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流言

 ある夜、枯井戸かれいどナツはノートパソコンのモニタを前に、頭を抱えた。


「なんで? なんでこんなのが?」


 見ていたのは、ウェブ小説サイト大手のひとつ『ヨミカキ』に公開されていた、どこかの誰かが書いた小説である。

 つたない文章、凡庸な表現、平凡な筋立て――あらを探せばキリがないのが小説という娯楽だ。書き手がアマチュアであれ、プロであれ、すべてが完璧ということは少ない。好みもある。

 ナツ自身も小説を書くが、お世辞にも上手いとはいえない。少し読んで、少し読まれて――そんな感じだ。自分の実力を知っているから、他人ひとの作品には寛容であろうと思っている。

 しかし、ナツが気まぐれに開いた人気作は、巧拙の次元になかった。


「地球は実は三角錐で政府は真実を隠蔽している? 秘密工作を担当している官庁は公的な資料には記載されていないが、使途不明金の流れからえる? ナニコレ?」


 それは告発文――というか、ある種の陰謀論的なヨタ話である。

 ヨミカキにはエッセイなどの投稿ジャンルも存在するため、その手の偽書めいた作品があっても不思議ではない。しかし、これだけの人気作となると奇妙だ。

 しかも、ジャンルは異世界ファンタジーである。

 それこそ、なにかの陰謀ではないかと思わせられた。


「でもなぁ……いっぱい『いいね』ついてるしなぁ」

 

 ナツはため息まじりに呟く。ヨミカキには読者の側から作者や作品に送れるメッセージがいくつもある。どこの小説サイトにもある評価にはじまり、広告的な書評となるレビュー機能、応援していると伝えるための『いいね』ボタンなどなど。

 それらの累積からランキングが形成され、その上澄みは目につきやすくなり、また恩恵も受けやすくなる。ヨミカキは宣伝に適した数多のウェブツールと連携しているため、人気作はより人気を――ときには批判も――受けやすくなる。


「はぁ……別の読も」

 

 ヨミカキは批判は禁じている。創作者を増やし、また成長を願っているのだろう。ナツ自身も打たれ弱いことを自覚しており、対応が早いと聞いて登録したくらいである。自分に合わなくても閉じて終わりだ。

 くさくさしたときには、気に入っている作品を読み直すに限る。

 ナツはずいぶん昔にレビューをつけた作品を開いた。たいして人気にはなっていなかったが、信じられないくらい好みだった。以来、ナツはたびたび読み直していた。

 だが。


「……ナニ? コレ?」


 開いた画面に、ナツのレビューした作品はなかった。

 存在しなかったのではない。


「これ……さっきの陰謀論……?」


 画面には、さきほど目にした陰謀論があった。文字数は五倍に膨れ上がり、個人名をあげた批判も含まれている。もちろん、ナツが宣伝しようとレビューをつけたときは、そのような作品ではなかった。

 すでに完結している物語だ。

 内容が変わるはずはない。

 ナツは迷った。


「……消す?」


 レビューを。

 このまま放置しておくと、自分が陰謀論を礼賛しているようではないか。そんなつもりはない。消しておくべきだろうか。

 ――しかし。

 もし、作者が気づかないうちに書き換えられたのなら? たとえばアカウントの乗っ取りがあったとか。

 そうだ、教えてあげよう。

 たしかめるために。

 ナツは応援用の『いいね』ボタンにある、メッセージ機能を使った。


『内容が書き換えられていますよ』


 送ってから気付いた。乗っ取りなら、犯人にメッセージが届く。

 ナツは自身のSNSを使ってメッセージを発信した。


『好きだった小説がアカウントの乗っ取りにあったみたいで書き換えられてるんだけど、どうしたらいい?』

 

 ポツポツと拡散していくのを見つめつつ、ナツは今日はもうやめようとベッドに入った。最悪の気分だった。

 本当に好きな作品だったのに。

 目覚めもやはり最悪だった。まだ五時だというのにインターフォンが鳴った。無視しようと思ったが、呼び出しはしつこかった。

 仕方なしに画面を覗くと、スーツ姿の男ふたりだった。


「はい? なんです?」

 

 ナツが尋ねると、男たちは言った。


「枯井戸ナツさんですか? 警察です。脅迫容疑で逮捕状が――」

「――は?」


 脅迫? なんの? 誰を? 私が?

