最終話 聖女と婚約者

「ノアッ! 私、後方の強い魔物と戦ってくる!」


「わかった! ポンちゃん、セレナを頼んだ!」


『わかったニャ!』


 セレナとポンちゃんが高い城壁から飛び降りた。


 僕は全力で東口に向かって城壁を走り続ける。


 あの冒険者達はすぐに衛兵に捕まったのが見え、すぐにゴブリンの群れが東門に到達した。


 東門の上から魔法呪文の魔法陣が見える。


 【自然魔法】と違って【呪文魔法】は魔法陣が出るのが特徴だ。


 直後、大きな火の玉が地上に放たれ、爆発を起こした。


「ブレインさん!」


「ノアくんか!?」


「はい。セレナとポンちゃんが奥にある強いゴブリンに向かいました!」


「この数で強いゴブリンといや……ゴブリンジェネラルか。それなら冒険者組も打って出る! 衛兵隊長! 出撃するぞ!」


 衛兵隊長の指示で固く閉まっていた門が開いて、衛兵と冒険者達が外に出た。


 僕もその後を追って外に出た。


 戦いは思っていたよりもずっと人族側が優勢で、ケガした人はすぐに後ろに下がっている。


 回復魔法が使えれば一番いいけど、珍しい魔法なのでティス町に使い手はいない。


 遠くで轟音と共に大きな爆風が巻き上がる。


 周りのゴブリン達がおもちゃのように吹き飛んでいく。


 無数にいたゴブリンが一気に吹き飛ばされ、開けた平原には――――巨大なゴブリンが一体と、対峙する少女が一人。


 巨大ゴブリンと少女の戦いが始まった。


 大きな大剣を振り下ろされても、紙一枚の差でギリギリ避けて、大剣を登っていく。その両手に込められた禍々しいオーラを纏った少女の攻撃が巨大ゴブリンの頭部に炸裂した。


 空気が重く叩かれた音が響き渡る。


 たった一撃。少女の一撃で巨大ゴブリンがその場に倒れ込んだ。


「ゴブリンジェネラルが倒れたあああ! 押し通せええええ!」


 平原にブレインさんの大きな声が響いて、味方の士気が一気に上がり、ゴブリンを殲滅していった。




 ◆




「聖女様に万歳~!」


「「「「万歳~!」」」」


 ティス町に響き渡る声援。


 全てが中心部で胴上げされている我が可愛い天使に向けられた言葉だ。


 ゴブリンジェネラルは魔物でもかなり上位のようで、群れを引いている以上に単体が強力すぎるという。


 そんなゴブリンジェネラルを倒したセレナは、みんなから「聖女様」と呼ばれ、胴上げされている。


「元々強いとは思っていたが、セレナちゃんがあんなに強いとはな」


「あはは……僕も驚きです。強いのは知ってましたけど、本当に強い……」


「それに可愛いし」


「まだ十二歳ですよ~」


「そういう意味で言ったんじゃねぇ。おじさんだからってみんなエロエロ好きじゃないからな?」


「ふう~ん」


 まあ、そういうことにしておこう。


 セレナが胴上げされる度に、ライラさんとミレイちゃんも嬉しそうにその場で万歳と飛び跳ねる。


 彼女達だけでなく、町民全員がそうだ。


「なあ。ノアくん」


「はい」


「…………どうして嬉しそうじゃねぇのさ」


「いや、嬉しいですよ?」


「嘘つけ。おじさんはわかるんだぞ。こう、娘が独り立ちして寂しいお父さんみたいな表情になっているぞ?」


「…………バレちゃいましたか」


「おうよ。君達がどういう人生を送ったのかは知らない。でもノアくんにとって、セレナちゃんは―――」


「ただの仲間ですよ。いつも笑顔が眩しくて、でも寂しがり屋で、でも実はものすごいやつで…………僕なんかが隣にいるのがもったいないくらいに」


「はあ~そうかね~おじさんにはそうは見えないけどな」


 ブレインさんはわざとらしく溜息を吐いて、やれやれと首を横に振った。


「あのな。ノアくん。君って十二歳でしょう?」


「…………一応は?」


「一応も何も、君は十二歳。それ以上でも以下でもない。そして、セレナちゃんの一番の――――理解者でしょう」


「……」


「なあ。どうして彼女をしっかり見ないんだ?」


「えっ? 見てます……よ?」


「いや、見てない。ノアくんは彼女のことを――――女として見てない」


 その言葉に心臓の音が早くなる。


 僕は……前世で既に三十を過ぎたおじさんだ。精神年齢だけならブレインさんよりも年上だ。


 けれど……ノアの体は十二歳。異世界に転生してから十二年が経過した。


 僕という人は、ノアと前世の自分とどっちなんだろう?


