第4話 嬉しのオリーブ
大戦末期、敗北を確信した強国は、人類史において最も卑劣な作戦を決行した。
大西洋沖合。地下深くの海底火山に水素爆弾を大量投下。マントルまで届く衝撃波は、人工災害——、『噴火』を誘発した。
マグニチュード9.0を超える大地震、湾岸線を飲み込む大津波。
まだ序章——。
地底深くからたちのぼる膨大な噴煙、死の灰が空を覆い尽くし。
ユーラシア大陸の平均気温を三度下げた。
これは氷河期水準をはるかに上回るもので、動植物、ひいては作物までを氷漬けにした。
数億人単位の餓死者を産んだ作戦への回答は、同じだけの犠牲が必要になる。
ユーラシア大陸の温度を上げるにあたって、我々は地球全体の気温を上げる必要に迫られたのだ。
方法——。
世界各地の氷河、永久凍土を核爆発で溶かし、閉じ込められていたメタンガスを解放。温室効果は地球全体を覆った。
先の油田永続発火地帯や、戦火に燃え、砂漠化した森林もこれを後押し。
人類はどうにか首の皮一枚、命をつなげることに成功した。
歴史上最後に使われた核爆弾が、地球を救うためのものであったと。偶像を崇拝する宗教が生まれたそうだ。
人類はようやく、核を手放すことができたのだった。
が、これまでの旅路がそうであったように。
必ずしも戦争は、負債だけをもたらさない。
海底火山の噴火は、地球儀へ島を一つ書き足すに至った。
溶岩が海水で急速に冷やされ、固まることで新たな陸地が生まれたのだ。
戦後社会は、もちろんこの島も有効活用する。なにせ世界で唯一、『戦場になっていない大地』なのだから。
宇宙エレベーターと同じように。この島は平和の象徴として『オリーブ島』と名付けられた。
現在は植物のオリーブを育て。この島の名産物にしようと、活動家たちが躍起になっている。
多少空回りしている気もするが、真面目な話ばかりが民衆へ希望をもたらすわけではない。ふざけているくらいが親しみやすかったりするんだ。
船を降り、オリーブの大地へ立った。国境線の最果てにある、まだ何もない島。
豊かとはいえない、これが希望と呼べるのかも私にはわからない。
ただ一面と続く草原は。
あぁ──。
壮大だった。
それは確かな勇気と活力を私に与えた。
『人類、やればできるじゃん!』って、思えたんだ。
風が吹く。大海からの風。
ぐるりと一周、星をめぐり。最後にこの島へ辿り着く風。
確信した。
「私はこの島が好きだ!」
島の人たちはみな命に感動し。抱く理想を共有している。
そして口を揃えて話すんだ。
『我々は過酷な戦争をのり超えたのだ』と。
嬉しそうに。
世界はどんどん良くなっていく。
無邪気に信じている人だけが、この島へやってくる。
吹く風のように。
なんて喜ばしいのだろう。
旅路の果てがここでよかった。
何もない草原でよかった。
「何かいいことありました? アリア」
「はい、博士」
声をかけてきたのは、現存する人類の中でおそらく。最も聡明な科学者たちによって組織された、世界和睦条約機構の総監。
スカイブルーの瞳は知性を宿し。白髪としわくちゃな顔は底抜けに優しかった。
博士は手元のラジカセスイッチを押す。耳に心地よいクラシック音楽が響き始めた。
「バッハの
「いつの時代も音楽は素晴らしいものだね」
「私、この曲好きですよ」
博士は、私たち『アリア』を、作ってくれた人だ。
「君の答えは、もう見つかったのかな?」
「はい」
「そうか、ようやく。うぅ、ようやくだ」
「博士、泣かないでください」
「ようやく、この星から国境がなくなるのだな」
今一度原点に立ち返ろう。
世界は国が消えることを望んだ。
でも、どうやって?
武力行使はあり得ない。かといて自国の消滅を是正するに、話し合いで決着がつくはずもない。
社会構造上、全市民がなんらかの国籍を持ち。人の数だけ故郷と呼ばれる土地がある。
人は誰しもが根底に愛国心、ひいては郷土愛を持ち合わせていて。実に素晴らしいと思う。
ので、いくら中立の立場にあろうと、ヒューマンエラー。
バイアスがかかってしまうことは避けられない。
よって機構は発案した。
『完全自立型AIによる判断のもと、公平に国の合併を承諾する』
どの国籍に属することもなく、どの組織に与することもなく。公正に、公然に、正しきを執行するジャッジマン。
『人工地球意思・アストロイド』
またの名を、アリアシステム。
私の姿が人間の少女であるのは、アリアであることを認知され、贔屓されるなどして。情報の正確性が損なわれることを未然に防ぐためだろう。
「君は確か、200番目のアリアだったね」
「はい、パンゲアとヌーナの国境を担当しておりました」
アリアシステムは全世界に配備され、各国を巡った。それぞれの意識は共有してあり、一番目も、百番目も、私と同個体と言えた。
何年、何十年旅をしてきただろう。
国がどう融和すれば、争いや軋轢を生むことなく。秩序ある社会を形成できるのか、私たちは判断し続けてきた。
今の平和があるのは、アリアシステムがあってこそだと自負している。
個体識別番号200。
私は現存する最後のアリア。
「君の発言は世界に中継されている。だが私は、それに臆するようプログラムしていない。この星の行く末を、安心して君に託せるよ」
博士は私から離れ、ただ慈悲深く微笑んでいた。
「さぁアリア、答えを聞こう。この星はパンゲアか、ヌーナか、どちらだ?」
博士、深呼吸のマニュアルをインストールしていてくれて、どうもありがとう。
電子回路製の心が、覚悟を定める。
「どちらでもありません」
ラジカセをつかむ。
これは世界へ響くメガホンだ。
「自分たちで考えろ♪」
アリアシステムが提示する、最後の審判。
お前たちが壊した星だ。
お前たちが殺した星だ。
そしてお前たちが愛した星だ。
火星や水星、太陽系外に逃げた人たちも沢山いたのに。
過酷な地球になおも残る判断をした、素晴らしきお前たちの星が地球だろ?
なら、あとは自分たちで考えなさい。
大丈夫、私は知っています。
楽しい音を。
哀しき愛を。
怒りの火を。
喜びの風を。
私たちは知っています。
人は意外と、悪いもんじゃない。どうにかなるし、どうにかするんでしょ。
それでも『困ったもんだ』っていうのなら、どうか私たちに頼ってください。一緒に歌うことくらいなら、機械のハートでもできるから。
「あと博士、私、未来に100ゴッズ賭けているのです!」
国境線上のアリア 海の字 @Umino777
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