灰色の朝を色づかせて、

地崎守 晶 

灰色の朝を色づかせて、

 僕が知らない曲をポップにアレンジした発車メロディ。耳にまとまり付き、浅い夢にまで出てくるものの、名前を調べたことはない。

 発車メロディはただ、電車がこれからどこかへと連れて行ってくれるということだけが大事だったから。

 このメロディを合図に僕を連れて行く先は、代わり映えのない職場だけれど。

 小さいころから鉄道に憧れていた。『将来の夢』の作文には運転士と書いたものだ。汽車の停まる公園で暗くなるまで遊んだ、セピア色の記憶。

 けれど自分の資質という現実ははるかに厳しく、今は大手鉄道グループから委託される書類管理事務作業に従事する派遣社員という立ち位置で働いている。

 憧れ、夢見た世界とほんの僅かにしか関わらない仕事で糊口を凌いでいる自分が、たびたびどうしようもなく矮小に思える。

 あの時、ああしていれば。もっと違う今があったのじゃないか。

 そんな思いが、階段を上る足に絡みつく。

 重い頭と沈む胸を抱えて、僕は今日も鉄の箱にすし詰めにされて、また虚しく明るい発車メロディを聞く。

 目の前で、空気の抜ける音を立ててドアが閉まっていく――

 その、隙間。鳴り始めたメロディ。

 心臓が跳ねた。

 あのひとが見えた。

 黒っぽい服なんてこの季節には珍しくないのに、プラットホームに並ぶ人混みのなかでもはっきりと目立つ黒い服。朝日に輝く髪。

 二十年近く前、ぼくの中に焼き付いた、あの姿。

 横顔から見える鼻の高さ。すらりとした細い首筋。口の端にきゅっと浮かぶ笑み。

 記憶のままだった。彼女には一切時間が経過していないようで。

 僕はとっさに体を捩る。押し合う体の圧力。手に持つカバンが誰かの体にひっかかる。僕を逃がさないというように。

 鼻先でドアが閉じていく――

 僕は腕をその隙間に突き入れ、カバンから手を放して。

 いつも車内ごしに聞いていた音の塊が、やけに大きく僕の耳を撫でる。

 僕は抜け出して、降りていた。

 動き出す電車に置き去りにされたプラットホームに――いや、僕があの電車を置き去りにしたのだ。社員証や財布や、そういうものを詰め込んだカバンと一緒に。

 手元のスマホしか見ていない、電車を待つ人の列。階段を上り、下り、溢れ出てきて流れていく人の波。その向こうに紛れ、背中を向けて小さくなっていくあの人。

 僕はあの人にもう一度、

 なにもかもかなぐり捨ててでも。

 人の波をかき分けて、僕は追いかけた。

 繰り返す現実をかなぐり捨てた朝は、やけに眩しく見えた。



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灰色の朝を色づかせて、 地崎守 晶  @kararu11

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