七枚目のヴェール

悠井すみれ

第1話

 かつてこの宮殿に、ひとりの舞姫が召された。七枚のヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨てる舞がたいそう見事らしいと、好奇と期待の眼差しを注いでいた。


 一枚目のヴェールは、猛獣の毛皮。

 地に手足をついて背をしならせ、喉を反らせては咆哮する。獰猛で荒々しい、牙と爪を備えた獣そのものの──けれどその動きは確かにしなやかな舞だった。


 二枚目のヴェールは、銀片連ねた戦士の鎧。

 舞姫の繊手がそれぞれ握る曲剣が、獣のヴェールを断ち切って閃く。それが地に堕ちる間に、剣が宙を舞い三日月の輝きを宴席に下ろす。確かに鋭い刃のはずなのに危なげもなく、時に足の指さえ使って受け止めてはまた跳ね上げ、その間に回っては飛ぶ。それは、驕りゆえにこそ眩く危うい、若き英雄の舞。


 三枚目のヴェールは、炎と血の真紅の色。

 双剣の白刃はヴェールの色を映して燃え、翻るたびに見る者に肌が焦げる感覚を覚えさせる。戦士の驕りは戦火を呼んだ。


 四枚目のヴェールは、燃え尽きた瓦礫の灰の色。

 舞姫は剣を置き、何かを求めて細い指を宙にわななかせる。喪われた命を嘆くかのように静謐な、けれど情感に満ちた舞に、誰ひとり溜息を零しさえしない。ただ、こらえきれずに溢れた涙が石の床に跳ねる微かな音が、真珠のように弾けて舞に彩を添えた。


 残りのヴェールが少なくなるたびに、舞姫の身体の線が露になっていく。けれど彼女の顔はまだ見えない。わずかに整ったおとがいが、寄せては返す波のようにゆらめく薄絹の間に覗いた。


 五枚目のヴェールは、眩い白。廃墟から飛び立つ鳥の翼の色。

 安らかな楽園を求めて、白い鳥は飛ぶ。それを模して、舞姫は跳ぶ。裸足の爪先が地に触れる時間はごくわずか、それこそ羽根のごとくに軽やかな跳躍も回転も、人の身で叶う技とは思えない。そして、どんなに早く回っても、舞姫の顔はまだ隠されていた。王をはじめ、万座の観客の多くが身を乗り出して、妙なる舞手の顔を、一瞬なりとも捉えようと目を凝らしていた。


 六枚目のヴェールが現れた時、その場の熱気は息詰まるほどだった。

 深い青と紫と薔薇の色が入り交ざった黄昏の空の色。飛び疲れた鳥が辿り着いた宵闇の園には、いかなる花が咲いているのか。舞姫の手がかいなが、高く掲げた爪先が、首を巡らせる度に広がる黄金の髪が、描き出す。髪の色さえ露にしておいて、それでも舞姫の顔は見えなかったけれど。物憂げな、あるいは星の光をはめ込んだ、あるいは火花を秘めた──どんな色の瞳だろうと、誰も知らない楽園の花を、誰もに信じさせただろうに。


 そして七枚目の、そして漆黒のヴェールが現れて──舞姫は、王の前に跪いて頭を垂れた。これで終わり、と。無言で示す態度に、王は焦れて苛立った。最後の舞も見せるのだ、そしてそのヴェールも脱ぎ落すのだ、と。声高に命じられても舞姫は首を振るばかり。どれほど乞われても罵声を浴びても、さらには剣を突き付けられても。王はついに玉座を立って、手ずからヴェールを剥ごうとしたのだが──


 その先は、誰も知らない。舞姫の素顔も、最後の舞も。誰も知ることができなかった結果が、この荒れ果てた宮殿だという。誰も知らないはずの話がどうして伝えられているのは誠におかしなことではあるけれど。よくある教訓にはなるのだろう。


 隠されたものを見てはならない。どれほど美しくても心惹かれても。さもないと──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七枚目のヴェール 悠井すみれ @Veilchen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説