『アンラッキーセブン』

DITinoue(上楽竜文)

アンラッキーセブン

 今日もまた、彼女は本を買いに来てくれないのかな。


 春一番がすでに吹いたこの木の玩具店の駐車場。僕の心の中にピンク色の風は吹き込みそうにない。

 ピュルルルルと強風が吹いて、ガタガタとバンが揺れる。今日は少し曇り空だ。と、ガタガタンという音がした。

「本棚が倒れたか」

「私、行きます」

 和花は相変わらず率先して仕事をしてくれる。それもこれも、全部僕が一人で楽しくこなしていたものなのに。

 最近はもう、冷たくしたりとか以前に和花と話さなくなっていた。

 ご飯を食べるときでも、両方窓を見て食べるし、寝るときも一言も交わさず、お互い目を合わせないようにして、最近購入した寝袋で寝息を立てるようにしている。


 ――宮田さんさえ来てくれれば。


 あの時、僕を助けてくれたダンベルの勇者は、依然として現れない。そのせいで一度焦げてしまった心はひたすら騒ぎ、読書にも集中できない。

 だが、今日は希望があった。なぜって、今日の町は前に宮田さんと出会った町の隣なのだ。ここ三日間回った三つの町は、あの町とは少し遠いところだった。

 そんな偶然はそうそうあるものじゃない。けど、分かっていても僕は期待してしまうのだ。神様の運命の糸引きに。




 雲は依然と、晴れないし雨も降らない微妙なところを保っていた。

 その天気も相まってか、僕の心はグレーのモヤモヤが晴れなかった。

「いただきます……」

 本の整理を終え、僕と和花はバラバラの掛け声で静かな昼食を食べ始めた。

 ――だし巻きがこんなに味がしない日ってこれまであったっけな。

 と、急に辺りがザワザワし始めた。

「今日の試合はもう絶対落としちゃだめだから」

「スクラムがカギだからね。何度も言うけどそこ頑張ってよ」

 何人かの濃いピンク色のジャージを着たごつい女性たちが通っていく。


「スクラムはホントにさ、アタイの筋肉に任せとけって」


「ああっ!!!!」


 と、僕はラグビーボールと漆黒のダンベルを両脇に抱えた女性を視界にとらえ、思わず声を上げた。

「え? どうした……」

「あっ!!!!」

 和花の声を遮るように、目の前の女性が声を上げた。

「前あいつらに絡まれてた貧弱じゃねぇかよ!」

 茶髪のショートカットを小さく揺らして彼女は運転席の窓からヒョコッと顔を出した。他の女性は先に行っている。

「やっぱりだ! 三日ぶりか? もう口ん中治ったか?」

「そうです、僕です。無事治りました。あの時はありがとうございました、宮田さん」

「……え? なんでアタイの名前分かるんだ?」

「いや、あの暴力団員がちょっと言ってたので」

「そうか。そういうことか」

 ニッと彼女は笑う。

「あ、あの時の……やっと分かりました。あの時はありがとうございました! 私も元気にしています。宮田さんって言うんですか? ラグビーやってるんですね」

 チッ。

 思わず心の中で舌打ちをする。なんで良いところでお前が入ってくるんだよ。

「そうなんだよ。女子の七人制ラグビーやってんの」

「へぇ、その筋肉だったら大活躍ですね」

「アタイはスクラムを組むプロップやってんの。一番相手とぶつかり合うところさ」

「へぇ、カッコイイ!」

 僕はひたすら宮田さんを褒めまくる。

「今日試合なんですか? いつから?」

「この後昼食って二時からさ」

「あぁ、残念です。また今度行けたら見に行っていいですか?」

「おぉ、全然来て来て。セブンスも結構面白いからさ」

 宮田さんはダンベルを上下しながら会話を弾ませた。

「それじゃ、本一冊だけ買うか。……ん? 何これ。……面白そうじゃん。これにします」

「あ、ありがとうございます、本まで。お値段は……」

 千三百円です、と言う前に彼女は五千円札を置いた。

「おつりはあんたらにやるよ」

「え、いや、全然そんな……」

「良いんだ」

 宮田さんは僕を遮って本を取り上げると、ヒョイと手を上げ、ダンベルを上げ下げしながら歩いていった。

 ――やっぱり、このクールなとこ、良いよな。




 二時ごろ。

 僕は試合開始と合わせて、さっき宮田さんが買った本を段ボールから選び、取り出した。

 彼女が選んだ本は『アンラッキーセブン』という上楽竜文の新作。

 この本は何やら女子の七人制ラグビーチームのチーム内の軋轢や登場人物の葛藤を描いた作品らしい。

 あらすじはこうだ。

『東京の上位と下位をひたすら行き来する女子の七人制ラグビーチームに、選手、コーチ経験が共にないというしんという男性監督がやってきた。彼はひたすらデータ主義で、数字に基づいたラグビーを徹底させるも、選手たちはそれに馴染めない。さらに、上位チームから移籍してきた強力なセンター・大崎おおざきがかなりの自己中心的な女で、チームの輪はどんどんと乱れていく。悩めるキャプテン・宮田ルカはチームを三位以内へ導くことができるのか?』


 ――え?

