【KAC20237】愛すればこそ

無雲律人

愛すればこそ

 いつも、どんな時でも、あなたはそうだった。


「すまない。今はまだ、子供にお金が掛かって……」

「世界で一番愛してるのは君なんだ。ただ、妻がいつもヒステリックに怒ってね……」


 あなたの口から出るのは、苦し紛れのいいわけばかり。私、本当は分かってるの。あなたは奥さんと別れる気なんて無いんだって。


 苦し紛れのいいわけは、既婚者の常套手段。


 そんなの、ネット記事に言われなくたって分かってるわ。


 でもね、私はあなたから離れられないの。数万分の一でも、あなたが私を選んでくれる可能性があるなら。あなたが私を優しく抱いてくれている間は……あなたの傍にいようって思ってるの。


***


 私、見たのよ。あなたが奥さんと子供を連れて楽しそうにショッピングしているの。


 こんなの、良くあるパターンの、不倫女があなたに失望する瞬間よね。でもね、私は失望しないわ。


 だって、あなたの本当の姿を知っているから。あなたが私に見せる笑顔。あなたの考え込んでいる時の眉間のしわ。あなたが私に触れる時の恍惚とした顔。あなたが果てる時のため息。


 私に見せる姿こそが、あなたの本当の姿なのよ。


 知ってるのよ。あなた、奥さんに無理矢理既成事実を作らされて、そして奥さんが身籠って、仕方なく結婚したのよね?


 奥さんは上司の娘さんだったから、「堕ろしてくれ」って言えなかったから結婚したのよね?


 全ては奥さんが上司の娘だから、今もそうやって偽りの優しい笑顔を向けるんだわ。


 だからね、私がを取り戻させてあげようと思うの。


 今日もいいお天気ね。家族でショッピングモールに来るには最高の日和だわ。


 人も多くて、私がここに紛れ込むには、最高の日だわ。


「ねぇ……あの女の人、手に持ってるの包丁じゃない?」


 あら嫌だ。すれ違った若い女に、手にした凶器を見られたわ。


 なら……私は素早く行動するのみね。


「健一を返せぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」


 私はを見付けると、包丁を構えて素早く突進したわ。


「きゃぁぁぁ!!!」


 驚いて悲鳴を上げるに、私は包丁を突き刺した。


 あなたは小さな息子を抱き寄せながら私を制止しようとする。


「邪魔をするなぁぁぁ!!!」


 私はあなたと突き飛ばし、そしてまたを突き刺す。


 あなたにとって邪魔な存在のこの女を、処理してあげてるんですもの。止められる筋合いは無いわ。


 嬉しいでしょう……? 私をもっと愛したくなるでしょう……?

 

 これが終わったら、私をたっぷりと愛してちょうだい……。


「死ねっ! 死ねぇぇぇ!! お前なんて、死んでしまえ!!!」


 私は何度も何度もを刺す。


 息絶えた後も、お前を刺す。


 だけど、その後すぐに駆け付けた警備員に捕まった。


***


「だからね、私はあの女に束縛されて可哀想なあの人を救ってあげただけなのよ」

「うーん。いいわけとしては有りがちだけどね、吉野仁美さん。あなたと権田健一さんが付き合っていたという事実はどこにも見当たらなかったんですよ」

「だって刑事さん。私とあの人は秘密の仲だったのよ。そんな、交際が公になっているわけないじゃないですか……」

「うーん。そう言われてもねぇ」


 あの後、私は警察に捕まった。警察では、私とあの人の秘密の恋の事について洗いざらい話をしなければならなかった。


 でもね、警察は私とあの人の恋なんて確認できなかったって言うの。何でかしら。私の部屋を調べてくれたら、あの人の痕跡が沢山あるのに。


「警部、ちょっと……」

「あぁ……」


 刑事が二人、こそこそと話しているわ。やぁね……


「……というわけで、マルヒの部屋から権田家が捨てたゴミが大量に発見されました」

「要するに、マルヒは権田健一の一家が出したゴミを漁ってコレクションしていたわけだな?」

「そうです。特に、使用済みのコンドームは全部まとめて冷蔵庫に隠してありました」

「変質者そのものだな。あのストーカー女……」

「いいわけから察するに、レディースコミックの読みすぎですよね」

「そのレベルでもあるまい。自分が権田の愛人だと思い込んで、奥方を刺し殺したくらいだからな」

「権田一家とマルヒは、接点は全くありませんでしたよ。どこで権田に目を付けたのでしょう?」


 こそこそ話が終わると、中年の刑事がまた私の前に座ってそして聞いたわ。


「吉野仁美さん、あなたはどこで権田健一と知り合ったんですか?」


 どこ……なんて、バカげた質問をする刑事さんだわ。


 私とあの人は、生まれる前から結ばれていた運命の片割れなのよ。


 どこも何も、あの人を街で見かけた時から分かってたわ。あの人が私の半身だって。


「なるほど。要するに街でたまたま見かけた権田に一目惚れをしたって事ですね」

「違うわ。一目惚れじゃないわ。あの時、彼も私に気付いて、そして愛を確信したのよ……」


 ああ、早くここから出て、あの人が待つ家に帰りたい。


 待ってて……待っててね、あなた……。


***


 権田健一の妻を殺害した女、吉野仁美は、その後の精神鑑定で刑事責任を問えないと判断されたが、代わりに山奥の精神科病院に入院措置となり、生涯にわたり出てくる事はなかった。


 その中にいてもなお、吉野仁美は権田健一への愛を語り続けており、回復の見込みは無いと判断されている。


 権田健一は、その後息子と二人で寄り添って生活を続け、七年後に再婚し、二人の娘を授かった。そして、犯罪被害者を支援する団体を運営し、理不尽に家族を殺された者のケアを行っている。



────了

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