ラッキーストライク
碧海 山葵
ラッキーストライク
夜中のコンビニ。
「ぴったり777円。なんか良いね。」
そんな声がふと聞こえてきそうな気がする。
―駅前のコンビニにあったはずの灰皿はとうの昔に無くなっていたが、ついに今日は路地に入ったところのコンビニのものまで撤去された。
着々と世の中が、喫煙者を排除しようとしている。毎年10月1日にご丁寧に上がってゆくたばこ税を納めているただの善良で愚かな市民たちだというのに、日に日にその生息地は狭められており、お互いの姿を見ることが減っている。いわゆる“タバコミュニケーション”もこの頃は全く見られなくなり、俺ももっぱら最近はひとり寂しく部屋の換気扇の下で吸うばかりだ。天気が良くて気持ちの良い日はベランダで吸いたいのに、隣人からの苦情が怖くて諦めざるを得ない。もう、仕事から帰ってきて玄関に貼られたたばこへの憎しみがたっぷりと詰まったメッセージを読みたくはない。
月曜日。
帰り支度をしていた定時30分前にかかってきた営業の怒り狂った電話に対応し、すっかり疲弊した心は、広い空の下で吸う煙を求めていた。きっとあそこなら、と駅から自分のアパートを通り過ぎ、足早に目的地に進む。少し乱れた呼吸によって吐かれる白い息がさらに俺を急かす。
駅から15分。
路地の奥のさらに路地につぶれかけたたばこ屋が一軒ある。店主は腰の曲がった優しげなおばあちゃんで、お店で一度もたばこを買ったことがないにも関わらず、しょっちゅう灰皿を求めてやってくる俺ほのような人達に分け隔て無くほえみかけてくれる。
「今日はもう夜だから閉まっているな。」
おばあちゃんに会えないことを少し残念がりつつ、もはや早歩きではなく小走りで灰皿に向かう。すると、見たことのない先客がいた。まっすぐの黒髪に、ぱっちりと開かれた二重の大きい目、小ぶりな鼻、そして落としたら割れてしまいそうなほどの色白の肌に良く映える桜色のリップを塗った女性だ。歳は同じくらいだろうか、なんだか悲しげな空気をまとっていて近寄りがたい。が、煙には代えられない。灰皿を挟んで反対側に立ち、たばこに火をつける。ラッキーストライク。パチンコと競馬を覚えた学生時代、なんとなく縁起が良さそうだという理由で適当に選んだ銘柄をもう5年も吸っている。
「1本貰ってもいい?」
声は明らかに灰皿の向こう側から聞こえる。恐る恐る目を遣ると、握りつぶしたPeaceの空き箱を手に、上目遣いでこちらを見ている。断る理由も無い。
ん、と箱から1本抜き取るようにと差し出す。
ありがと、と彼女は抜き取った1本を咥え、年季の入ったZippoでそれに火をつけた。そしてちびりちびりと吸った。俺はどうしてかその姿から目をそらせなかった。
「暇だったらたばこ買いに行く?」
思わず口からこぼれた言葉に自分自身で動揺した。彼女にあげたたばこは、もうフィルターギリギリまで燃え尽き、桜色に塗られた唇が妙につややかに見せていた。彼女と俺の間に沈黙が流れた。彼女はその間に肌と同じ壊れそうなくらい白い手を伸ばし、火をもみ消して、吸い殻を灰皿の中に落とした。とても綺麗な手だった。
「うんと遠くのコンビニに行こう。」
彼女の声は沈黙を破り、俺たちの距離を近づけた。
彼女と僕は、近くにも遠くにも見える東京タワーの近くのコンビニを目指して歩くことにした。大学を卒業し、上京したばかりの頃は休みになるとよく俺は、東京タワーの足下に行った。足下で自分の小ささを感じ、何者かになれるだなんて夢を抱いて働き始めた自分をそっと奥に仕舞っていたことを思い出す。
俺がそんな物思いにふけっている間、彼女は道路をジグザグに歩き、たまに振り返り、そして駆けていく。酒に酔っているのだろうか。気になるが、彼女も俺のことを聞かないし、俺も彼女のことを聞かなかった。
「おーい」と大きく手を振り俺のことを呼ぶので、めんどくさそうにそちらへ駆けたり手を振り返したりした。
彼女と俺は、まだ月曜日だということを忘れてしまったかのようにただ歩いた。
途中から彼女が「これは絶滅危惧種である“ハイザラ”を見つける旅だ」とかなんとか言うので、どこかもわからない町で灰皿を見つけては、俺のラッキーストライクを1本ずつ吸った。彼女はたばこのお礼に、と毎度自分のZippoで火をつけてくれた。彼女のZippoでつけられたたばこはいつもと違う味がした。
途中で見つけた公園でブランコに乗る。灯りはまばらで、いつ遊具が勝手に動き出してもおかしくなかった。公園を出てまた歩く。途中にあった広場のような空間に或ベンチに座って休憩する。彼女は、そこにあることを最初から知っていたように、ベンチの下からどこかの誰かがおいたのであろう、数本吸い殻が入ったツナ缶を取り出す。俺たちはまた2人でタバコを吸った。少し小高くなっているこの広場のベンチから見下ろす深夜の交差点がよかった。世界に2人だけではないことを教えてくれた。
底からさらに歩くと、遂に東京タワーが見えた。時間が時間だからか、もう灯りをともしてはいない。彼女は途端にやる気を無くしたようで、ここがゴールね、と言い張った。俺は何でも良かったからただ頷いた。
彼女が決めたゴールから1番近くにあったオレンジを基調としたコンビニに入った。店員は予期せぬ来客に驚くそぶりを見せつつも、品出しの手を止めずそっけなくいらっしゃいませと言った。
欲しいものはもう決まっているのに、店内を1周する。
「Peaceでいい?」
彼女の分を約束通り買おうと声をかけると、もうタバコはやめることにしたからいらないと笑った。よくわからないけれどよかった。
俺はタバコを1箱と温かいミルクティーを買った。
レジスターに表示された額は777円。
ラッキーセブンだ、と彼女に見せたかったけど、彼女は外で待ってるねと言って先に出たので写真を撮っておいた。
会計を済ませ、いつもは捨ててしまうレシートを上着のポケットに小さくたたんでしまい、店の外に出た。
彼女はもうそこにはいなかった。
俺の手元でまだあたたかいミルクティーが行き場を無くしていた。
俺は流れていたタクシーを呼び止めて乗り込み、家の近くの住所を伝えた。ミルクティーは、まだ開けていないからと運転手のおっちゃんにあげた。おっちゃんはみるみる上がっていくメーターが嬉しかったのか、そのミルクティーが飲みたかったものなのかはわからないが、到着まで上機嫌に話し続けた。―
ある月曜日。
週の初めから上司に怒られ散々だった月曜日。
俺はコンビニで、ラッキーストライクボックスライトを1箱とカップラーメンを買った。レジに表示された額は777円。アンラッキーセブンだ。
咄嗟にレジ横のアメリカンドッグを追加注文し、お会計が907円になったことを確認してほっとした。
アメリカンドッグにマスタードとケチャップをたっぷりつけた。
暖かくなってきた道を、それを頬張りながら歩いた。
ラッキーストライク 碧海 山葵 @aomi_wasabi25
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます