最後のベット

綺瀬圭

Even or Odd

「決めたか」


 ドスの効いた男の声に呼応するように心臓が跳ね上がる。顔を上げると、男の目を覆う漆黒のサングラスが照明を反射していた。


 表情が読みにくい上に、闇に引き込まれそうな引力を感じる。鼻先や額に汗が滲んでいく。


 口を開こうとした時、俺の目線の先、男の背中の奥にある鉄製ドアの向こうから激しい機械音がした。チェーンソーのような何か。歯医者で聞いた音にも似ている。


 同時に、耳がはち切れそうなほどの断末魔も響き渡った。あまりの悲痛な声に、男は不敵な笑みを見せた。


「こっちもで商売しているんだ。多少手荒なことはさせてもらっているよ」


 視界がぐらつく。脚が小刻みに震える。呼吸するだけで寿命がすり減っているようだ。


 俺の心臓は、あと何回動いていられるのだろう。こんなにも激しく胸を圧迫してくるのに、もしかしたら今日で終わるかもしれないなんて。






――10分前——


「初めてにしては健闘したほうだ」


 隣にいたやつがドアの向こうに消えた時、男は呟いた。葉巻を加えた口から臭い煙が吐き出される。


 むせ返る空気に、咳する余裕すらない。


 手持ちのチップがなくなったやつは全員連れて行かれた。チップが残っているのは俺だけ。しかしそれも時間の問題だろう。こんな数枚のチップ、どうせすぐに消える。


 俺もじきに、ドアの向こうを見ることになるのだろう。男たちがバラバラに横たわる、“解体所”とやらを。


 きっと生きたままバラされ、朝には内臓を高値で売り飛ばされる。


「てっきり最初はお前だと思っていたよ。賭け事なんか一度もしたことないズブのド素人だったからな。それが周りのゴト行為イカサマを見抜くとは……おかげで随分楽しませてもらったよ」

「そいつはどうも」


 それももう意味はない。もう俺しかいないのだから。きっと次で負ける。死ぬ順番が少し狂っただけだ。


「ちくしょう」


 七海ななみ、ごめんな。生きて帰るという約束は果たせそうにない。でもお前だけは助けてやるから。俺が死ねば、すべてチャラになるから……。


「最後だけ単純なバクチをやろう。これは俺のせめてもの温情だ。弱いものいじめは好かんでな」


 男はデックのカードから絵柄問わずAから13まで1枚ずつ取り出し、13枚を見せつけるように机上に並べた。


「この中から3枚のカードを引く。その数字の合計が偶数、奇数のどちらなのかを賭けるんだ。簡単だろう」


 唐突に告げられたゲームに、乱れた呼吸が一瞬だけ平穏を取り戻したように感じた。


「ほ、本気か」

「ああ。ブラックジャックにもそろそろ飽きたんでな」


 並べられた、13枚のカード。奇数が7枚に偶数が6枚。


 仮に2枚選んだ場合、数字の合計が奇数になるには、偶数と奇数1枚ずつ引かなければならない。奇数が2回でも偶数が2回でも和は偶数だ。そこに3枚目があることで、更に読みにくくしているのか。


「ギャンブルらしいことするじゃないか」

「ただし、チャンスは1回。残りのチップ全てをベットだ」


 思わず、「はあ!?」と声が出た。

 

「全部ったって、残りのチップじゃ俺の目標金額には届かないぞ」

「ああ。だから今回だけ桁を一つ増やしてやる。そうすりゃこの地獄から解放されるだろう」

「そ、そんなことして組織に首を飛ばされないのか。こんな賭け、お前に何のメリットがある」


 男は咥えていた葉巻を机に押し付けた。細い煙が糸のように昇っていく。


「俺は今まで何百人も解体所行きにしてきた。生きて帰ったのは片手で数えられるくらいだ。もうお前の行き先も目に見えている。ただ、そろそろ本当の大バクチをしてみたくなっただけだ」


 男は13枚を素早い手捌きでシャッフルすると、無作為に3枚を並べた。


「お前が勝てば俺が代わりにバラされる。負けたら……分かってるだろう」


 俺たちの生死を決める、3枚のカード。


 3枚の和が偶数になるには、奇数2回に偶数1回か、偶数を3回出すしかない。奇数はその逆だ。


 一見どちらでも確率は同じようだが、偶数と奇数の枚数が違う。トランプはAから13まで。つまり1


 3回連続偶数もしくは奇数を引く可能性もある。が、1枚だけ偶数もしくは奇数の場合だってある。そうすると、偶数を2回よりも奇数を2回引き当てる確率の方が若干だが高いはずだ。


「決めたか」


 男は俺の決意を読み取ったように言った。ドアの向こうから聞こえる機械音と絶叫。もう躊躇ためらうことはない。


「ああ、決めたよ」


 7枚の可能性に賭ける。


「偶数だ」


 男は「そうか」と呟くと、すぐさま机上のカードに手を伸ばした。俺から見て左側、1枚目が裏返される。


 ハートのA。


「奇数だな」


 やはり奇数の確率の方が高いのだろうか。あと奇数と偶数が1回ずつ出ればいいのだが……。


 男はすぐに真ん中、2枚目のカードをめくった。


 ダイヤの9。奇数だ。


「ブラックジャックのままにしておけばよかったか」


 男は余裕のある笑みを見せた。自分がバラされるかもしれないのに、微塵も焦りを見せない。地獄の裏側を幾度も目の当たりにした人間にしかできない顔なのだろう。


 大丈夫だ。2枚の和は10。あとは偶数が出ればいい。残りのカードは11枚。偶数が6枚に奇数は5枚。確率で考えれば勝ち目はある。


「お前もとことん気の毒だよな」


 無心にカードを見つめていた男が、突然語り始めた。


「まだ若いのに、飲んだくれのクソ親父の借金を背負わされるとはな。ギャンブル依存に酒浸り。暴力沙汰も日常茶飯事。お前さん、学校も行かずに散々親父の尻拭いしてきたみたいだな。早くにお袋さんも死んで……そんな親父との生活はさぞ極楽だっただろう」

「今さらなんだ。同情してんのか」


 さっさとカードをめくればいいものを、なぜこんな話をするんだ。参加者の情報をいちいち仕入れているなんて、とことん悪趣味なやつだ。


「ここに来たのは、まだ小さい妹さんのためか」


 頬の熱が、ぐんと上がった。

 そんなことまで、こいつは知っているのか。


「……俺がどうにかしなきゃ、あいつが売り飛ばされるんだよ」

「そうか」


 男は胸ポケットから葉巻を出し、火を点けた。


「これが最後だ」


 視界が白く濁る。頭が重く苦しい。頭の中で鐘が鳴っているようだ。


 俺の体が死を悟っているのだろうか。最後に限界まで酸素を取り入れたいのだろうか。呼吸が早く、小刻みになる。




 そうして、最後の1枚が返された。


























「ラッキーセブン、か」



 しばしの静寂の後、男が呟いた。


 目の前に広がる、3枚のカード。赤黒に彩られたカラフルな絵柄がどこまでも無慈悲だ。


 まさかすべて奇数が出るなんて。7枚の中から……。


 俺はとことん、運がないらしい。


 確率は、あくまで確率でしかない。この男の前では理論も何も通用しない。


 地獄に呼ばれているものが、自然と連れていかれるのだろう。

 

「ちくしょう……」


 扉がいかずちの音を立てて開かれる。それは、俺が最期に見た光だった。

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最後のベット 綺瀬圭 @and_kei

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