満足できない僕と、弁天ちゃん
月見里さん
「幸せの反対」
僕の人生を一言で表すなら、不幸であった。
不器用なほど、真っ直ぐ生きたとしてどこかで曲折してしまうような偏屈な生き方をしていた。それを不幸だと言うなら、自業自得と一蹴されてしまうかもしれないが、よくよく聞いて欲しいのだ。
不幸とは、幸せの対義語としてよく用いられる場合が多いものの、実際は対ではないのだ。紆余曲折を経て、不幸せを対義に置いたとすれば、それを考えた人物は非常に幸福な生き方をしてきたのだろう。
「幸せの反対は、満足してしまうことだと僕は思うのだ」
「……また、突拍子もないことを」
薄暗い埃を集めたような、部屋の一室にて。僕は高らかと発言する。少し咳き込もうとも関係なく、目の前で僕を憐れむように見てくる少女の茶褐色と黒色を混ぜて、その中に冷静さを加えたような冷徹の瞳へ向かって、語っていく。いつものことだ。
「だって、そうだろう? 満足してしまうことが幸せだとするなら、つまりは満足してしまったことは不幸でもあるんだよ」
「よく分かりませんが、先輩が屁理屈をこねているのはよく分かります」
「考えてもご覧よ。幸せとは――例えば、大金を得たとしよう。方法はなんでもいい、宝くじが当たってもいいし、丁度今なら有馬記念で当てたとしよう。それによって、例え懐が満たされたとしても同時に失うものがあると思うんだよ」
「税金とかで色々減りますからね」
「君の方が屁理屈をこねているじゃないか。違うよ。それまで、大金を得ようと夢見ていた自分自身を失ってしまうんだよ」
僕の反論に少し気分を損ねたのか、茶褐色と黒色の瞳を不機嫌に歪めた少女はそこら辺に転がっているゴミクズを投げてきそうではあった。しかし、残念だったな。ここには埃しかないのだ。少女が持っている水色のスマホを投げてきてもいいだろうけど、そうすれば画面が割れてしまう。可能性が少しでもあれば、行動を躊躇ってしまう変に賢い少女だと知っているからこそ、減らず口を叩けるというものだ。
「それって不幸だと思わないかい? 満足しなければ、満たされなければ、満足していない現状に幸せを感じていたはずなのに、満足してしまった以上、そこに居座りたくないと思ってしまうんだよ。それは実に不幸だ」
「では、満たされずにいつまでも求め続けるのが、真の幸せだと?」
「そういうこと。一度でも満たされてしまえば、不幸を感じてしまうとそこから徐々に幸せが減っていくことに、危機感を抱いてより多くの幸せを求めにいく。自分の首を締めてでもね」
だからこそ、冒頭まで戻れば僕は不幸なのだ。
そして、不幸でいいのだ。
不幸がいいのだ。
満たされたくないから、今ある幸せで満足してしまって、それ以上を求めなくなってしまう停滞した自分が嫌だから。なにより、幸せなんてどこにだって転がっているわけじゃないのだから。
「じゃあ先輩は、幸せになりたくない。そう言っているわけですか?」
「あぁ、もし幸せになるならそれ以上の不幸を探しに行くくらいにはね」
「幸せにはなりたいんですね。強欲だ」
うるさい。あるなら貰って損は無いだろう。
「じゃあ、先輩。さっきはお金の話でしたが、恋ではどうですか?」
「恋? 残念ながら、恋愛をしたことはないから憶測でしか言えないな」
「それだと、宝くじが当たった話は先輩の体験談になりそうなんですが」
「当たったぞ、100円な」
「有馬記念で当たった話というのは」
「当たったぞ、この馬が勝つだろうてテレビを見ながら適当に言っていた予想がな」
「……馬券は」
「買ってない」
少女の冷たい瞳は残酷さを増していく。なんで、僕が悪いみたいになるんだ。
「今、君の状況はまさしく疑問への解答を得て、満たされたからこそ、知らなければ幸せだったと思っているわけだ。だから満足してしまうことは、不幸なのだよ」
「先輩が紛らわしい言い方をしなければいいだけでは?」
「騙される奴が悪い」
少女が全身全霊を込めて放ったスマホが、僕の顔面に直撃し、視界が明暗を繰り返す。鈍痛が顔中に広がり、なぜか関係ない心臓まで痛くなってくる。
「ほら、これで先輩は満足してしまったから不幸になったわけですね。ツッコミを期待して、満たされたから」
「……こういうのを求めていたわけじゃない」
「でも、先輩が恋愛をしたことないのは意外でした――いえ、訂正します。そんな性格じゃ恋人だけじゃなく、友達だっていないでしょうね」
「……うるさいな」
弱々しく返答する。ぐうの音も出ない代わりに、苦し紛れの言葉を吐き出したものだから、目の前の少女はニタニタといやらしく笑う。
あぁ、なんと満面の笑みだろうか。腹が立ってしまうほど、清々しいな。
「良かったですね。この弁ちゃんが相手してあげなければ、いつまでも自分一人だけで満足してしまって、ずっと不幸なままの先輩でしたものね」
「……君がずっとここにいるだけで僕は不幸だよ」
そう答える。そうしなければ、満足してしまいそうだったから。
僕は、まだまだ幸せになれそうもない。それでもこの少女――弁天ちゃんは傍にしてくれるのだろう。だからこそ、聞いてみたいことがあったのだ。
「ところで、君、自分のことを弁天ちゃんと言っているけど、本当の名前はなんなの?」
そう投げ掛けると、少女の瞳が茶褐色と黒色を混ぜ合わせた色だった瞳が、
しかし、僕がそんな風にモヤモヤした思いを抱えていると、弁天ちゃんは妖艶な表情を作り出す。
「それを言ってしまうと先輩は満たされてしまうでしょう? だから、秘密です。教えません。弁ちゃんの口は固いのです」
これほどに、自分の発言を呪ったことは無い。これじゃ、質問したとして一生満たされないじゃないか。
「…………やっぱり、僕は不幸だ」
「自業自得です」
僕の落ち込んでいる姿が見られてご機嫌な弁天ちゃん。こうやって、ずっと繰り返していくのだろう。不思議な少女――弁天ちゃんと一緒に。この埃だらけで、満足な会話もままならない部屋で、今日も僕は満たされないのだ。
満足できない僕と、弁天ちゃん 月見里さん @yamanashisan
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