ヘヴンリーバディ

八田部壱乃介

ヘヴンリーバディ

 ひとりきりの朝。

 ひとりきりの食事。

 ひとりきりの生活音。

 ひとりきりの、人生。

 駆け足に電子音が鳴り響き、ぼくに予約した時間が迫っているよと注意した。重い腰を上げて、緩やかに着替え、粛々とネクタイを締め、玄関戸を開けていく。

 向かう先はとある店。

 呼ばれるまでお待ちくださいと言われて席に着く。ふうっ、と息を吐き出しては、懐からハンカチを取り出した。額を拭いながらも視線は明後日へ。

 設置されたモニタでは、若い女性が宇宙葬との言葉をにこやかに、軽やかに繰り出していた。

 言うまでもなく宇宙葬とは、死後に棺を打ち上げるサービスだ。ぼくは打ち上げられるべく、申請に来たわけで。モニタには花火のようにたくさんの棺が上がり続ける。それが妙に綺麗に見えて、成る程、火で彩られた花畑なのだ──と独り合点。

 案内を横目に、あんなに打ち出しても良いものかなあと思っていた。

 というのも地球上の資源とは有限で、もしもすべての人の魂の抜け殻を、このようにして打ち上げてしまったら、地球は空っぽになってしまうんじゃないだろうか。

 その上天国は宇宙ゴミでいっぱいになるだろう。それどころか、これらを組み合わせたもうひとつの惑星か、或いは衛星が出来上がるのではないか……なんて想像してみたり。

 だからそこで、ぼくは更に突き詰めて考えた。死者はひとりずつではなくて複数人。棺を共同墓地として、宇宙で束ねてしまえばどうだろう。そうなれば人工的な衛星が宇宙に打ち上がるはずだ。

 抜け殻人たちは本当の意味で、星になる。親から子どもに向けられる、あの作り話が事実になる瞬間だ。ぼくらの死は、一等星ほど煌めいてはいないけれど、でもそれに準ずることになる。

 赤ん坊が生まれ、育ち、老いていき、そして死ぬ。遺体は打ち上げられて、星になる。磁力なり引力に引かれて墓地が大きくなれば、それはそれは格が上がるだろう。というのも成長するに従って、いつしか地球の方が惑星の周りをうろつく衛星になるかもしれないからだ。

 そう考えると、どうだろう。ぼくらは確かに惑星になれるかもしれない。貴方はわくわくしてこないかな。

「そうですかね?」と、ぼくの言葉に彼女は小首を傾げる。受付を担当したナディア・リーは、薄く微笑すると、「どうして、惑星になりたいんですか」

「どうしてだろうね。言葉に換言するのは難しいな。ただ思うのは、地球は確かに宇宙に存在して、これだけ大きいのにちっぽけで──ああ、ぼくは、こんなところで満足しようとしていたのか、って苦笑したいのかも」

「人生の最期に、ですか?」

「そう。人生の最期に。それに──」

 ぼくは多分、地球に憧れを抱いていたのかも知れなかった。

 母なる大地、とこの惑星は形容される。いまさら性別を問うだなんてナンセンスな話かもしれないけれど、でもそのために何だか迫害されたような気がしたのだ。人は塵だから、いずれ塵になる。もしも惑星になりたければ、ただ埋葬されるだけで良かったかもしれない。彼女の側で眠るのも、そう……悪くない。

 でもぼくは地球じゃない。ぼくはぼくのまま、ぼくとして惑星に生まれ変わりたかった。なんてワガママな話だろうと思う。恐らく、死の淵に際して自分の本音に素直になったのだろうな。

 ぼくは塵とならず、冷たくなって、宇宙を旅したい。そしてその感動を、死して尚、誰かと分かち合いたい。

「技術的には可能ですが、少々お値段が張りますよ」

「相続するような子どもも居ないからね。構わない」

 まったく、親不孝ものだよなあ、と心の中で呟いた。彼もまた、宇宙を泳ぐ者のひとりだ。

「不思議な人ですね」とリーは言って、

「いずれ貴女もそうなるよ」だなんて、ぼくは言う。「成長すると人は、素直な想いもいびつに出力されてしまうからね」

 彼女は鼻息を漏らし、肩を竦めてみせた。

 かくしてぼくは、棺に納められるその時を夢見て生きている。死ぬことは怖いはずなのに、本当に不思議なことだった。ぼくは死後に楽しみを見つけている。死んでしまえば宇宙での旅なんて何もわからないというのに。何故だろう?

 何故だろう……。

 きっとそれは、未来という言葉を獲得した、人類だけが持ち得るある種の才能なのだろう。

 言うなれば希望だ。

 ぼくは惑星になることを希望し、

 宇宙を揺蕩う未来に希望を見出し、

 ある日には息子とも再会し、

 そうしていつの日か、妻と同じくらいの惑星になって、隣になれるかもしれない夢を見て、ぼくは今日を生きていく。

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ヘヴンリーバディ 八田部壱乃介 @aka1chanchanko

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