葛西 秋

 その年は梅雨が長引いた。

 雨を十二分に吸った土壌は山肌を切り開いて作られた道路に滑り落ち、その時私が歩き回っていた山間の集落を外の世界から切り離した。


「このぐらいの土砂なら、明日、役場が除けてくれるでしょう。渓流釣りの宿が一つあるから、皆さんそこに一晩泊めてもらうのがいいですわ」


 運転していた路線バスをいったん止め、土砂崩れの様子を見に行ってきたバスの運転手はそう云って私を含めた数人の乗客を見回した。


「皆さん、ご一緒のグループでしょう?」


 私を含め、三々五々の席に座っていた乗客数名は全員、同じ仕草で首を横に振った。

 バスの運転手は妙な顔をした。


 運転手の好意で、宿に上る道の入り口まで送ってもらい、乗客はそこでバスから下ろされた。バス会社の方から宿には連絡してくれているらしい。


「明日の朝にはそこのバス停から出ますから、乗ってください」


 そう言い残してバスが見えなくなり、そこには同じような風体の中年数名が残された。皆一様にアウトドアで活動する服装だが、機能が優先してファッション性に著しく欠けている。機能とデザインを両立したアウトドアブランドの製品を身につけているものは皆無である。


 代わりに、腰回りに何かを付けている。

 サコッシュならまだ今風だが、ウエストポーチやポシェットと云った昭和の香り漂う小物がちらほら見えて、胴乱を提げている者もいる。あちこちのポケットは歪に膨らみ、胸ポケットから覗くのは赤鉛筆ならぬ黒の鉛筆。


 間違いない。

 石碑、石仏、古い神社に廃れた寺。細かな目的はどうあれ、我々は古いものを探して喜ぶ同好の仲間だった。


 小雨が降る中、宿へ続く細い坂道を、ややコミュニケーション能力に欠ける中年達が微妙な距離と沈黙を保って登っていった先、外観は民家そのまま、けれど玄関に「民宿かじか荘」という看板が下がった家が見えてきた。


 呼び鈴を鳴らす前に戸が開いて、高齢の女性が顔を出した。宿のおかみさんだろう。

「あれ、大変でしたでしょう。バスの佐藤さんから話を聞いてます。部屋はございますからどうぞおあがり下さい」


 まずはこちらでお茶でも、と通されたのは広めの座敷で、

「ここで食事を出しますので時間になったらおこしください」

 おかみさんはそういって、部屋の準備のために座敷から姿を消した。

 ここまで無言のまま一つの集団として扱われてきた我々は、流石にここでそれぞれが挨拶を交わした。


「自分は口碑伝承を集めているんです」

 いちばん外見が若く背の高い、よく見れば中年ではなくまだぎりぎり青年の域である伝承愛好家が初めにそう云うと、皆がそれぞれ自分の興味のあるところを申し述べ、それが自己紹介となった。


 私の興味は馬頭観音である。他の人たちは、口碑伝承の青年の他、山城、地蔵、庚申塔、狛犬と申告し、気を付けて聞いていたが関心が重なる人はいなかった。


 部屋の広さに大小はあっても人数分の部屋が用意できたとおかみさんがやってきて、私が通された部屋はやけに狭かった。三畳の部屋とは今どき珍しい。もとから泊まるつもりもなかったから荷物はないのだが、それにしても布団一枚で部屋が圧迫される。


