良い事あるかも? いあ いあ せぶん

千八軒

今日はお魚

 男はスロットで大負けした帰りにタコを拾った。


 墜ちる太陽は、血の様に赤く、伸びる影は地を這う闇からの手のように見える。そんな夕方だった。


 なぜ、こんな所にタコが?


 男は疑問に思ったが、同時に「丁重に持ち帰らねば」という強迫観念に襲われた。


 タコはどす黒い灰色で、ぬらぬらとしていて七本の足を持ち、三対六個の目を持っていた。男はまじまじとその目を見た。落ちくぼんだ眼下の奥に灰色の瞳。六つの視線が男をぎょろりと見る。なんて美しい瞳なんだ……と男はかつてないほどの感動でその身をうち震わせた。


 タコに六個の目などあるはずがない。

 これがタコなどであるはずがない。

 そんな簡単な事も男には思い至らなかった。


 男はタコを家に持ち帰り、簡易の水槽に入れた。それに不可思議な呪文のようなうわごとを繰り返し、呟くようになった。


 いあ いあ くとぅるふ ふたぐん


 家族はその様を気味悪がって、今すぐタコを捨てるように言ったが、そのたびに男は人が変わったように怒り、威嚇し、暴力を振るおうとした。男の姿に家族は怯えた。


 仕事で疲れ果て、三十路前に実家に戻った息子。パチスロだけが心の支えで性根も腐り果てていた扱いずらい息子。両親は何も言わない事にして目を逸らした。


 だが、男の日常はしばらくしてから一変する。ギャンブルはことごとく大当たり。毎日大量の現金をもって帰るようになったのだ。


「タコさまのおかげなんだ。どこに居てもタコさまが俺に語り掛けてくれる。その通りにすればいいんだよ。おカネをかせぐなんてカンタんなことだったんダ」


 ぼそぼそと感情の籠らない目で語る息子に両親は気味が悪いと思ったが、家にお金を入れてくれるようになったから良いかと思った。


 だが男は、あれほど好きだったパチンコもいかなくなった。

 真っ暗な部屋にこもり、水槽に話しかける日が増えた。

 そのまま1カ月だ。もう息子の姿をずっと見ていない。


 果たして息子の顔はどんなものだったか? 


 両親にとって、息子は40代でやっとできた、たった一人の子供だった。

 その子供も成人して、二人はすっかり老いていた。


 両親はぼそぼそと、魚を食べる。

 焼いていない。切ってもいない。

 生臭い匂いを放つ、魚だ。腹からかぶりつけば、内臓の苦みが口に広がる。


 それが、とてもおいしい。

 

「あんなタコなどひろってこなければ」

「でも、あのこが大事にシているタコさまですよ」

「いや、あれはヨクナイものだ。七本足など」

「あなたもラッキーセブンのタコだと言っておられたのデハ」


「サイショだけだ」


 老夫婦の顔は平べったく、目がぎょろりと大きく離れたものに変わっていた。

 もとは優しそうな人々であったのだが。


 もう、おそらく、息子もまた。


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良い事あるかも? いあ いあ せぶん 千八軒 @senno9

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