 読み始めると、急に現実が分からなくなってきてしまった。

 ――ウソだろ、まさか彼女も?

 十ページほど読み進めると、もう限界がしてしまった。

 あれは、幻だったのか、と。

「え? 待ってくださいよ、この名前ってもしかして……?」

 どうやら、和花も気づいたようだ。




 五時頃。やっと晴れてきたと思うともう日が落ちようとしている。

 今日は色んな意味で冷たい一日だった。

「お、雄星じゃん」

 名前を覚えてくれたらしいアマゾネスは汗が引いていた。

「……試合はどうでしたか?」

「ん? ああ、何とか勝ったよ。結構追い上げられたけど何とか凌いで。アタイもトライを決めたんだ」

 ――あぁ、あの本と同じだ。今の僕は最悪にアンラッキーだ。

「どうした? 元気無さそうじゃねぇか」

「ホントだ。ししょー生きてますかー?」

 せめて客の前では仲良さげに演じようということなのだろう、和花が明るくふるまってくれる。

「あの、暴力団から金を盗んだのは宮田さん――なんですか?」

「は? そんなわけ……」

 明るく笑い飛ばそうとした宮田さんだったが、ふっと笑いを止めて、真顔になった。


「……そうか、もうじきお別れだな」


 宮田さん――上楽竜文の小説に登場する、宮田ルカは、険しい顔をして話し出した。

「けどさ、アタイはそんなことしてねぇんだ。本当に。夜も歩き回って、時々ホームレス追っ払ったりするけどさ。それでも、アタイは暴力団に乗り込むような勇気はないさ」

 ――だろうな。だって、宮田ルカは小説の中の人物なんだ。そんなことができるはずはない。いや、できるかもしれないがそんなことをする理由が無い。

「なら、誰が……?」

「知らねぇよ。そんなの」

 と、これまで黙っていた和花が急に車を降りて、道路に突っ伏した。


「すみませんでした! 黙ってて」


「……え、和花なの?」

「私です! 私がやりました! 私のせいで師匠があんなのに襲われることになって……宮田さんも巻き込むことになって」

「何でこんなことしたんだよ? おい、早く話せ」

 ダンベルの勇者ともうじき別れるという悲しみと、今まで黙っていたことでつい怒鳴ってしまう。

「私は、BOOK MARKに来てすぐにここが好きになりました。師匠をもっと助けたいと思って。でも、ちょっと資金には困ってるじゃないですか。だから、色んなことができるようにと、知り合いの女の子を伝って、あの暴力団の銀行口座からお金をこっそり落としてたんです。それがバレて、こんなことに……ごめんなさいでした!」

「……いや、和花。ごめんなさいでしたってなんだよ、それ」

「え、いや、これは言い間違いで……」

「フッ」

 思わず吹き出してしまった。

「ありがとな、和花。そこまで店のこと思ってくれて。それまで全然分からなかった。鈍感だよな。ホントに、これはさ、僕が悪かった。ごめん」

 これまで、小説の主人公に恋をして、そのせいで一生懸命働いている店員に冷たくして、ったく、自分のバカバカしさに笑えてくる。


「だからさ、これからも頑張ってくれよ。BOOK MARKの店員としてさ」


「え……いても、良いんですか?」

「当たり前じゃんか」

 普段気恥しくて言え無さそうなことが、なぜか今は普通に口を突いてくる。

「……あ、ありがとうございます……店長」

 化粧無しという、彼女の真っ白の丸い顔についたチャーミングな目から涙が溢れてきている。


「それじゃ、なんか和解したってことで、アタイはそろそろどっか行くわ」

 と、急にこれまで慈悲にあふれた顔でこっちを見ていたルカが急に喋った。

「二人仲良く、アタイを他人に届けてくれよな」

 そう言うと、勇敢なアマゾネスの顔に戻り、ニッと笑顔で急に体が透け始めた。

「え? ルカさん?」

「透けてる?」

 と、言う間にルカさんはダンベルを持ち上げ、スカッと消え去った。

 ドサッ

 足元に、ラグビーボールとコートが描かれた『アンラッキーセブン』が落ちた。

 ――行っちまったな。

 なんとか堪えようとしても、涙がグイっと涙腺を押してくる。

 四日間、僕が恋をしたダンベルの勇者は元いるべきコートへ帰っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『アンラッキーセブン』 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