いいわけ

悠井すみれ

第1話

 り手婆の口煩いのは、どこの見世でも同じこと。あるいは、どの女に対しても。御職おしょく花魁おいらんだとて、時には小言から逃れられない。


「昨夜の座敷は何ごとだい。さと言葉が漏れるとは、らしくない」


 手強い渋面の婆にきつく詰め寄られても、花魁は優美な笑みを絶やさない。時刻は昼見世には早い昼九つ前、夜の帳でごまかしが効かぬ明るさの中でも、花魁の珠の肌は輝くばかり、艶やかな笑みは綻ぶ花のよう。そして、玲瓏たる声は座敷での嬌態を感じさせない涼やかさだった。


「おや、遊里さと言葉ならとうに舌に馴染んでおりいすが。ほら、座敷でなくてもこれ、この通り」


 さとことば、にはふたつの意味がある。ひなで使われるさと言葉と、鄙の訛りを隠すためにこそ廓で使われる遊里さと言葉と。耳で分からぬはずはないのに、舌先でしらりと言い分けるズルさは、まさに花魁の強かさだった。とはいえ遣り手婆がやり込められるはずもなく、眉は逆立ち、顔を顰めたことで皺がいっそう強調される。


「そうではなく! 昨夜の客に、どこぞの訛りを使っただろう。田舎臭い、あんたの郷の言葉かい」

「どこの言葉かは知りいせん。あのお人の言葉をなぞっただけで──これも、手管でござんすよ」


 何を、と言い募ろうとする婆を制して、花魁は白魚の指で煙管きせるいらう。それは、昨夜の記憶を手中に愛でるかのような。昨夜の、客の記憶。訛りを真似て語り掛けたら、都合の良い話を勝手にこしらえていたようだった。純朴な目に浮かんだ哀れみは、的を射ていれば不快にも思っただろう。だが、彼女の術中に嵌っているだけなのだから可愛らしい。


「あのお人、必ずまた来なんすよ。楽しみだこと」


 驕慢に取り澄ました花魁が、その実、郷里を懐かしんでいる。自分にだけは、気取らぬ素顔を垣間見せる。それはきっと甘美な夢であろう。俺しかあの女を救えぬのだ、と──溺れる言い訳は投げてやった。


 あとはかいなを広げて待てば良い。

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