 簡単に用意してもらった夕食を食べた後、私だけでなく皆が座敷に残ったのは、だいたいどこの部屋もそんなタコ部屋だったからだろう。

 酒を調達した山城好きが自分が撮った写真をタブレットで見せ始めたあたりから、人見知りの棘が溶け、皆が写真を持ち出し、見て来たこと、体験したことを語り始めた。


「東北にこの間行ってきましたが、あそこはまあ、地蔵が少ない」

「なんでしょう、土地柄というのはあるもんですなあ」

「西の方がやはり多いんでしょうかねえ。庚申塔なんかは全国に有りますが、意匠が違ったりします」

「庚申塔と云えば猿だとしか分かりませんが、その猿の形が違いますか」

「猿とはいってもですね」

「そういえば野生の猿に襲われたことが有りますよ」


 酒が良い具合に入ってからの趣味の話である。行動する場所もほぼ同じである我々は、直ぐに話に興じ始めた。


 やがて風呂が沸いたと、今度は高齢の男性が知らせに来た。おかみさんの旦那で、おかみさんは明日の朝食の準備で手が離せないのだと、なぜか口調が言い訳がましい。

「あんまり広い風呂ではないですから、どうぞお一人ずつ」

 そう云っておやじが消えた後、ならば一人ずつ風呂に入ってこようという話になった。


「一番風呂、頂きますわ」

 ひょろりと長い伝承愛好家が最初に座敷を立った。年功序列など、私のようなだらしない中年は気にしないが、周囲もだらしない中年だった。風呂に入るのを引き延ばしたがる傾向は、年を追うたびにひどくなる。


 見回すと、部屋には六人が残っていた。

 私はその六、という数で自分のデジカメで六地蔵の石碑の写真を撮ったことを思い出した。私は自分の部屋からカメラを持ちだし、座敷に戻った。


「お地蔵さんを見ているというのは、貴方でしたか。これ、六地蔵ですよね?」

 私が差し出すデジカメの小さな画面を皆がのぞき込んできた。非常に暑苦しい。

「ははあ、一枚岩に地蔵が六体。コスパがいいね」

 私が撮ったお地蔵さんは、その言葉通りに六体が一枚の石碑に掘られていた。上段に三体、下段に三体。それぞれに彫りの違いはあっただろうが、摩耗して細部は分からなくなっている。


「そもそもなんで六地蔵なんですか」

「諸説色々ございまして、基本、檀陀・宝珠・宝印・持地・除蓋障・日光菩薩の仏さまの組み合わせです。六道をそれぞれ救ってくださる六人のお地蔵様への信仰です」

「ワークシェアリングが確立していますな」

「やっぱり一人でいくつも仕事をもつのは大変ですからなあ」

 皆がそれぞれ言いたいことを勝手に言う。


「六道輪廻だから六地蔵。ならば六の数字も納得いきますが、じゃあ七とはなんでしょう。巷ではいろいろ言いますな、七福神に七不思議、ラッキーセブンとはまさに幸運を示している」

「インターネットには西洋から最近日本に入って来た風習だという意見もありますが」

 全員が、ないない、と首を思い切り横に振った。

「本邦において、古来より七という数字が何らかの意味を持っているということ、そしてそれが北斗七星に由来するというこの辺りは、どうやら皆さんご存じのようで安心です」

 山城好きが自分の茶碗に酒を注ぎながら満足げに頷いている。

「妙見菩薩ですな」

 石仏好きは合いの手に注釈を加えながらの解説である。


「妙見菩薩は北斗七星をシンボルにする菩薩さまで、長寿の御利益がございます。インドで発祥した仏様ではなく、中国大陸の道教の神と融合して生まれた仏様で、本邦へは半島を通じて渡来人がその信仰をもたらしました」

「古墳時代もしくはそれ以前の話だったかと」

「そういえば我が国の月の神、月読命も渡来人がもたらした神様だとの話もあったな」

「古事記の神々も、だいぶ渡来系が多いものです」


「いいお湯でしたわ。次どうぞ」

 湯上りの伝承好きの青年が座敷に戻ってきた。入れ替わりに、隅に嵌っていた少々小太りの人物が座敷を出た。彼の好みは古い神社だったか。最早私は個人を名前ではなく興味の属性で判断していた。