 ナツは頭が真っ白になった。

 警察は淡々と言った。


「とりあえず、開けてもらえますか?」


 ナツは任意同行を求められた。

 取調室で、刑事がナツに一枚の紙を見せて言った。


「これ、あなたが書いたんですよね?」

「……へ?」

「だから、この脅迫に『いいね』をつけて広めようとしましたよね?」

「は!?」


 それはナツが小説につけたレビューだった。ネタバレに配慮するつもりで曖昧な書評を、しかし自分の好みに合いすぎたために熱烈に押していた。そのレビューにはいくつかの『いいね』がついていた。

 自分が深夜のテンションで書いたレビューを読まれたという事実に、ナツは少なからぬ羞恥をおぼえつつ、頷きながらも否定した。


「それは、たしかに私が書きましたけど、でも――」

「これ見てください」

「はい?」


 次に見せられたのは、見慣れた画面のプリントアウトだ。ヨミカキの画面のスクリーンショットである。

 画面に並ぶ文字列は、


「今日付で人を殺すとありますね?」

「は、はい……」

「これを広めたのはあなたですね?」

「は……は!? いえ! 違いますけど!?」

「じゃあこれは?」


 作品のタイトル画面と、つけられたレビューを並べたものだ。

 刑事は言った。


「見れば分かるんですよ? 私らもそれほどバカじゃない」

「違くて! これ、え!? だってこれ書き換えられたんですよ!?」

「みんなそういうんですよ、みんな」

「ち、ちが――!」


 取り調べは昼ちかくにまでおよんだ。

 しかし、新たに持ちこまれた資料を見て、刑事は急に優しくなった。


「いや、申し訳ない、枯井戸さん。あなたの容疑が晴れたみたいです」

「……はい?」


 ナツは焦燥しきっていた。

 刑事は優しげに言った。


「サイトの運営会社さんにログを辿ってもらって書き換えが確認できました。アカウントの乗っ取りだったみたいで……いちおう、内容が内容だけに来てもらいましたけど……ご協力ありがとうございました」


 返答する気力もない。すでに連絡はいっていたが、あらためて会社に事情を説明して自宅に戻った。もう今日は休もうと。

 しかし。


「……今度は誰」


 狙いすましたようにインターフォンが鳴った。また背広の男二人だ。

 ナツは疲れた頭で応じる。


「どなたさま……?」

「あ、はじめまして。わたくしどもヨミカキの運営を担当している――」


 お詫びしたいのだと男たちは言った。

 疲れ切っていたナツは、不用意なま男たちを招き入れてしまった。

 部屋に入った途端に男たちは態度を豹変させ、冷徹に言った。


「同意書にサインをいただけますか?」

「ど、同意書? 同意書って、なんの?」

「今回の件のですよ。お前、書き換えに気づいたろ? あれは――」

「お前って――」

「こっちが喋ってんだよ!」


 中年男の怒声に、ナツは口を噤んだ。すると、すぐに後ろの優男が言った。

 

「ごめんなさいね。同意書をいただけたら、それで終わりなんで」


 ナツは男たちを通さざるを得ず、また同意書を読むしかなかった。

 そこには、


「作品の書き換えがあったことを口外しないことに同意します……?」

「はい。それだけです。例のメッセージや、SNSのアレ、ぜんぶ把握してますので、すべて誤解だったと発信していたけますか?」

「な、なんのために」


 ナツは思わず尋ね、中年男に睨まれ慌てて俯いた。

 優男が諭すような声色で言った。


「ナツさんはレビュワーとして、それなりの信用があるんですね」

「……はい?」

 

 ナツは顔を上げた。

 中年男が笑った。


「あんたが素晴らしいってレビューつけてくれてんのが大事なんだ」

「です」優男が言った。「われわれ、世論誘導にヨミカキを利用させてもらっていまして、いいレビューを得た作品の内容を書き換えることで発信しているんですね」

 

 顔を歪めるナツに、中年男が楽しげに言った。


「政治家と同じだよ。耳障りのいい公約を掲げて当選したら、それでオーケー。守る必要なんかないだろ? 誰も確認しねぇし、する奴がいたらこうして黙らせにくればいいんだ」

「え」


 ナツは絶句した。

 優男が苦笑して言葉を継いだ。


「ヨミカキさんでは、レビューや『いいね』がついたあと、次の話が投稿されたときをのぞいて、すでにある作品を改変したときは通知が届かないんですよ。ですから、いいレビューをたくさん頂いてから、我々の発信したい情報に差し替えるんです」


 優男と中年男は自慢気に語った。

 今の時代、評価を終えたものを見直す人間は少ない。そして、アルファとも称される発信力のある人間に認めてもらえたら、あとは爆発的に拡散する。

 狙うのは爆発する寸前だ。

 レビューその他を注視して、火がついたら差し替えれば良い。


「すげぇだろ?」


 中年男がニヤリと笑った。


「いまの世の中、精査よりも追従が重要なんだ。中身は精査されずに広がる。勢いってのが大事なんだな。気付いたアルファとやらが消すこともあるさ。だが広まっちまったもんは止めらない」

「日付まで注目する人は少ないし、ヨミカキは緩いですからね」


 優男は中年男と顔を見合わせて笑った。


「枯井戸さん……ナツさんも、急に捕まってびっくりしたでしょ?」

「……え」


 二人の男が、冷たい目をして笑っていた。


「書き換える内容次第で、面倒な発信者もつぶせるんですよ――」


 ――こうやって。

 ナツはペンを握らされた。


「こ、こんなの、私みたいに気づく人、いっぱいいますよ……? それに、やりすぎたら作者のほうが疑われるように――」

「ええ。別にいいんです」優男が言った。

「アカウントの乗っ取りって言えば済むからよ」中年男が言った。


 いい言い訳でしょ?

 男二人がニヤニヤと笑っていた。

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