第7話 このままでいいわけ

 ぼくは約束どおり「赤銅しゃくどうもなか」という地元の銘菓めいかを買って帰る。

 ……つもりだったが。

 赤銅もなか風のあんとホイップクリームが入ったパンケーキ風の「赤銅もなかケーキ」というのを買った。

 「名物にうまいものなし」とは言わない。たしかにおいしいとは思うけど、じゃあ、その赤銅もなかがコンビニで売っているもなかと較べてそんなにおいしいかというと、そんなこともない。

 だったら、こっちのほうが、ゆきも喜ぶだろう、と思ったのだ。

 コンビニで買ったホイップクリーム入りあんパンを

「ウェブ仕事とかで脳が疲れてるのに食べてる時間がないときはこれだよね」

とか言いながら喜んで食べていた、ということも覚えていたから。

 そして。

 ぼくは、自分の思いを倖に告げる決心をしていた。

 もちろん、その「赤銅もなかケーキ」を渡したとたん

「ほかの女の子と楽しく過ごしてきたんでしょ? わたしなんか一人で仕事だよ? ふん! 大嫌い」

と言われて、ぱーん、とお土産を床にたたきつけられる、という展開も予想できた。

 しかも。

 順調に床にぶちまけることはできず、どこかで失敗して、椅子の角にぶつけるとか、テーブルにぶつけるとか、それで「もなかケーキ」が空中に乱舞するとか、そんな失敗をするのだろうな、ということまで予想できた。

 そんなことになったら、すごすごと退散するつもりだった。

 でも、倖は、相変わらず出した声の半分が異空間に吸い取られているような声で

「わあ。ありがとう」

と「赤銅もなかケーキ」を受け取った。

 そして、それをそっとテーブルに置いたので、床にぶちまけるとか、角にぶつけるとか、空中に乱舞させるとかいう失敗もなかった。

 それで、奇妙な間ができた。

 でも、いま言わないと、またいつまで経っても言えなくなる、とぼくは思った。

 それで、喉の奥からなかなか出てくれない声をコントロールしながら、倖に言う。

 できるだけ、普通に。

 「ところでさ、この前、ここで話してたことだけどさ」

 「ここで話してたこと、いろいろあるけど、何?」

 ……そういう反応か。

 まあ、このへんは、想定の範囲内だ。

 倖だから。

 「だからさ」

と、もういちど、ぼくは声をコントロールしながら、言わないといけない。

 「このままでいいわけ、って話、したじゃない」

 「ああ!」

 いかにも、意外、という言いかたで答えたのは。

 倖のポーズなのか?

 「あれ、考えてくれてたんだ! 嬉しい」

 とてもすなおに、倖は感激してくれた。

 その倖の高揚に、ぼくはかえって緊張する。

 生唾をのみこんでから、言う。

 「いまのままじゃ、よくないと思う」

 「ああっ!」

 倖の頬がばら色に輝いた。

 ……かどうかは、相変わらず濃い色の化粧のせいで、よくわからないのだが。

 「やっぱり信喜のぶき君もそう考えてたんだ。嬉しい!」

 拍子抜けするようなことばだった。

 そして、うきうきと浮遊するように、仕事用PCのほうに行く。

 こんなときでも、爪先つまさきをPCラックとか棚の角とかにぶつけないように、と気をつけなければいけない。

 いや。

 これからは家族としてそれができるようになるんだ、と思うと、嬉しい。

 倖は、自分の仕事用の椅子の後ろから、くるくると巻いた模造紙のようなものを持って来た。

 それが、仕事の発注元が設置してくれた「A0サイズが印刷できるプリンタ」の出力であることはわかったけど。

 夫婦と、子どもが何人いて、みんな笑顔で、という将来計画図にしては、ちょっと大きすぎる、と思った。

 倖は言う。

 「こんなこともあろうか、と」

 ぼくはすばやくテーブルの上にあった醤油しょうゆしと砂糖つぼをとっさに食器棚の空きスペースに移した。

 その紙を拡げるとしたらこのテーブルの上しかスペースはないし、それを拡げる前に醤油差しその他を移動させるという発想は倖にはないだろうから。

 「へへーっ」

 その得意そうな笑いとともにテーブル一杯に拡げられたのは。

 何だろう?

 水色? 青色?

 森の中の湖?

 その水の中を、錦鯉にしきごいや黒鯉や鯉が泳いでいる。それに、さまざまな形、さまざまな色の金魚も泳いでいるらしい。

 「金魚、いっしょにすると、鯉に食べられないかな、って心配だけど」

 「はい」

 ぼくの返事が間が抜けているのは、わかっている。

 でも、それ以外に、どういう返事のしようがあるだろう?

 「……これ、倖が描いたの?」

というのが、やっとだ。

 「まあ、いろんなとこから素材引っぱってきて、組み合わせてね。だから、CGだけど、でも、こっちとかそっちとかから写真撮ってレンダリングして」

 「こっちとかそっちとか」で、居間の隅のほうや、玄関を出たあたりを指さしたので、やっとわかった。

 庭。

 倖が夏前に泥沼に変えかけた庭。

 これは、その庭に池を作ったときの想像図なのだ。

 倖が言う。

 「いやぁ。前に大規模開発計画っていうののホームページのデザインやって、そのときの応用なんだけどね」

 「たしかに」

 ぼくはそう言うのがせいいっぱいだ。

 「しろうとにはできない精度の仕事だと思うよ」

 「うんー」

 倖は言って、猫のように目を細めた。

 ぼくは

「あ、このままでいいわけ、っていうのは、庭がこのままでいいかどうか、ってことだったのか?」

とことばに出そうとして、すんでのところで止めた。

 かわりに

「これ、現実にするの、けっこうたいへんだと思うんだけど」

と言う。

 「ふふん」

 倖は得意そうに笑った。

 「その大規模開発計画の発注の工事屋さんがちょっとミスしてね。わたしに正当な給料が支払われてないんだ。それで、その弁償として、なんでもします、って言ってるから、それで、これの工事、頼もうかな、と思って」

 いや。

 「ちょっとミス」の代金で、庭に池を掘るような工事はやってくれないだろう。

 「なんでもします」と言っても、その払ってない給料の範囲で、ということで、と思ったところで、ぼくは再び「いや」と思った。

 自分の庭の写真から「レンダリング」とかをやって、この画像を作ってしまう倖だ。

 ということは、大規模開発計画の予想図なんかも、同じような精度でやったのかも知れない。

 だとすると。

 大手開発会社のことだ。

 それぐらいの代金を倖に支払うつもりはあったのかも知れない。

 「じゃ、その方向で行く感じ?」

と言って、ぼくは笑った。

 倖も

「ありがとう」

と言ってまた猫のように笑った。

 それと引き換えに、ぼくがずっと思っていた「このままでいいわけ?」の答えは、きちんと伝えられなかったけど。

 まあ、いいか。

 それで、いいわけだ。

 そういうことにしておこう。


 (終)

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このままでいいわけ 清瀬 六朗 @r_kiyose

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