け取って僕たちに配っておくれ」
「え、俺?」
驚きのあまり、雪羽はタメ口に近い内容で萩尾丸に質問を投げかけている。ところが、驚いているのは何も雪羽だけではなかったのだ。
「雷園寺って……まさかあの雷獣の名家の御子息……?」
震えて上ずった声を上げるのはサラダと取り皿を運んできた青年だった。萩尾丸はそんな彼の姿を見ると、人畜無害そうな爽やかな笑みを向け始めた。
「気にしないで大丈夫だよ相沢君。確かに君らの中では雷園寺君は
相沢青年は、頷く事も忘れて気の抜けた声を発するだけであった。
ともあれ、雪羽は取り皿を彼から受け取って、萩尾丸の言いつけ通り皿配りを行う事と相成った。
「……相沢さん、でしたっけ。あのヒトは人間みたいだったんですが」
「そうだね。雷園寺君の事を知っていたから、きっと術者の卵かその縁者なんだろうね。妖怪向けのこのお店で働いているんだし」
妖怪と関わる事を生業とする術者たちであるが、誰もかれもが悪妖怪の摘発や妖怪絡みのトラブル解決に携わっている訳ではない。むしろ、妖怪向けの施設や店舗に就職しているだけと言う人間も多い事は源吾郎も今ではきちんと知っている。
それこそ、鳥園寺家の当主になる事が決まってしまった鳥園寺さんだって、工場勤務の身分なのだから。
「それにしても、何で俺……じゃなくて僕にお皿運びなんかを急に頼んだんですか?」
少し間を置いてから雪羽が問う。唐突に命じられた事に不満を持っているのか、少し恨めしそうな表情を見せている。雪羽の事を可愛い仔猫と称した萩尾丸は、その眼差しを見てもたじろぐことはもちろん無い。
「島崎君は最初におしぼりとかお箸を僕たちに配ってくれたでしょ。であれば君にも何か頼まないとって思ったんだ。今となってはこの研究センターの中で君と島崎君が最年少だからね」
最年少と言う所を殊更に萩尾丸が強調していたのを源吾郎は聞き逃さなかった。お茶出しや手土産の配布など、細々とした雑務は年少者が行う事。これこそが研究センター内のルールであった。少人数ながらもヒエラルキーがはっきりと決まっている研究センターらしいルールであると源吾郎は思っていた。研究センター内は特に年功序列ではない。それでも妖怪としての特質上、年長者が上位に控え年少者の地位は低いという流れになっていた。
そんな中で、研究センター内で源吾郎と雪羽の地位が最下位である事は言うまでもない。源吾郎は昨年の春に入社したばかりの新人であるし、雪羽に至ってはおイタの懲罰で萩尾丸に確保され、彼の一存で研究センター送りになっているだけなのだから。
若い者が新年会でも雑用をやれ。ある意味パワハラじみたものなのかもしれない。だが女子社員はサラダを取り分けろ、と言う主張よりは幾分健全なのではないかと源吾郎は思っていた。年少者・あるいは地位の低い存在と言うのは性別に依存している訳ではないためだ。源吾郎や雪羽の存在のために、すきま女のサカイ先輩はこれまで行っていた雑事を彼らに託すことが出来たのだから。
「僕の所で寝泊まりしている時と同じだよ、雷園寺君。ちゃんと色々やってくれているじゃないか」
優しげな口調で萩尾丸はそう言ってから、何かを思い出したようにすうっと目を細めた。
「それにね雷園寺君。君は今年からは、生誕祭ではスタッフとして参加してもらう事が決まっているからね。もちろん、三國君たちの許可は貰っているよ」
「生誕祭で……俺がスタッフなの……?」
雪羽は翠眼を丸く見開いて萩尾丸を見つめていた。半年以上先の事を言われてもそりゃあ確かに戸惑うだろう。
雪羽が驚いている事は見ての通りであるが、源吾郎は萩尾丸の妙に律義な部分にひとり感心していた。現在、雪羽の身柄は萩尾丸が確保している。グラスタワーの事件があった折に、懲罰の一環として三國から雪羽を取り上げ、その後の諸々を萩尾丸が管理しているのだ。
その際に雪羽の扱いに関しては「心身の損壊及び殺害を行わない限り何を行っても構わない」と言った取り決めを三國に押し付けているらしいのだが……実際には萩尾丸も結構雪羽をどう扱うかについて三國にあれこれ問い合わせているようだった。
生誕祭の折に雪羽をスタッフとして働かせるという案件について、敢えて三國の名を出したのも萩尾丸がわざわざ問い合わせたからなのかもしれない。立場上、三國が萩尾丸の申し出に頷かざるを得なかったとしてもだ。
さて萩尾丸はと言うと、驚く雪羽をさも愉快そうに眺めながらゆったりと頷いていた。
「そうだとも雷園寺君。元々君は三國君の甥っ子として、もてなされる側にいたのは僕も知ってるよ。三國君も三國君で、君を有能な妖物として見せびらかしたかった事も僕は知っている。
しかし雷園寺君。そうして君を生誕祭の場で野放しにしていたら碌な事にならないって言う事が昨年めでたく判明したからね。もちろんその事は君も知ってるでしょ?」
「…………」
雪羽は黙って視線をテーブルに落とした。答えられないのでは無くて答えたくないだけである事は源吾郎には痛いほど解っていた。グラスタワー事件は源吾郎の心にショックを与えた代物であるが、それは雪羽にとっても同じ事だったのだ。
「ははははは、ウェイトレスだとかウェイターに絡んできた君の事だ。そう言ったおイタがよろしくないって事を知るためにも、君自身がウェイターとして働くというのは良い勉強になるんじゃあないかな。
それに君はまだ若いから、僕らみたいな幹部や重臣たちの話を聞いていても、退屈に思うかもしれないし」
「……確かに萩尾丸先輩の言う通りですね」
生誕祭の場でウェイターとして立ち働く事も教育の一つなのだ。萩尾丸のその言葉に、源吾郎はいたく納得していた。納得したからこそ、未だ動揺する雪羽に励ましの言葉をかける事が出来そうだと思っていた。
「まぁ気を落としなさんな雷園寺君。今年はそんな感じかもしれないけれど、君が真面目に働くのを見たら、萩尾丸先輩も許してくれるかもしれないからさ。
雷園寺君、君はもうヤンチャはやめて真面目にやるって心に決めたんだろう? だったら大丈夫だって俺は思ってるからさ」
「先輩……」
雪羽の首が動き、静かにこちらに視線を向ける。潤んだ翠眼はいっそ幼げだった。だが源吾郎は雪羽の次の言葉を聞く事は出来なかった。その前に萩尾丸が口を開いたからである。
「ちなみに、島崎君も今年はスタッフ枠だからね。島崎源吾郎本人としてウェイターになっても構わないし、去年みたいに宮坂京子とか他の姿でウェイトレスに扮してくれても構わないからね」
「え」
源吾郎も今年の生誕祭はスタッフ枠である。無情なる萩尾丸の宣言に、源吾郎の喉から妙な声が漏れてしまった。
萩尾丸の言葉と源吾郎の反応がおかしかったのか、にわかにテーブルがざわつき、笑い声がほとばしった。雪羽も先程までの表情は何処へやら、身体を震わせて笑っていた。調子の良い奴め。そう思いながらも源吾郎も場の空気に飲まれて笑い始めたのだった。
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