21. 味噌焼きおにぎり(千秋)

 連休も最終日、夏の気配が近づいてきていた。元々自由業の千秋と学生の凪は時間の都合がつきやすいからあえて高騰したこの時期に遠出をしようとは思わない。とはいえ、学業も休みの間、ずっと家にこもっているのも気が滅入る——かといえば二人ともそうでもない。

 凪はそもそもの初めから千秋の家に入り浸っては畳の上に転がっていた。本を読むでもなく、テレビを眺めるか、あるいはほとんどの時間をただぼんやりと窓の外を眺めたり昼寝をして過ごしていた。今思えば、あれは凪なりの逃避で、そういう意味では彼にとっては必要な居場所になれていたのだろう。


「なんか小難しいこと考えてます?」

 ぼんやりと自室の机で頬杖をついていた千秋の耳に、からかうような声が届いた。Tシャツにジーンズ、それこそ初めて出会った時とまるきり同じ格好で卓袱台ちゃぶだいの前から凪がこちらを見上げて首を傾げている。二十歳を過ぎていても、そうした仕草がやけに子供っぽく見えるのはあまり変わらない。

「あ、緩んだ。その方がいいですよ、険しい顔してるとインテリ何とか度が三割り増し……」

 調子に乗って軽口を叩くその額に、いつぞやのように消しゴムを投げつけてやると思いの外ジャストミートした。こうした他愛ないやりとりはそういえば久しぶりだなと千秋も低く笑う。きっと、凪も同じようなことを考えたのだろうと思い至ったので。

「退屈か?」

「いつも通りです」

 ニッと笑って、それから立ち上がる。今日の昼食は何か作りたいものがあると言っていたからその準備だろうか。基本的に食事の支度は千秋の担当だったが、凪も少しずつ覚えようとしているのか、あるいは千秋の負担を減らそうとしているのか——おそらくは両方だろう——時間があるときはレシピを調べては果敢に挑戦している。コツさえ掴んでしまえば、無難に意外とそつなくこなすのはおおらかに育てられた性格によるものなのだろう。

 台所に消えていった背中を眺めてから、一つ伸びをして煙草に火をつける。漂う紫煙とその匂いは馴染んだものだが、凪がいる前ではあまり吸わないようにしているから、大学が休みになる休祝日が続くと本数は自然と減る。とはいえ姿が見えない時には吸っているから、実際のところはそう間が空いているわけでもなかったけれど。

 

「あ、また吸ってる。隙あらばって感じですねえ。原稿詰まってるんですか?」

「余計なお世話だ」

 用意ができたのか、皿を持って卓袱台ちゃぶだいに並べるのを眺めていると、呆れたようにこちらを覗き込んでくる。かまわず咥え煙草で肩を竦めてやれば、仕方がないというように笑って近づいてきた。すい、と意外と綺麗な指先が煙草を引き抜いて、灰皿に放り込むと、その顔が近づいてくる。椅子に座ったままの千秋の肩に手をかけて、見下ろすようにして柔らかく食むように唇が触れる。普段のどちらかといえば朗らかでマイペースな表情からは想像もつかない、意外と長いまつ毛だとか遠慮なく深く絡められる舌の艶かしさだとか。

 腰を引き寄せようと手を伸ばすと、ふっと笑ってその顔が離れた。

「苦いし、けむい」

 ぺろりと舌を出して、離れていく背中を後ろから引き寄せて深く口づける。多少の抵抗は想定内だし、いかんせん体格差は今だに千秋の方が圧倒的に優勢だ。

 満足してから肩に回していた手を離すと、口元に手を当てながら、凪はやや上目遣いに千秋を見上げてため息をつく。

「人の話聞いてました?」

「善処はしてる。割り込んできたのはそっちだろ」

 くつくつと笑ってこめかみに顔を寄せてから、ひらりと手を振って居間へと移動する。

「……まあ僕も嫌いじゃないですけどね」

 呆れたように言う声が小さく届いたけれど、聞こえないふりをしておいてやることにした。


 卓袱台に並べられていたのは、表面に味噌を塗ってこんがりと焼いた上に、青ねぎを散らした焼きおにぎり。なめこの味噌汁に、丸ごとレンチンしたじゃがいもを半分に切ってバターとイカの塩辛を載せたもの。さらにはきゅうり、ゆでブロッコリーにトマトを並べた簡易サラダ。添えられているのは知り合いから教えてもらったと言う地方で有名なドレッシングだ。

「なんつーか、めちゃくちゃ酒が合いそうなメニューだな」

「居酒屋メニューっぽいですね、確かに」

 言いながら凪が缶ビールを差し出してくる。ニッと笑った顔でようやくその意図を悟る。

「たまにはいいんじゃないですか」

「ま、そうだな」

 素直に受け取って、グラスに注ぐ。凪はいつも通りの炭酸水。グラスを合わせるとカチンと涼やかないい音がした。

 さっそく焼きおにぎりにかぶりつくと、焦げた味噌とごま油がとても香ばしい。ネギの風味がいいアクセントになっていて、この上なくビールに合う。凪はといえば、じゃがいもを皿にとり、ふうふう言いながら満面の笑顔で頬張っていた。

「イカの塩辛って、僕わりと苦手なんですけど、このじゃがバターとの組み合わせ、謎に合いますよね」

「ビールにはあんまり合わねえから、日本酒が欲しいとこだけどな」

「飲めばいいじゃないですか。連休最終日なんだし」

「毎日が連休みたいなもんだと思われなくて良かったよ」

 千秋がそう笑って言えば、凪はまさか、と大仰に肩を竦めて見せる。

「毎日美味しいご飯を用意してもらって、あれこれお世話になってるのにそんなこと思うほど世間知らずでも子供でもないですよ」


 毎日お疲れ様です、とくすくすと笑うその視線の先、掃き出し窓の外にはまだ仕舞われていない隣家の鯉のぼりが、晴れ渡った空で気持ちよさそうに泳いでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日々是好日、待てば海路の日和あり 橘 紀里 @kiri_tachibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説