狐の憩いは初デート
土曜日は港町に出向く予定が入っていた。それもただブラブラ遊ぶだけではない。米田さんに会うという、源吾郎的には大イベントが控えているようなものだった。
念願かなっての米田さんとのデート、と声に出して言いたいところであるが、大々的にデートと言い切るのは少し気が引けた。互いに想い合っている相手が会う事こそがデートであるという、妙にかたくなな考えが源吾郎の中にあったからだ。
源吾郎は既に米田さんに対して想いを寄せているのだが、向こうがどのように思っているのかは現時点では解らない。少なくとも源吾郎の誘いに応じてくれたのだから、それは僥倖と言うべきであろう。
もっとも源吾郎も、狡猾にも自称・玉藻御前の末裔たちの事を知りたいという建前を用意したうえで米田さんを誘ったという側面もあるのだが。
「緊張するだろうけれど、普段通り自然体にやってたら良いと俺は思うよ。島崎先輩」
金曜日の夕刻。別れ際に雪羽はそう言っていたずらっぽい笑みを源吾郎に見せていた。源吾郎自身も、米田さんに会う事を正直に打ち明けていたのだ。もちろん、何がしかのアドバイスを雪羽から貰う事も期待しての事である。
「ま、あんまりグイグイ押し過ぎたら嫌われちゃうだろうからさ、控えめに慎重にアプローチするんだな。なんせサシで米田さんに会うのは初めてでしょ。大好きだとか、奥さんになってくれとか交尾したいとかさ、初手からそんな事を言ったらドン引きされちまうからな。その辺は気を付けないとね」
「例えが極端すぎないかね、雷園寺君」
呆れたような源吾郎の言葉に対し、雪羽はただただ身を震わせて笑うだけだった。
「流石に俺だって、出会ってすぐに付き合ってくれとか結婚してくれなんて迫る様な図々しい真似はやらないよ。まぁその……今度の裏初午の集まりの事を話したりとかさ、ちょっとブラブラと買い物をしたりするくらいだよ。
もちろん、米田さんが他に何かしたいって仰るのなら、それを優先するけれど」
「買い物って、さては双睛の兄さんの為に何か良い物を買おうって目論んでいるんじゃないんですかい」
「流石に米田さんに会う時はそんな事はしないよ。でもそれらしい物についてあらかじめ目星を付けておいて、次の日に買いに行こうかなとは思ってるけどね」
米田さんと会う事で浮かれている源吾郎であったが、研究センター内で静養している双睛鳥の事を忘れた訳でもない。
若妖怪である源吾郎と雪羽は、確かに双睛鳥と接触する事は出来ない。面倒を見ているのは青松丸と紅藤であるから、双睛鳥についてそれほど気にしなくて良いのだと、萩尾丸からも直々に言い含められてもいる。むしろ君らは余計な事を考えず、業務に徹すれば良いのだと言われているくらいだった。
とはいえ、素直にはいそうですかと頷く事は源吾郎には出来なかった。弱った第七幹部の姿は余りにもショッキングな物だった。それに、双睛鳥を直接励ます事が出来なくとも、青松丸を労いたいと源吾郎は思っていた。年末年始の休暇では、源吾郎の使い魔であるホップの面倒を見てくれた恩義もある訳であるし。
雪羽の考えもまた、源吾郎とおおよそ同じような物だった。むしろ双睛鳥への個人的な思い入れは源吾郎よりも強いであろう。保護者である三國がそもそも双睛鳥と仲が良く、雪羽も幼い弟か従弟のように可愛がられていたらしいのだから。
そんな事をあれこれと思案していた源吾郎は、間延びしたような声で言い足した。
「雷園寺君。もしかしたら俺、仕事の事ばっかり米田さんに話しちゃうかもしれないんだ。趣味の事とかホップの事とかもあるっちゃあるけれど、最近ずぅっと仕事の事ばっかり考えてるからさ……それってやっぱりマズいかな?」
上目遣い気味に雪羽を見やりながら源吾郎は尋ねた。源吾郎の持つ当たり障りのない話を突き詰めてみると、どうしても研究センターでの日々が、要は仕事の話に行き当たる事に気付いてしまったのだ。
仕事の話ばかりする男を、女性がつまらなく思うであろう事も源吾郎は知っていた。女子力研鑽のために読んでいる女性向けの雑誌やコラムにもそのような記載があったからだ。
雪羽は首を傾げ、思案する素振りを見せてから口を開いた。
「それはまぁ女の子によりけりだよ。チャラチャラした、遊ぶ事しか考えてないような娘だったら仕事の話は面白く思わないだろうね。それを表に出すかどうかは別としてさ。
でも……相手が仕事熱心な
「米田さんはどっちになるんだ」
気付けば源吾郎は身を乗り出していた。がっついているように見えたのか、雪羽の笑みに当惑の色が混じり始める。だが、米田さんの事は源吾郎よりも雪羽の方がよく知っているはずなのだ。
「米田さんは……どちらかと言えば後者になるんじゃないかな。そもそもあの
「その辺は俺とて心得ているよ」
源吾郎が言うと、雪羽はにっこりと微笑んだ。
「時間が許せば俺もこっそり先輩の事を見守りたいんだけど……生憎そんな余裕は無いからさ。とりあえず頑張れや!」
見守るって高みの見物をしたいだけなんじゃないのか。そんな事が脳裏をよぎった源吾郎であるが、それはおくびには出さずにただただ微笑むだけに留めておいた。
※
土曜日の午前。休日でも、或いは休日だからこそ人ごみの多い参之宮の駅を抜けた源吾郎は、やや小走り気味に歩を進めていた。もちろん誰かにぶつからぬように配慮して進んではいるが、狭い間をするすると進む姿はやはり狐らしさがあるだろう。
