それを『アンラッキー』と呼ぶにはあんまり過ぎる
佐倉伸哉
本編
往年の名選手は言った。金沢の日本海ウルブスの本拠地“ジャパン・オーシャン・スタジアム”には『魔物が
迷信じみた内容ではあるが、この発言に頷く球界関係者も多い。
この“ジャパン・オーシャン・スタジアム”が他の球場と比べて特別な何か違いがある訳ではない。
しかし、プロ野球ファンの記憶に刻まれるようなドラマがこの球場から幾つも生まれていることも、紛れもない事実だった。
広島を本拠地にする“
高卒2年目の前園は、シーズン途中に1軍へ昇格すると先発の一角を任されるようになった。8月上旬まででプロ初勝利を含めた3勝を挙げ、球団・ファン共に認める若手注目株である。
アウェーに乗り込んだ、8月中旬のデーゲーム。この日の前園はいつになく絶好調だった。
得意のスライダーがキレキレで、ウルブス打線から三振の山を積み重ねる。6回を投げて許したヒットは僅かに1本、与えた四死球はゼロとここまでほぼ完璧に抑えていた。
おまけに、打線も期待の若手ピッチャーに白星をつけるべく、奮起。強力な投手力と堅守が売りのウルブスを相手に7点を挙げる猛攻で前園を強力に援護していた。
「ゾノ、最後まで行ってみるか」
7回の攻撃に入る前、投手コーチから軽い感じで言われ、前園は「はい!」と即答した。
これまでの試合では勝利投手の権利が得られる5回か6回にマウンドを降りていた。まだ体が出来上がっていないと判断した首脳陣がブレーキを踏んでいた形だが、今日はここまでほぼ完璧に抑えており、しかも球数も76球とかなり少なかった。残り3イニングも行ける、プロ初完封を達成させて前園の自信を深めさせてやろうという首脳陣の心意気が
(いける……今日はいける)
ベンチで味方の戦況を見守る前園は、今日のピッチングに手応えを感じていた。
プロ入りしてから一番の出来で、結果もついてきている。ストレートも走っているし、変化球もキレていて、コントロールも安定している。疲れもそんなに感じていない。このまま順調にいけば、間違いなく最後まで投げ切れる。そう確信していた。
グラウンドでは、最後のバッターがセカンドゴロに倒れ、攻撃が終了した。それを見届けた前園は、しっかりとした足取りでマウンドへ向かう。
夕暮れに染まるスタジアム。茜色の空、照明にも光が灯る。昼から夜に移る、一瞬の時間。この光景が、なんだか幻想的に前園の目には映った。
前園が7回のマウンドに上がるのを見て、ファンから手拍子が上がる。ファンも前園の初完封を期待しているのだ。その拍手の大きさに、気持ちを後押しされる思いだ。
投球練習をする前園に、疲れは感じられなかった。ストレートの球速も落ちてないし、変化球も曲がっている。問題は、ない。
「いけそうだな、ゾノ」
マスクを被るベテランの西澤さんも、投球を受けて太鼓判を押してくれる。“頼んだぞ”と胸をポンとグータッチしてから、西澤さんは守備位置に戻っていった。
『2番 レフト 佐川』
この回はクリーンナップに回る。逆に言えば、この回を抑えれば完封までグッと近付く。油断禁物、前園は心の中で戒める。
佐川はスタンドまで運ぶパワーこそ無いが、右打ちに
初球。アウトローへのストレート。佐川はバットを出すも、打球は一塁側の内野スタンドに飛んでいった。……狙っていた?