 覚悟は決めたはずなのに、ずっと迷っている。


 セレナが笑えば、僕も嬉しい。なのに、みんなから求められるセレナを見ると、少し胸が辛くなる。


「なあ。ノアくん」


「はい……」


「君は実年齢よりもずっと大人びていると感じている。だからこそこれを言おう」


 足を崩してブレインさんが僕の肩に手を回す。


「君は――――――セレナちゃんが好きなんだ。人としてではなく、異性としてな」


 そ、そんなことは…………彼女は僕よりもずっとずっと幼い…………。


「十二歳。いいじゃねぇか。年齢なんて。貴族ともなると十二歳で婚約を結ぶ人も多いらしいぜ? おじさんは無理だったが……まあ、それはいい。それより、ちゃんと彼女に向き合いなよ。俺みたいに……後悔することになるぞ」


「……ブレインさんは大切な人を失ったんですか?」


「ああ。あの時、彼女に向かって走っていれば、今頃騎士長にでもなったんだろうよ。でもな。おじさんは自信がなくて逃げた弱虫なんだ。今でも後悔している。ずっとずっと……だからせめていま手が届く距離にいる好きな人達を守っていくさ。ノアくんも後悔しないようにな」


 そう言い残したブレインさんは、手を振るエリナさんとシズルさんの下に向かった。


 僕は満面の笑顔のセレナを暫く眺めた。


 ◆


 暗い夜空に無数の星。


 稽古に疲れて見上げていた空を思い出した。


 十二年という時間はそう短いものではない。異世界に来てからも僕はちゃんとノアとして生きていた。


 アスカジュー家の一員として毎日剣術を学んで、でも柵が嫌で、やろうと思えば剣士になれたものを、僕はならなかった。


 その時でさえも――――僕の隣にはセレナがいてくれた。


 仮初の婚約者だったけれど、彼女はいつも精一杯僕に笑いかけていた。


 あの頃の僕はそんな眩しい彼女から目を逸らして、いずれ追放される僕の婚約者なんかになって可哀想だと思っていた。


 でも本当に可哀想なのは彼女ではなく、世界にちゃんと向き合えなかった僕自身かも知れない。


「ノア~」


 城壁のさらに上の屋根で横たわっていたのに、よく僕を見つけられたと思う。


「セレナ?」


「はい。エール」


「いや、酒はまだダメでしょう」


「ふふっ。そういうと思って果実水だよ~」


 十二歳で成人とはいえ、酒類は十五歳からと異世界も飲酒には厳しいらしい。


「もういいのか? 聖女様だろ?」


「…………もういい。私はここがいい」


 そう言いながら、珍しく僕にピッタリとくっつく距離で、一緒に並んで横たわる。


 ふんわりと女子の甘い香りが刺激する。


「私。聖女じゃないもん」


「そうかな? 僕にもみんなにも聖女様に見えたよ? 救世主って感じで~」


 セレナから返事は返ってこない。


 そのまま一緒に星空を眺める。


 どれだけ時間が過ぎたかわからないが、セレナが小さく話し始めた。


「私ね。ノアを初めてみた時、凄く不思議だったんだ。ノアって昔はこう近寄りがたいというか。私だけでなく家族や周りの全ての人と壁を作って、いつもどこか遠くを見ていた気がしたんだ」


 その読みは間違っていないな。


「才能が開花した日ね。私はどうしてこんな力を身に付けたのだろうってずっと悩んだ。ずっとずっと。両親がノアとの婚約を破棄した時も、お腹が空いてずっと泣いてた時も、ずっとずっと悩んでいたんだ」


 また少しの間、言葉が途切れた。


 何度かセレナの静かな息の音だけが聞こえてくる。


「ノアと再会して、最初は助かったと思ったけど、あれからずっとずっと考えたの。今日この日までずっとずっと…………私がこの才能を開花した理由を」


 上半身を起こしたセレナは、懐から小さな箱を取り出した。


「ねえ。ノア。これ、貰ってくれないかな?」


「ん?」


 月明りを受けて眩しいくらい輝いている美しい銀の髪が宙を舞う。


 まるで妖精のように、神秘的な神々しささえ覚える程の美しい彼女は、顔を赤く染めて僕に箱を見せた。


 僕も上半身を起こして、彼女が前に出した箱を受け取って、ゆっくりと箱を空けた。


 中には――――――綺麗な銀の指輪が二つ入っていた。


「っ!?」


「あのね。ノア。前の婚約は私の意思でも君の意思でもなかった。だから婚約も婚約破棄も私達の意思じゃなかったよね。だからね――――――」


「せ、セレナ!? ま、待っ――――」


 僕の唇に彼女の人差し指が当たる。


 セレナは笑顔のまま首を横に振った。


「私。やっぱりノアの隣にいたい。クーナさんに好かれるノアは大嫌い。ミレイちゃんを妹だと可愛がっているノアは大好き。たくさん食べている私を愛おしく見守るノアも大好き……でも、どこか遠く感じる」


