それは天運か必然か

佐倉伸哉

本編


「こんなこと、いいわけあるか!!」


 元亀げんき三年(西暦1582年)十二月、遠江国内で陣を貼った武田本陣に、百雷が落ちたかのような怒号が響いた。そのあまりの剣幕に、陣の外に居る兵達も“何事か”と顔を見合わせる程だった。

 声の主は、武田“徳栄軒”信玄。武田家十九代当主にして、総勢二万二千の大軍を率いる総大将でもある。

「……いかがされましたか?」

 すぐ脇に控える武将が、冷静な口調で訊ねる。すると信玄は“説明するのも嫌だ!”と言わんばかりに、つい先程握り潰してしまった書状を突き付けてくる。それを受け取った武将は皺になった文を一度伸ばしてから、目を通す。

 送り主は、越前国の朝倉“左衛門督さえもんのかみ”義景。共通の敵である織田信長を倒す為に協力関係にあり、今は浅井あざい長政と協調して近江に出兵している筈だ。

 ざっと読み終えた武将が顔を上げると、渋面の主君と目が合った。

「どう思う、“美濃”」

 馬場“美濃守みののかみ”信春。長らく信玄を支えてきた重臣で、その功績の高さから“武田四天王”の一人にも挙げられる。常に冷静沈着な性格で、これまで七十回近く戦に臨んでいるが掠り傷一つすら負ったことがない強者つわものだった。

 滅多に感情が表に出ない信春でも、若干眉をひそめた。この文面を読めば、主君のはらわたが煮えくり返るのも無理はない、と思った。

「悪手も悪手、暗愚あんぐとしか言えませんな」

 バッサリと切って捨てる信春。そう評するのも無理はなかった。

 この文面は、要約すると以下の通りだ。

『我等は度重なる出征しゅっせいで将兵は疲労困憊こんぱいしているところに、雪が降ってきた。このままでは帰れなくなるから、一度兵を引く』

 要するに、「疲れている上に雪で帰れなくなるのも困るから、越前に戻るね」と義景は言っているのだ。朝倉家は武田家と敵を共にするだけで、どちらが上とか下とかはない。強いて言えば、信長に不満を抱く将軍・足利義昭の命で横並びの関係という感じか。これが普通の場合なら「まぁ仕方ないか」と渋々受け入れるのだが……。

「アレは何を考えているのだ! 織田が苦境にある中、敵を利する行動をしてどうするというのか」

 織田家は今、上洛以来最大の危機に直面していた。

 京を含む畿内の大半を治め、十ヶ国以上の版図はんとを持つ一大勢力になった織田家だが、義昭と信長の関係性が急速に冷え始めた元亀年間に入ると四方に敵を抱えるようになった。越前の朝倉、北近江の浅井、摂津の石山本願寺に一向一揆勢力、さらには数年前には義昭と敵対していた三好など……それでも、信長率いる織田家は辛抱強くこらえ、徐々に圧倒するようになってきた。

 そうした中で、満を持して参戦したのが武田家だった。

 武田家は永禄年間から織田家と婚姻関係を結び、両家の間柄は決して悪くなかった。どちらかと言えば“圧倒的に強い武田を敵に回したくない”信長の意向が強く反映され、敵を周囲に抱える状況にあっても信玄は織田家と敵対する姿勢を見せなかった。

 だが……元亀三年九月二十九日、武田家の別動隊が三河へ侵攻。三河は織田家と盟約を結ぶ徳川家の領地であり、事実上の“織田勢力への宣戦布告”だった。

 武田家は“戦国最強”とうたわれる騎馬隊を抱え、兵も精悍せいかんで知られていた。甲斐・信濃は山国で土地も貧しかったので、将兵達が豊かになるには戦で“勝ち取る”しかない事情があった。その武田家が、先年焼き討ちされた延暦寺の再興と義昭の意向という大義を掲げ、総勢四万の軍勢で西へ動き出す。この参戦に、劣勢に立たされていた反織田勢力は一気に湧いた。

 武田家が敵に回り、流石の信長も大いに慌てた。帝がわす京を握っている限りは“朝敵”にならないので死んでも離せない。ゆえに、京や畿内を守る為に手持ちの兵を一定数かなければならず、かと言って本貫ほんがんの地である尾張や美濃を奪われる訳にもいかないので相当数の兵を送りたい。織田家は武田家の参戦で絶体絶命の窮地に立たされたのだ。

 そうした情勢なので、信長の目が西上する武田家に引き付けられる今、朝倉家には手薄になっている京へ進軍して欲しいと信玄は考えていたのだが……まさか、正反対に『越前へ帰る』と言い出すなんて。

「疲弊しているのは皆同じ。それを奮い立たせるのが、将の器かと」

 主君に同意するように漏らす信春。

 朝倉家は元亀元年に越前へ侵攻されて以来、ずっと織田家と干戈かんかを交えてきた。繰り返される出兵で負担も大きくなっている事情も理解は出来る。だが、兵は疲れ金蔵も底を尽きかけているのは、武田家も一緒だった。

 甲斐と駿河、信濃の大半に上野の一部という一大勢力に成長した武田家だが、今回の出征は一世一代の大勝負と言っても良かった。四万という大軍勢は過去に例がなく、北の上杉家対策に置いてきた押さえの兵を除けば総力戦に近かった。織田を倒す為に無理をして出てきており、負けは許されなかった。

 朝倉が兵を引けば、単独で織田家に対抗するだけの力が残されていない浅井家も引かざるを得ない。近江方面から侵攻される心配が無くなった織田家は、全力で武田家に当たれる下地が出来上がってしまった。武田家に兵の質で劣る織田家だが、数が二倍三倍になれば勝負は分からない。

「こんなこと、いいわけあるか……」

 悔しそうに言った信玄は、拳で自らのももを叩く。顔を伏せた信玄は、静かに体を震わせていた。


 この後、信玄率いる武田勢は徳川家康を三方ヶ原で破るも、その動きは緩慢かんまんとしていた。翌元亀四年一月には三河へ侵攻するも、要害でもない野田城を落とすのに一月以上を要し、その後は何と来た道を引き返してしまった。

 信玄は甲斐へ戻る途上、病でこの世を去る。信玄一世一代の大勝負は道半ばで頓挫した。

 京に武田菱の旗を立てる信玄の夢が叶わなかったのは、天運か必然か。実際のところは、分からない――。

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