二球目。西澤さんは同じコースに同じボールを要求する。球速は140キロ後半を計測しており、球威も衰えていなかったので、ストレートで押し切ろうというのだろう。
前園が自信を持って投じたストレートは……前の打席と同じくバットを振った佐川だが、芯で捉えきれなかった打球は高く弾んでセカンドの正面に転がっていく。
まず1アウト――十分に守備範囲の中にあり、難しい打球ではない。そう確信した前園。
しかし……打球はセカンドが捕球する直前、それまでと違う方向へ弾む。土のグラウンドに出来た穴でイレギュラーバウンドしたのだろう、セカンドは反応出来ずに白球はグラウンドに転がる。そうこうしている間に佐川は一塁を駆け抜けていた。
記録は内野安打。セカンドは口で「ゴメン」と詫びるが、前園は気にしていない。打球自体は打ち取っている。たまたま、と割り切っていた。
ランナーは出したものの、佐川の足は速い方ではないので盗塁を警戒しなくてもいい。打者勝負だ。
『3番 サード 和田』
多分、ウルブスで一番相手をしたくないバッターが右打席に入ってきた。バットコントロールに優れていて、ヒットにする技術も持っている。常に3割を超えるハイアベレージを叩きだせる、正に“安打製造機”だ。おまけに選球眼もいいので、難しい球をカットして粘ってフォアボールも選べるから余計に厄介ではある。
好材料があるとすれば、足は平均よりやや劣る程度なので、内野ゴロを打たせればゲッツーを狙える。
出し惜しみせず、抑えることに全力を費やす。ここが正念場だと気合を入れる前園。
その初球。外へ逃げるスライダーに和田は合わせるも、高々と上がった打球はライト方向へ。飛距離はそんなに出ていない。厄介なバッターを一球で仕留められてホッとした前園だが……ライトの動きがおかしい。上を見上げたまま、足が動かない。
白球が上空の雲に紛れたか、それとも照明の中に入ったか。
(ま、まぁ、仕方ないか。野手の皆さんにはいつも助けてもらっているし)
不運な形でヒットが続いたが、前園は“問題ない”と自分に言い聞かせていた。それに、7点リードしている状況なので「1点くらい仕方ない」と割り切っていた。
『4番 セカンド ロドリゲス』
ここで迎えるのは、ウルブスの4番。今シーズンから加入した助っ人で、走攻守に高い素質を持った22歳のドミニカンをアメリカの大リーグも獲得を検討していたほどの逸材。その大器の
左打席に入るロドリゲス。自分と歳がそんなに違わないのにスラッガーの風格を滲ませていた。
得意のスライダーは甘く入るとスタンドまで運ばれてしまう。ここで選択したのは――。
初球。相手の意表を突く、チェンジアップ! いい高さから低めに沈むチェンジアップは頭になかったのか、ロドリゲスのバットは空を切る。
だが――西澤がボールを後ろに
これで、ノーアウト二三塁。一気にピンチが広がってしまった。
「済まん」
「いいですって。とりあえずアウト一つ取りましょう」
自らの失態に西澤は謝るが、ランナーが二人溜まった時点で失点を覚悟していた前園にダメージはそんなになかった。その姿勢に大丈夫そうだと判断し、西澤は座る。
開き直った前園は、強気のピッチングを崩さなかった。二球目、インハイにストレートを投げ込み、空振りを奪う。これで2ストライクと追い込んだ。
遊び球は
打球は三塁線の内側を僅かに入っている、ライナー性の当たり。これは切れるかな……と思っていた前園の予想は、またしても裏切られた。
痛烈な打球は、なんと三塁ベースに当たって大きく跳ねる。判定はフェア、ボールはレフトのファウルゾーンを転々としており、レフトが懸命に追いかける。その間にランナーは二人ともホームに生還、2点が入った。
(何なんだ……今日は一体どうしているんだ……)
本来であれば、2アウトで2ストライクだった筈だ。それが、2点を失ってなおもノーアウトで二塁。何故だ、何故こうなった。前園は理解が出来なかった。
これで緊張の糸が切れた前園は、続く5番・6番にも長打を浴び、無念の降板。監督も投手コーチも前園の完封かこのイニングまでは持つと考えており、リリーフ投手の準備が出来ていなかった。前園の後を託されたリリーフ陣も肩が温まっていなかったのもあって失点を重ねてしまい、この回だけで打者一巡8点を失い逆転を許してしまった。
完封も十分に射程圏に入っていた中での降板劇。それを『アンラッキー』と呼ぶにはあんまり過ぎた。
改めて。往年の名選手は言った。『この球場には魔物が棲んでいる』と。
金沢市街地から海に近い郊外に建てられた立地、土の内野グラウンド、季節や天候により変わる風速や風向き、グラウンドを照らす照明。一つ一つは大したことはなくても、魔物を誘発する材料になり得た。
敵にも味方にも牙を剥く。故に、このスタジアムはドラマが生まれるのだ。
前園が数年後にはチームどころかリーグ屈指の好投手になるのは、また別の話――。
それを『アンラッキー』と呼ぶにはあんまり過ぎる 佐倉伸哉 @fourrami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます