言い訳を聞かせて
淡島かりす
喫茶店にて二人は
駅前の喫茶店は落ち着いた内装と洒落たジャズの音色によって構成されており、そこにサイフォンの音が一つのアクセントとして機能していた。昼頃にはランチを楽しむ人で賑わうこともあるが、それを過ぎると夕方までは暇な時間が続く。今も店には客が二人しかいなかった。そのうちの一人、窓に背を向けた女が口を開く。
「仕方なかったの。これは運命というか巡り合わせだし」
壁に背を向けた男が頷いた。
「わかった。まずは君の話を聞こう」
カウンターの中でカフェラテとカフェオレを作っていた店主は、突然始まった寸劇のような光景に少しだけ目を丸くした。しかし他に客もいない状態、それに暇を持て余していたこともあり、その出来事を寛容に受け止めて耳を澄ませる。
「寂しかったとかね、そういうんじゃないの。なんていうかな、貴方がいるから安心して他の人のところに行けるというか。本当の意味の浮気ってこと。本気なんかじゃない」
「なるほど」
男は悩むような顔をして何か考えている。その間にも女は言葉を続けた。
「ほら、お気に入りのラーメン屋があるとして、その店があるからこそ他の店にも行ける的な。不味いレモンパクチーラーメン食べたあとでも、そこに戻れば美味しい醤油ラーメンが食べれるの」
「確かに俺は豚骨ラーメンが好きだし、塩ラーメンも好きだ」
しかしだね、と男は古臭い言い回しで言った。
「ラーメンならなんでもいい訳じゃないんだ」
急にラーメンの話になってしまった。店主は思わず吹き出しかけるが、大真面目な二人はそのおかしさに気付かない。
「それが貴方の考え方ってことは理解したけど、たかだか一回の浮気じゃない」
「俺が好きなのは君だけなんだ。だから一回の浮気でその気持ちが揺らぐことは無いし、なんなら五回でも六回でも問題は無いと思ってる。気持ちは変わらないわけだからね」
駄目だろ、と店主は心の中でツッコミながら出来上がったカフェオレを、まずは男の前に置いた。男は口を閉ざして会釈だけしたあと、それを一口飲む。
「どういえば君を理解させられるのかな。早まったことをして欲しくない」
「私は冷静。問題は貴方じゃないかな」
女は半分以上減ったグラスの水を飲む。
「貴方もしてるでしょ、浮気」
雲行きが怪しくなってきた、と店主はカウンターの中に戻り、先程よりも一層耳に神経を集中する。
「あぁ、そうだよ。俺は浮気をした。それは認める」
開き直ったような口調で男が言う。しかしすぐに思い直したように声を小さくした。
「でもどうしてわかったんだ」
「洗濯物にね、混じってたの」
「携帯か」
「見た途端にちぎって捨てようかと思ったけど」
どんな怪力だ、とカフェラテを作りつつ店主は笑いをこらえる。この静けさの中で二人の言葉だけがやけに存在感を放っていた。
「思い直してね、アイロンで押し潰したの」
「なんでそんなことをするんだ」
「原型は止めてるわ。ちょっとぐしゃぐしゃなだけ」
「俺が倫理を説くのもおかしな話だが、それだけはやってはいけないと思う」
「大丈夫、もう一度アイロン当てれば戻るもの」
店主はカフェラテを女の前に起きながら、只管に無心を貫いた。頭の中ではアイロンでへし曲がった携帯が光り輝いている。そのシュールな光景に慌てて扉近くのレジの前に移動して、二人から見えないように声を押し殺して笑った。目の前で未精算の伝票が二枚、吐息によって揺れる。
そろそろ二人に口を閉ざしてもらうように頼むべきだろうか。そう考えていた時、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
女が一人入ってきた。
「待ち合わせなんですけど」
「どうぞ」
店主が中に入るように促すと、女は店の一番奥まったところに一人座っていた男の方へと向かった。
続けて今度は、さらにもう一人の男が店に入ってきた。
「待ち合わせなんです」
「どうぞ」
新たな客は入口近い窓際の席に座る女の前に腰を下ろした。
「で、言い訳は思いついたの?」
「じゃあ、言い訳を聞かせてもらおうか」
二人はそれぞれ、自分を待っていた恋人へと口を開く。先程まで一人で予行練習をしていた男と女は、嘘のように黙り込んでしまっていた。
さぁ、面白くなりそうだ。店主は不謹慎にも期待に胸をふくらませながら、注文を取るためにメニュー表を二枚用意する。先客たちは予行練習通り話せるだろうか。それとも言い返されてしまうだろうか。退屈な昼下がりに生まれたささやかなエンターテインメント。いやいや、これはお客様の時間を大事にしているだけなのだと自分に言い訳しながら、店主はドアに掛かった「営業中」の札をひっくり返した。
END.
言い訳を聞かせて 淡島かりす @karisu_A
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