今回も待ち合わせ場所はハト山だった。参之宮には他にも待ち合わせスポットがあるらしいが、判りやすさで言えばハト山は断トツなのだ。
周囲を見やり、ついで源吾郎は腕時計を見やった。待ち合わせの時間よりも二十分近く早い到着だった。僻地からバスや電車を乗り継いで向かった源吾郎であるから、微妙な時間の調整は難しかったのだ。それにこれは大切なデートなのだ。遅れるよりは早く着いた方が大分マシであろう。
ドキドキするけれど、落ち着いて米田さんが来るのを待とう。駅前で見つけた観光パンフレットを広げつつ、源吾郎は待つ事にした。
「島崎君」
優しげな声が頭上から降りかかってきた。聞き覚えのある、何となれば今一番聞きたかったはずのその声を耳にした源吾郎は、事もあろうにその場でびくっと身を震わせてしまった。米田さんが来るのはまだだろうと思い、パンフレットを眺めるのに没頭していたのだ。
源吾郎は一人だと、案外こうして自分の世界に入り込んでしまいがちなのだ。
お待たせ。柔らかな声音で語り掛けるのを聞きながら、源吾郎は顔を上げて彼女を見た。眩しいものを見たような気分になって、源吾郎は思わず目を細めかけた。あの米田さんが、俺に会うためだけにここにいる。そう思うだけでも心臓がどうにかなりそうだった。
しかも米田さんは私服姿だった。普段は後ろで束ねているだけの金髪のセミロングをこなれた感じにまとめており、両耳を赤い花――椿か山茶花かは定かではないが――をモチーフにしたイアリングで飾り立てているのがまず見えた。
冬場なのでロング丈のトレンチコートに身を包んでいたのだが、キャラメル色のコートは品よく落ち着いており、米田さんの雰囲気にぴったりだった。
俺も服装には気を付けたけれど、米田さんの前では野暮なちんちくりんに見えないだろうか……そんな懸念が首をもたげた丁度その時、米田さんが今一度口を開いた。
「もしかして、ずっと長い間私を待っていたのかしら?」
「そんな事ありません。僕は少し前に来たばかりですから」
源吾郎はそう言って、口許にささやかな笑みを浮かべた。待ち合わせの際にはこのような問答がある。その事を源吾郎は知っていたからこそ、即答する事が出来たのだ。
実際には米田さんが来るまでには多少待っていた気もする。だがそれはいちいち口にするまでもない事だった。それにパンフレットを読むのに夢中で、時間の経過を半ば忘れていた節もあるし。なおパンフレットは乱雑に折りたたみ、既にポーチの中に押し込んだところでもある。
「それよりも米田さん。今回は僕のためにご足労頂きありがとうございます」
立ち上がった源吾郎が言うと、米田さんは顔をほころばせて笑った。源吾郎を気遣うような、何処か控えめな笑顔である。
「あらあら島崎君。そんなにお堅くならなくて良いのよ。今回はお仕事とかそんなのは無関係なんだから」
「すみません、いつもの癖でつい……」
気恥ずかしさを笑いで誤魔化す源吾郎に対し、米田さんは優しげな笑みを崩さなかった。むしろ一層笑みが深まったように見えた。
「島崎君の方こそ、今日は時間を取ってくれてありがとうね。
「いえいえ、そんな事は無いですよ」
労い気遣うような米田さんの言葉に、源吾郎は元気よく返事をした。
「まぁ確かに吉前町は山間の町ですからね。交通の便が悪いなぁって思う時はありますよ。ですがそれも見越した上で動く事には慣れっこなので、本当に大丈夫です。それにお金が貯まれば車を買うつもりですし」
車を買う。そう言った源吾郎はついつい遠くに視線を向けていた。源吾郎は一人暮らしの
とはいえ、源吾郎は免許を持っているからまだ良い方だ。雪羽などはそもそも運転免許すら持っていないのだから。
しばしの間車の保持について思いを馳せていた源吾郎であったが、ぎこちない様子で米田さんに今一度視線を向け、それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「それにですね、米田さんとはかねてより個人的にお会いしたいと思っていた所だったんです。だから、今回米田さんが僕のために時間を作ってくれて、本当に嬉しいんですよ……!」
そうだったのね、島崎君。米田さんは落ち着いた声音で源吾郎に呼びかけていた。
「それだったら年末年始は悪い事をしちゃったかしら。でも、年末は私も本当に仕事が立て込んでいて、それでちょっと時間を取れなかったの」
「それって――」
やっぱり年末だから悪いやつが跋扈していて、それを摘発するのにお忙しかったんですか。喉元から飛び出しかけたその言葉を、源吾郎は即座に飲み込んだ。いたずらっぽく微笑んだ米田さんが、思わせぶりに指をおのれの唇に当てるのを見たからだ。
「とりあえず喫茶店に入りましょ。寒い中で立ち話もなんだし、良さそうな所を知ってるから、ね」
さらりと話題を変えた米田さんに、源吾郎は物わかりの良い生徒よろしく返事を返した。挨拶から思わず色々と話したり米田さんの事を探ろうとしてしまったが、よくよく考えれば今ここでがっついて焦る必要は無いのだ。
少なくとも、今日は一日予定を空けている。互いに時間が許す限り、米田さんと源吾郎は一緒にいる事が出来るのだ。その間にゆっくりと、自分の事を知ってもらえばそれで良いのだ。それとともに、米田さんの事も少しずつ知れば良いのだ。
そんな風に思っていたから、米田さんと並ぶ源吾郎の足取りは軽やかな物となっていた。
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