妖怪たちのバレンタイン――中休みのブレイクタイム
午前の中休み。始業時間前とは打って変わり、源吾郎は大人しく、神妙な態度で休憩に入っていた。バレンタインという事もあり、源吾郎とて内心浮足立ってはいた。だからこそ、始業時間前にちょっとした悪ふざけを思いつき、雪羽に絡んだりもしたのだ。だが、若狐の軽薄で浮ついた考えも、真面目に立ち働く上司たちを目の当たりにするや、きれいさっぱり霧散してしまったのだ。
萩尾丸や紅藤たちに、一連のやり取りを見られていなかったのが不幸中の幸いだろう。しかしあの時の興奮はとうに過ぎ去ってしまった。仕事が終わるまでは、大人しく粛々とやるべき事をこなそう、という心境になってしまったのだ。
なんだかんだ言いつつも、源吾郎の本質は堅物で真面目なものに過ぎないのかもしれない。上手く悪ふざけも出来ないとは……そんな風に、自分で自分に軽く失望しながらも時間を潰していた。
「島崎せーんぱい」
午前中ながらも黄昏ている源吾郎の肩が叩かれ、快活ながらも間延びした声が投げかけられた。声の主は、振り返るまでもなく雪羽だった。ぼんやりとしていた源吾郎とは対照的に、明るく晴れやかな笑みを浮かべている。
源吾郎が声を上げるよりも早く、雪羽は再び口を開いていた。
「今朝は友チョコの方ありがとうな! パズルと一緒に貰ったクッキー、美味しかったぜ」
「お、おう。それは何よりだよ」
もう既にクッキーを食べたのか。心の中でそう思いつつも、源吾郎は実際には当たり障りのない言葉を口にするだけだった。
幼子ならばいざ知らず、ある程度大きくなったら昼食前にお菓子は控えるべき。学校や職場では尚更だ――それはあくまでも人間界での話に過ぎないのだと、源吾郎は就職してから思い知らされた。
雉仙女こと紅藤が運営する研究センターでは、職員たちが間食を行う事についてかなり寛容な部分があった。流石に実験や試薬調整中の飲食は厳禁ではある。しかしそうした試薬やサンプルが絡まない場所では、ちょっとした物を口にしていても咎めだてされる事は殆ど無い。何となれば、センター長たる紅藤が、何がしか口にしている事すらあるというのが実情だ。
研究センターにてそうしたスタイルが認められているのは、やはり妖怪の種族的な特質、特に食事面での特性についても考慮されているからに他ならない。
一日三食という少ない頻度で事足りる。一度に多くの食事を摂って食い溜めが出来る。実はこうした特徴を具える種族は、そうそう多い訳では無い。鳥妖怪の多くは起きている間何度も食事を摂らないと体調不良どころか餓死する恐れがある。雷獣は他の妖怪に較べて恐ろしく代謝が高い反面、消化器の構造上一度に多くの食事を摂取することは困難であるという。午前の中休みや仕事中などに軽食を口にするというのは、鳥妖怪や雷獣にしてみれば遊びやサボりでも何でもなく、むしろ健康に過ごすために重要な事なのである。自身も雉妖怪である紅藤は、その事をきちんと把握していたし、妖狐の半妖である源吾郎も、その事を徐々に知り始めた所である。
それはそうと、プレゼントしたクッキーを雪羽が喜んでくれたというのは朗報だった。
「ちゃんと獣妖怪用のやつを選んだんだ。妖狐だけじゃあなくて、化け狸とかアナグマとか、それこそハクビシン妖怪とかにも人気ってやつらしいんだよ」
「その辺もちゃんと調べて買うって言うのが先輩らしいっすね」
源吾郎の言葉に、雪羽は僅かに微妙な表情を見せていた。妖狐や化け狸はさておき、ハクビシン妖怪を引き合いに出されたところで思う所があったのだろう。
雪羽はハクビシンや猫に似た姿の妖怪であるが、雷獣という種族である。雷獣は雷獣という種族であり、化け猫やハクビシン妖怪とはまた別種なのだ。
「そりゃあ、雷園寺君にプレゼントするやつだからねぇ」
微妙な表情の雪羽を軽くスルーし、源吾郎は説明を続ける。
「俺もね、同じやつを買ってみて、それでどんな味かちゃんと確認したんだよ。そんなに味もくどくないし、リンゴとかイチゴの味もしっかりしてるから、甘いもの好き果物好きの雷園寺君は好みかなぁって思ってね」
「せやね。俺、やっぱり果物とか好きだもん」
本当はもうちょっと味がしっかりついていてもイケたんだけどなぁ。そんな事を言いながら、雪羽は笑っていた。やはりここでも、雷獣と妖狐の間に横たわる食生活の差が垣間見えた。肉食獣だった妖狐は、塩味しろ甘味にしろ薄味を好む。しかし雷獣はというと、食事はやや味の濃い物を好むらしい。獣妖怪でありながらも人並の味付けの食事であっても好んで口にするような手合いなのだ。それもこれも、代謝が高く汗をかく機能すらも異様に発達している雷獣の特性なのかもしれないが。
半妖である源吾郎は、人間として暮らしていた事もあるため、人並の味付けにも慣れている。しかし最近は、薄味の食事を好むようになりつつあった。米田さんとデートし、一緒に食事を行うようになってから尚更に。
正直に言うあたりが雪羽らしいな。そんな事を思いながらも、源吾郎は弁明めいた言葉を並べ立てた。
「雷園寺君。言うてクッキーはプレゼントのおまけだからさ。メインの方はあのパズルな訳だしね。とはいえ、バレンタインのプレゼントなのに、チョコのモチーフと言えどもパズルだけだったら寂しいだろうと思ってね」