 それは…………。


「だから、私からもう一度挑戦するの。ノア。私と――――――婚約してください。私が【暴食】という力を開花したのも、全て君の隣にいるためだとわかった。ううん。君の隣にいるためにこの力が欲しかったんだ。だからね? 今はこの力のこと、大好き。私がこの町を救ったんじゃない。ノアがいてくれたから救えた。だから私は聖女様と呼ばれたくない。私は――――君の婚約者と呼ばれたいんだ」


 彼女も勇気を振り絞っている。


 可愛らしい大きな目に、薄っすらと涙が浮かんでいる。


 両こぶしを握り締めて、必死に自分の言いたい事を言っている。


 彼女がその言葉を口にしたら、結果に関係なく、僕達の関係は崩れる。


 いつもの仲間だった関係が、恋人に、片思いの仲間に変わる。


 それはお互いに辛くなることを承知の上で、彼女は勇気を振り絞った。


 いつも僕に嫌われることを何よりも恐れていたはずのセレナ。


 そんな彼女がここまで成長して…………いや、違うな…………彼女が成長しただけじゃなく、僕が成長していないんだ。


 世界の全人類が敵になろうとも、僕はセレナを最後まで守り抜くと覚悟を決めた。いつか彼女が好きになった人に会うまで。僕がもう必要なくなるその時まで。


 でも彼女が求めているのはそういう人ではなかった。目の前にいる【ノア】という人だ。


「なあ。セレナ」


「う、うん」


「一つ聞いてくれないか? 僕の――――秘密を」


「ひ……みつ?」


 僕はどこまでもズルいかも知れない。生きていくのに常に保険をかけて、実家を追い出されたいと思いながらも、ずっと実家で生き続けていた。逃げることだってできたはずなのに。


 それは僕という人間の、本能だったのかも知れない。


 本当に嫌らしい性格かも知れない。でも……セレナになら、僕の本当の想いを伝えたら、受け止めてくれるんじゃないかと、そう考えたら、話さずにはいられなかった。




 僕は自分という存在が異世界人の転生者であり、この力も異世界の知識からあるもので、ノアという人物はないことを伝えた。




 静かに時間が流れる。ただただ僕の心臓の音が大きくなっていく。


 セレナは少し俯いていた首をゆっくりと上げた。


「ふふっ。ノアってば、変なところが心配だったのね」


「えっ?」


「だって、貴方という存在が、仮に前世の記憶があるから転生人? だとして。それが何の関係があるの?」


「えっ? だって、僕ってノアじゃないんだよ!?」


 彼女は笑顔のまま首を横に振った。


 そして、ゆっくりと右手を伸ばして、僕の左胸に触れた。


「ううん。君にどんな記憶があっても、この十二年という時間は嘘じゃない。私と初対面の日から、十歳の時に久しぶりに会った時も、家を出てここまで来る間も、全部ノアなの。君はノア以外の何者でもなく、ちゃんとノアなの。私が大好きなノアは、ノアという名前を持った少年ではなく――――君だから」


 ああ……眩しいな……本当に聖女様のようだ……。


 月明りに照らされた笑顔のセレナは、記憶に刻まれて一生忘れることができなくなった。


「はは…………セレナには本当に敵わないな」


「ふっふっ! だってノアの隣に立つんだから、これくらいじゃないとね!」


 視線を手の中に落とす。


 銀色の指輪。


「普通さ。こういうのって男がするもんじゃない?」


「本当はそうなんだよ!? でもいつまで待っても……君からしてくれそうな気配がないし…………本当はもう少しして渡すつもりだったのに、クーナさんに浮気しそうになるし」


「浮気はしてないよ!?」


「目的地がなければ断れないから断らなかったでしょう?」


「ううっ……そ、それは…………多分……断ってる……多分……」


「心の浮気も浮気です!」


「は、はい……」


「だから、ちゃんと受け取って欲しいんです! 私だって……不安なんだから……」


「そう……だな。うん。順番とかめちゃくちゃだけど……僕なんかで良ければ――」


「僕なんかじゃないの! ノアがいいの!」


「あ、ああ。わかったよ。僕とまた――――婚約者になってくれるかい?」


「――――うん!」


 僕は初めて彼女を抱き締めた。


 全身が火照って、心臓の鼓動の音があまりにもうるさくて、でもセレナとの至近距離の息遣いの音が聞こえてくる。


 願ってなかった婚約が破棄されて二年。


 僕達は本当の意味で――――婚約者となった。

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【一秒クッキング】追放された転生人は最強スキルより食にしか興味がないようです~元婚約者と子犬と獣人族母娘との旅~ 御峰。 @brainadvice

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