極楽寺駅へようこそ

斑鳩陽菜

極楽寺駅へようこそ

 鎌倉市極楽寺――、俺は極楽洞ごくらくどうを眼下に望む桜橋で嘆息した。

 紫陽花の季節になれば紫陽花巡り目的の観光客で賑わう極楽寺だが、普段は静かな場所だ。何度かドラマの撮影地にもなっているから知っている人もいると思う。

 俺の周りにいるのは極楽寺へ向かう参拝者と、極楽洞から出てくる江ノ電を、カメラで狙う鉄っちゃんである。

 実は俺は、とても困っている。

 今日は彼女と鎌倉の小町通りでランチをする予定で、10時に極楽寺駅前で待ち合わせしていた。ところがだ、俺が起きたのはその10時だったのだ。

 完全にやらかした俺は、慌てて駅に行ったが彼女はいない。電話をするも留守電で、LINEに詫びを入れてみた。

 しかし既読はつくが、返信はない。

 さて、困ったぞ。俺の彼女、怒ると口をきいてくれるまで三日はかかる。ま、怒らす俺も悪く、原因は俺の寝起きの悪さだ。

 さて今回は、彼女の機嫌が直るのに何日かかるのやら。

 いや待て。もしかして破局か?

 だよなぁ……。いい加減寝起きの悪さを直せばいいものを、俺は待ち合わせのたびにやらかしている。さすがに、堪忍袋の緒が切れたかも知れない。

 どんな言い訳を考えたって、やり直そうという俺も虫が良すぎる。

「はぁ……」

 項垂れる俺に、絶望の文字がのしかかる。

 因みに、彼女との縁は俺の片思いである。彼女が長谷に住んでいるという情報を得た俺は、ラッキーと喜んだものだ。

 何せ俺は隣の極楽寺に住んでいる。長谷駅から極楽寺駅まで、江ノ電で僅か一駅。

 付き合い始めた頃、俺は良くこの桜橋で極楽洞から出てくる江ノ電を見ていた。彼女が乗ったその江ノ電を。

 そして俺は極楽寺駅脇にある円筒のポストの前で、改札から出てくる彼女を出迎えるのだ。たまに遅れてくることがあったが、彼女は俺のように言い訳なんかしなかった。

 ごめんねと言って、下を向く。

「俺も今、来た所さ」

 俺がそういうと、彼女は暫く俺を見つめ「そうなんだ」と言って笑った。

 思えば――、下手な言い訳などせず、素直に謝ればよかったのだ。

 LINEを見たが、返信はない。

 こういうときの既読スルーは、かなりきつい。

 駅に向かえば、極楽寺駅と書かれた緑の看板が目に入り、木造の無人駅全体が見えてくる。もうすぐここも、2019年4月にリニューアルが完了し、新駅舎が整備されるという。この古い駅舎は、モニュメントとして保全されるらしい。

 そんな極楽寺ホームに、鎌倉方面から来た江ノ電が停車した。

「え……」

「習慣って怖いわね。降りなきゃと思ったら一歩手前だなんて――」

 呆然とする俺の前で、彼女は怒るわけでもなく極楽寺駅に降りた言い訳をしている。

「鎌倉に言ったんじゃなかったのか?」

「言ったわよ。でも一人でおしゃれなカフェって虚しくない? どこかの誰かさんがこないせいで「約束をすっぽかされました」みたいな雰囲気丸出しではね」

 昔の彼女は大人しく、こんなに話すタイプではなかった。実は男勝りの性格だと、俺は最近気づいたばかりだ。

「悪かったよ。ごめん……」

 もう言い訳はしない。俺はそう思った。すると「はい、これ」と彼女が四角い包みを渡してきた。聞くと中身は、目覚まし時計だそうだ。

 小町通りから、少し行った時計店で買ったという。

「あのとき――」

「え……」

「私が遅れてきたことがあった日――、私は必死に言い訳を考えていたの。でも長谷からここまでたった一駅。言い訳なんて浮かばなかった。言い訳も結構大変よね」

 俺に返す言葉はない。

 彼女はこの目覚まし時計を俺に渡すため、この極楽寺で降りたのだ。

「まだ、あの店やってる? よく二人で行った古民家カフェ」

 俺がまだやっているというと、彼女が歩き始める。

 明日から、俺は気持ちよく目覚められそうだ。彼女のことだ。可愛らしいチャイム音がなる目覚まし時計かも知れない。

 いや、それだと俺は二度寝する恐れがある。もう言い訳はしないと決めたのに。

 しかし――翌朝俺は、心臓に悪い音量のアラームで起こされた。

 お陰で目は覚めたが、毎朝この音量は心臓に悪い。

 時間ぴったりに現れた俺に、彼女はしたり顔だ。いやはや、いつの間に彼女の方が強くなったのか。俺と彼女は江ノ電に揺られ、車窓からの由比ヶ浜を二人で見つめていた。

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極楽寺駅へようこそ 斑鳩陽菜 @ikaruga2019

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