「何の話をされてましたか」

 一番風呂の青年が気さくに話に入ってくる。酒の入った我ら中年は、さっきまで話していた話題を見失いがちだが、六地蔵の写真がその場を繕った。

「六地蔵から北斗七星の妙見菩薩へと話がころころ転がってます」

 ほうほう、数のお話ですか、と青年は茶碗を手にし、私は傍らの一升瓶を彼に渡した。

「七人ミサキはご存じですか」

 おや、と皆が虚を突かれた顔をする。

「さすが若い人の話だな」

「どうも我々が若いころは七人ミサキはローカルな話でしたが、今は何ですか、渋谷に七人ミサキが出るとか」

「渋谷。それは若い」

 中年たちの言葉の中には悟りきれない若さへの執着が滲み、そこはかとなく自虐の色が見え隠れしているが、青年は気にしていない。

「そうそう、その七人ミサキです。七人がグループになって歩き回り、それを目にした者は中に引き込まれ新たなメンバーになる」

「そして元の七人ミサキの中から一人がリストラされ、数はいつまでたっても七人だと」

「どうも世情を映すと世知辛いですな。まるでアンラッキーセブンだ」

 集まっている古モノ好きは、どうやら社会に対して適性を欠くことを自覚しているのか、すぐに雰囲気に自虐が混じる。


「風呂から出れば座敷に戻り、次の人が風呂に行く。ここにいる我々も七人ミサキのようなものです」

「今ここにいるのは六人ですから」

「なるほどそれなら六人ミサキですなあ。それならば雪の日に歩き出す六地蔵と何も変わらん」


 地蔵好きの適当な軽口に、酒の入った座は笑いに包まれた。


 皆が笑う間、私の頭の中には妙な間が生まれた。

 部屋にいるのは六人。風呂に一人。ということは、我々は七人いる。


 夕食の時、ここの座敷にいた人の数は六人だった。

 いつ、一人増えたのか。


 屋根をうつ雨の音が、なぜかはっきりと私の耳に聞こえてきた。


 急に押し黙った私の様子が特に気にも留められなかったのは、すでに時刻が深更を過ぎていたからである。


「そろそろお開きにしましょうか」

 風呂の順番が一巡し、良い気分そのままに顔を赤く綻ばせた山城好きが座の解散を言い出して、皆は部屋へと戻っていった。


 私は奇妙な心地を抱いたまま、けれど一日の疲れと酔いと、こればかりは逆らえない年による体力の低下により、深い眠りに意識をなくした。


 翌朝、用意してもらった朝食を有難くいただき、私たちを迎えるバスに間に合うように出発した。雨は止んでいた。宿の玄関を出て三々五々歩き出した人影を私は恐る恐る数えた。


 人影は五つ。私を入れて六人。

 昨日の夜とは、一人足りない。

 昨日の夕方とは、同じ人数。


「どうぞお気をつけて」

 その時、背後からおかみさんやその旦那のものではない中年の男性の声が聞こえた。おかみさんの肩越しに見えたその姿に見覚えがあった。昨日の座敷にいたメンバーの一人だ。


 彼が宿の家族だったとは。それならば人数の計算は全く問題ない。私は宿の家族にお辞儀をし、足取り軽く坂を下った。


 バスは駅まで我々を運び、これから周辺をまだ見る者、レンタカーを借りて遠出をする者、電車を乗る者も上下線に行く先が分かれる。再会を期して、あえて連絡先など交換しないまま我々は解散した。


 私は上りの電車に乗って去る伝承好きの青年を見送り、30分後の下り電車を駅の周辺で待つことにした。


 駅の待合室には「地域の歴史100年間」と題され、古い写真が数枚、飾られていた。その中の一枚に見覚えがあった。山の中の民宿。昨日泊まったかじか荘だ。


 添えられた説明書きには、こう書かれていた。


「過年の豪雨よる土砂崩れで幼い子どもを亡くしたこちらのご夫妻は、旅人を自分たちの子どもと思うもてなしの心で、半世紀以上、二人きりでこの宿を経営しています」


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葛西 秋 @gonnozui0123

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