鳥籠ながめてお泊り会

 新年会が終わり、源吾郎は住処である研究センターの居住区に舞い戻っていた。行きしなと同じように、萩尾丸が車で送ってくれたのだ。雪羽と共に。

 一緒に輸送された雪羽はと言うと、何と今回は源吾郎の部屋に泊まっていくという事であった。急な申し出ではあるものの、源吾郎も特にこだわりなく受け入れた。雪羽が源吾郎の部屋に泊まるのは今回が初めてではない。昨年の秋も二度ほど雪羽を止めた事があるのだが、お行儀よくしてくれる事は源吾郎も既に知っている。

 愛鳥であるホップを無闇に怖がらせる事も無いし、そうした点でも懸念点は殆ど無かったのだ。


「急な申し出なのにありがと、島崎先輩」


 雪羽はそう言って床の上に胡坐をかいた。腰の付け根から伸びた三尾はおのれの胴にゆるく巻き付いており、そのうちの一本に手を添えていた。座った猫が身体に尻尾を巻き付ける仕草そのままである。


「別に俺は大丈夫だよ、雷園寺君」


 周囲の様子をうかがう雪羽の姿に神経質そうなものを見出した源吾郎は、柔らかな声音で応じてやった。


「雷園寺君は前も何度か俺の部屋に泊まったでしょ。君と俺の仲だ、緊張せずにくつろいでくれよな」

「うん……それにしてもさ、萩尾丸さんも割とあっさりとここに泊まるのを許可してくれたよな。と言うよりも、良いから島崎君の所に泊まっていきなよ、って俺に促したくらいだぜ。何というか、俺たちに好きなようにさせるふりをして、自分の思惑通りに動かそうとするところがあるよな、萩尾丸さんって」


 そう言って雪羽は歯を見せて笑った。この度雪羽が源吾郎の許に泊り込む事も、もちろん萩尾丸から許可を貰ったうえでの事である。源吾郎も雪羽が申し出て萩尾丸が承諾する所は目の当たりにしていた。

 

「まぁここは俺の部屋だけど、紅藤様の居住区でもあるからね。外泊するにしても安全な所だと萩尾丸先輩も判断なすったんじゃないかな。

……万が一の事があれば、青松丸先輩や紅藤様が駆けつける事もあるらしいし」

「プ……ププ?」


 源吾郎の呟きと共に、ホップが小さく啼いて応じた。ホップは既に眠っていると思っていたのだが、或いは雪羽の気配や二人のやり取りで目を醒ましたのかもしれない。

 ホップの事はさておき、この居住区が源吾郎たちにとって安全な場所の一つである事はまごう事なき事実だった。何せこの居住区は、紅藤と青松丸もまた暮らしている場所であるのだから。八頭衆どころか雉鶏精一派内でも最強と目される紅藤の管轄下なのだ。敵妖怪が攻め込んでくるという異常事態はまず起こらないであろう。

 それにグラスタワー事件直後とは異なり、源吾郎も雪羽ももはや互いに気心が知れた間柄になっている。その事を萩尾丸がきちんと把握しているのも言うまでもない。何となれば、雷園寺家の事件の折に源吾郎が繁栄の象徴として雷園寺雪羽に憑いていると周囲に知らしめたくらいなのだから。


「そっか。確かに紅藤様もご子息の青松丸さんも、研究センターの近くに作られた居住区で暮らしてらっしゃるって話だったもんねぇ。それで、島崎先輩もその居住区の一室を間借りしてるって事なんだね」


 そう言う事さ。源吾郎が頷くと、雪羽は頬を緩めていたずらっぽく笑った。


「あはは、先輩もやっぱり甘えん坊なんですね。仔狐じゃないって家族の皆に知らしめるために実家を離れたのに、わざわざ上司が暮らしている居住区に身を寄せるなんて」

「べ、別に俺は、一人暮らしが寂しくなったからってショボい理由でここに居を構えている訳じゃあないんだぞ」


 言い返してから、源吾郎は我に返って二、三度深呼吸して気持ちを落ち着かせた。別に本気で腹を立てた訳では無い。しかし雪羽に甘えん坊と言われてしまい、ついついムキになってしまったのだ。

 源吾郎自身はそれほど甘えん坊ではないのだが、雪羽は源吾郎を甘えん坊だと見做す事が往々にして見受けられた。源吾郎の甘え上手の技能と甘えん坊な気質を混同しているためなのか、雪羽自身が甘えん坊で寂しがり屋だからなのかは定かではないが。

 用心深く鳥籠の中を窺いながら、源吾郎はそちらを指し示した。ホップはすでに起きてしまっており、鳥籠に内側からへばりついている。


「てか雷園寺君。元々俺は別のアパートで一人暮らしをやってたって事は知ってるんじゃなかったっけ。

 単刀直入に言うとだな、ホップを拾って飼い始めたから、向こうのアパートからこの居住区に引っ越したんだ。別に俺一人だったら、職場から家まで離れてたって特段問題は無いんだよ。だけど……ホップに何かあってもいけないから」

