きゅうん
「……ううっ……えぐっ……きゅうん、きゅううん……」
「えみが何を考えてるのか、わかるよ。……時雨たちが報復してくるんじゃないか、って。えみの動画を全世界に公開するんじゃないかって、そんなところだろう」
「……うう、わんわん」
「えみの考えてることなら俺はわかるよ」
恭くんは更に頭を撫でてくれて、……わたしの涙は、更にあふれる。
「えみ。よく聴いて」
「……きゅん?」
「性格悪いこと言うけどさ。時雨の大学より。
大学……どうして……。
そんな話を、しているのだろう。
確かに大学名としては、そうかもしれないけれど――お兄ちゃんも真衣ちゃんも、すごくすごく、頭が良いはずだ。
だってわたしはずっと、……馬鹿だねって、笑われ続けてきたのだから。
たとえ恭くんの言う通り、わたしたちの大学のほうが難易度が高かったとしても――それは、お兄ちゃんや真衣ちゃんたちが、……事件後、普通に生きていくようになるまでに時間がかかったからじゃないかな。
そこまで思って、……だけども、思う。
事件後、普通の人生に戻るための時間は――わたしだって、経験した。
様々なプログラム。面談。
恭くんが、事件後どうしていたかは知らないけれど――治療をしていただろうことは想像に難くない。
それに。……さらわれていた二年以上まるまる、勉強なんてひとつもできなかったはずだ。
「俺たちは時雨を出し抜けるかもしれない。……教えてくれたのは、時雨だよ。強くなれって、あいつ――俺のこと、殴りまくるからさ。……お教え通り、強くなってやろうかって思ってるんだよ」
恭くん。いつのまに。
こんな不敵な顔。するように、なったんだろう――。
「咲花は知名度とセンスとお金があって。俺はまあ、頭なら使える。……俺がしたいのはペットプレイであって、虐待じゃない」
気がついたら。
わたしの動画は終わって、わたしの声は、聞こえなくなっている。
「ペットプレイを、取り戻したい」
急に静かに感じる部屋で――。
「……きゅん、きゅんきゅんきゅんっ」
「……そうだね。俺も無傷ではいられないだろうけど。咲花さんは、今の生活が続けられなくなるかもしれないね。だから今度聞くよ、えみが『咲花』のときに。どうしたいのか」
それは。
動画を公開されるリスクを恐れて、このまま、お兄ちゃんたちに犬扱いされて虐待される日々を選ぶか。
それとも。動画を公開されるリスクを承知しつつも、恭くんに従ってみるのか。
お兄ちゃんたちに与えられた地獄よりは、恭くんたちに与えられた地獄のほうが、ほんのちょっとましな地獄。
だって、お兄ちゃんたちは、いくらわたしが犬になっても褒めてはくれないから。
恭くんは……褒めてくれるから。
人間であることと、褒めてくれること。
そのふたつを天秤にかけてみると――驚くほど繊細なバランスで、ただ、揺れ続けるだけで。
「それに。このまま時雨たちに従っていても、咲花さんの動画が公開されないとは限らない」
……確かに。
お兄ちゃんたちなら――脈絡もなく、ただ、愉しいからってだけの理由で、……わたしが犬扱いされている動画を、唐突にぱっと公開しかねない。
「だったら、早めに……時雨たちと闘った方が、咲花さんにとっても、……もしかしたら良いのかもしれないよね。俺は、咲花さんが『えみ』であり続ける限りは、咲花さんの過去は公表しない。……こればかりは信じてもらうしかないけど、約束だから」
お兄ちゃんたちと、恭くんと。
どちらが信じられるかと言ったら――どちらも信じられはしないのだけれど、しいてどちらかを選ばなければならないのなら、……恭くんだった。
今日という日は。
わたしの人生にとって、ラッキーな日なのかアンラッキーな日なのか。
「……きゅうん」
「……いいこだね。いっぱい言いたいことがあるのに、人間の言葉で言えなくて、……えみは可愛いね」
恭くんは、そんなわたしが見たかったのかな――。
あとで、振り返ったときに。
今日という日を、ラッキーな日にするのか、アンラッキーな日にするのか。
人生が、少しはうまくいくためのきっかけの日にするのか。やっぱりうまくいかない人生の、転落の始まりの一日にするのか――。
ラッキーセブンは、ラッキーなままでいてほしい。
大吉を、大凶にするのは。ラッキーセブンを、アンラッキーセブンにするのは、もういやだ。……でも。
選択肢なんてこれまでろくに与えられたことがないから、嗚咽を漏らして、わたしを撫でる恭くんの大きな手に頬を寄せた。
人間のわたしを、殺さないで。 ~加害者少女は犬になる~ 柳なつき @natsuki0710
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