「ああ、あのチョコのパズルには本当に驚かされたぜ! そもそもさ、島崎先輩がチョコレートをプレゼントするってところに驚いたくらいですし。先輩って、チョコレートが大嫌いで、それどころか俺が食べるって話も嫌がるくらいだったからさ」
チョコレートのパズル。この単語を、雪羽はいささか興奮した様子で繰り返し、おのれの意見を述べていた。
そりゃあそうさ。源吾郎もまた、鷹揚に頷いて応じる。
「確かに俺は半妖で、人間として育てられていた事もあるよ。だけどさ、それでもチョコレートが、俺たちみたいな獣妖怪には危険な物だって事くらいは知ってるさ。いくら雷園寺君が度胸試しだか何だかでチョコを食べると言っても、そんなものをはいどうぞってプレゼントするかよ。友達同士なんだし、さ」
友達同士、という部分を強調し、源吾郎はぐっと雪羽の顔を覗き込んだ。オトモダチはな、俺がチョコレートだの玉ネギだのを食べたら喜んで手を叩いてくれるんだぜ。いつだったか、雪羽が浅はかな笑みと共にそんな事を言っていたのを、源吾郎は思い出してしまった。
雪羽も雪羽で思う所があるらしい。柳眉を寄せたその顔には、いささか険しい表情が浮かび始めていた。
「危険だなんて大げさだなぁ。俺たちは妖力の保有量だって多いし、そもそも紅藤様から頂いた護符が解毒作用も具えているから、チョコとか食べても平気なんじゃあないの?」
「雷園寺さぁ……」
悪ガキだった頃を思い起こさせるような物言いに、源吾郎もすぐに言い返す事が出来なかった。
反論する言葉自体は源吾郎の中にはある。護符やらで身を護っていたとしても、そもそも危険物だと解る物を口にする事自体がストレスになるし、その気分だけで具合が悪くなる事もあるだろう、と。とはいえ、それでは雪羽を説得させる事が難しいのも事実だ。それは先輩の感想でしょ。そんな風に返されて終わりではないか、と。
だが、しばし無言で考えているうちに、源吾郎は良い切り返しを思いついたのだった。
「雷園寺君。君はさっき護符やら何やらで身を護っていたら、チョコくらい食べても平気だって言ってたよね。だけどさ、もしも君の弟たちが……穂村君や時雨君たちが、そんな事を言ってチョコレートだのなんだのを食べようとしたら、君はどうするんだい?」
「どうもこうも、そんな馬鹿げた事なんざ、穂村たちがやろうとしたら止めるに決まってるだろう!」
興奮と僅かな憤怒に顔を赤らめて吠える雪羽を見ながら、源吾郎はしたり顔で笑っていた。先の問いで、雪羽が興奮して吠える事は源吾郎には解っていたからだ。というよりも、そういう反応を引き出すために、敢えてあの質問をしたと言った方が正しいだろう。
「そうだよ雷園寺君。君だって、ちゃんと解ってるじゃあないか。俺だってな、さっきの雷園寺君と似たような気持なんだぜ」
俺と雷園寺君は兄弟どころか種族も何もかも違うけれど。そこまで言い足そうとしていた時にはもう、雪羽は口を開いていた。先程の興奮は収まり、ハッとしたような表情を見せている。
「そういう事かよ。それにしても先輩も卑怯だぜ。わざわざ弟妹達の事を引き合いに出すなんてさぁ……」
言いながらも、雪羽の顔はそれほど恨みがましい表情を浮かべている訳でも無かった。やはり弟妹の事を引き合いに出したので、源吾郎の計略に腹を立てるよりも、弟妹達の事について思いを馳せる方が大きいのかもしれない。
そんな事を思っていると、雪羽がやにわに笑みを深めつつ口を開いた。
「それはそうと、島崎先輩も元気になったみたいで良かったぜ。今週も今週で、月曜日に本社であった打ち合わせの後から、何か落ち込んでいるみたいだったからさ」
「ああ、うん……」
笑顔とは裏腹に気遣うような言葉を掛けられ、源吾郎はしどろもどろに頷くしかできなかった。昨日と一昨日は元気が無かったのはその通りである。月曜日の打ち合わせと、玉面公主たちとの対談で精神的に消耗してしまったのだ。しかも、それらの話は雪羽や他の若妖怪などには打ち明けてはならないと厳命されていたので、尚更だ。
曖昧な事しか言えぬ自分に対し、雪羽はどう思っているのだろうか。そんな源吾郎の懸念をよそに、雪羽はただ微笑むだけだった。その笑みは、若干粘っこい物を含んではいたけれど。
「へへへっ。今日は先輩も実の所浮かれてるって事は、宮坂ちゃんに変化している所からも解ったんですから、ね。
夕方、仕事終わりに米田の姐さんがやって来て、それで先輩にバレンタインのプレゼントを持ってきてくれるんでしょう。先輩はそれが嬉しくてしょうがないんですよねぇ。米田の姐さんの事は大好きですし、なんてったって初めての彼女なんですから」
屈託のない雪羽の推理に対して、源吾郎は笑いながら首を揺らした。
「ははははは。雷園寺君。君の推理は半分だけ当たっているな。だけど、俺が楽しみにしている理由の、もう半分までは気付いていないみたいだけど」
やはり自分はバレンタインで浮かれているのかもしれない。首を傾げる雪羽を見つめながら、源吾郎はそう思ったのだった。
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