「そっか、そう言う事だったんですね、島崎先輩」


 ホップの安全を考えて引っ越した。源吾郎のこの主張を雪羽は笑い飛ばす事は無かった。それどころか、真剣な表情を浮かべてこちらを見据えているくらいだ。


「先輩は小鳥ちゃんの事を大切にしてますもんね。であれば、安全に暮らせるように思うのは当然の事だと俺は思うよ」

「解ってくれて嬉しいぜ、雷園寺君よ」


 源吾郎はそう言って微笑む一方で、場の空気が重たくなったのを肌で感じてもいた。大切な相手の幸せを願い、そして大切な相手を護る事。その事を雪羽が常日頃からかなり真剣に考えている事は知っている。

 特にホップの場合、源吾郎が弟みたいだと言っていた事もまた大きいのかもしれない。雪羽にも弟妹達がいるのだから。

 無論、雪羽の考えがどうであれ、源吾郎がホップの事を大切な弟分であると思っている事もまた事実だった。友人が飼育していた飼い鳥だったホップは、源吾郎の存在によって妖怪化し、しかも源吾郎の許にやってきたのだから。友である廣川千絵の為にも、何よりホップ自身の為にも、源吾郎はホップを大切に育てなければならない。源吾郎とてそう思っていたのだから。

 

「今回の帰省の時も、青松丸さんがホップの面倒を見てくださったからね。鳥園寺さんからはホップは鳥妖怪だからペットホテルに預けるのは難しいだろうし、そもそも予約はうんと前から入れておかないと埋まってるって教えてくださりましたし……

 まぁでも、紅藤様や青松丸さんもホップの事を可愛がってくださるんで一安心だよ。今の所ホップは元気そのものなんだけど、何かあった時にも相談に乗ってくださるでしょうし、場合によっては診断してくれるかもしれないからさ」

「そりゃそうだろうね島崎君。紅藤様は雉仙女って呼ばれているんでしょ。鳥類で尚且つ妖怪仙人なんだから、確かに小鳥ちゃんの様子を見るのは簡単な事だろうね。それにあのお方は俺にも優しくしてくれるし」


 雪羽はそう言うと、何となく照れたような、それでいて少し寂しそうな表情を唐突に浮かべた。悪ガキとしてヤンチャを働いていた雪羽であるのだが、時折こうしてしおらしい態度が表出する時があるのだ。そうした態度こそが、彼の本来の繊細な心根を示しているように思えてならなかった。

 一方で、源吾郎には実の所紅藤が雪羽に優しい理由を何となく察してはいた。そもそもとして紅藤は若い妖怪に親切で優しいのだ。萩尾丸と言うパワハラの権化のような大妖怪が傍にいるから余計に際立つのかもしれない。

 それに、紆余曲折はあったものの、雪羽はいつの間にか研究センターの研修生と言う身分を獲得していた。雪羽再教育のどさくさに紛れ、紅藤も雪羽を研究センターの妖員じんいんと見做してしまったのである。雪羽が実際にセンター長の地位を受け継ぐのかどうかは現時点では解らない。しかし一方で研究者としての素質も源吾郎以上に持ち合わせているのも事実である。色々と将来有望だと紅藤も思っていて、それで余計に優しくしているのかもしれなかった。


「雷園寺君ってば新年早々しんみりしちゃってるなぁ。何だよ、新年会の場では結構テンションも高かったじゃないか」

「新年会の場でテンションが高かったから、その反動でしんみりしちゃったのかも」


 でもさ! 雪羽は腕と肩を軽く回すと、明るい笑みをたたえて源吾郎の方を見やった。


「先輩と色々と話をしていたら、そのしんみりした空気も吹き飛ばせるかもしれないかなって思ってるんだ。先輩と話してると、色々と面白い時とかあるし」

「その言い方だと俺自身が面白いみたいなニュアンスになるんだけどなぁ……まぁ良いけど。言うて雷園寺君も面白い時があるからな!」


 源吾郎の言葉がウケたのか、雪羽はここで思わず吹き出し始めていた。

 やっぱり雷園寺も何か俺に話したい事があって、それが解っていたから萩尾丸先輩も雷園寺が俺の部屋に泊り込むのを許可したのかも。

 無邪気に笑う雪羽の姿を眺めながら、源吾郎は静かに思っていた。正月休みの最終日に顔を合わせて世間話をしたものの、その時では語りきれなかった事はお互いあるはずだ。家に帰る時間を気にせずに語り合うのもまた一興であろう。源吾郎はそう思っていたのだ。

 鳥籠を見やると、ホップは既につぼ巣の中に引き戻っていた。

 雪羽がこの部屋に泊り込むのは初めての事ではない。しかし今宵は長い夜になりそうだ。そんな予感が、源吾郎の胸の中でわだかまっていた。

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