ヒトのいいわけ、ネコのいいわけ。

λμ

ヒトのいいわけ、ネコのいいわけ。

 そろそろ店も混みだすだろうと、ぼく蕎麦そば屋を出た。

 毎日、決まった時間、同じ場所で膨大な人の流れが生まれる。ランチタイムだ。僕は昼食を食べるためだけに十分も二十分も並んでいるのは嫌なので、いつも人より早く会社を出る。それが許されている。

 人というのは群れたがる生き物なのだろう。

 それぞれが少しずつ時間をずらせば混雑は防げるし、並ぶこともなくなるはずだ。なのに誰もが同じ時間に同じ場所に集まり働いて、同じ時間に同じ店に並んで同じようなものを食べて同じように帰っていく。

 それにくらべて――。

 と、僕は駐車場で丸くなる猫を見やった。茶色い猫だ。駐車場には関係者以外の使用を禁ずる虎縞とらじまのロープが張られていて、猫はロープを支える乾いた木の支柱のそばで日向ひなたぼっこをしていた。


「ごせいますね」


 僕は猫に言った。嫌味だ。昼間から寝ていられる猫に嫉妬したのかもしれない。

 猫は耳を小さく動かし、顔だけをこちらに振り向けた。


「いやお恥ずかしい」猫が言った。



 幻聴だろうか。僕はあたりを見回した。人々は一通り街へと押し流されていったようで、僕と茶色い猫だけが社会の中洲なかすに取り残されていた。


「そちらはこれからお仕事ですか?」


 そう言って、猫がゆっくりまぶたを上下した。普通の猫なら敵意がないことのあらわれだが、しゃべる猫だとどうなのだろう。

 僕は嫌味のつもりで話しかけた手前もあり、猫と話すなんてと思いつつも答えた。


「ええ。さっき蕎麦を食べてきたとこで」

「そこの角の蕎麦屋さんですか?」


 と、猫は尻尾の先で僕の来た道を指し示した。


「いや、そちらではなくて」僕は言った。「そこの角を曲がって、もう少し行くと、別の蕎麦屋があるんです。そっちの方が美味しい気がしてて」

「ははぁ、そうなんですか。残念だなぁ」

「残念ですか」

「ええ。あの角から先は他の猫の仕事場ですからね。行きたかったら先に挨拶をしないといけないんです。ですが、この通り」猫はころんと腹を見せた。「太陽のやつが忙しく動きますからね。なかなかご挨拶にもうかがえない次第しだいで」

「なるほど」


 僕はうなってしまった。


「猫――さんは、蕎麦を食べられるんですか?」

「猫でいいですよ」


 猫が耳をパタパタと回した。


「蕎麦は食べられるはずです。アレルギーもないはずですし。でもまぁ、おつゆをつけて食べるのは避けたほうがいいかもしれませんね。腎臓じんぞうの数値が気になるので」


 僕は吹きだしそうになった。名前も知らない他部署の人間と会話しているのと何も変わらない。稀に同席すると血圧の話をしてくるのと同じだ。


「それにしても」と、猫が言った。「そちらはお忙しそうで何よりですね」

「え?」僕は言った。

「こうして私に話しかけていらっしゃる」


 僕は不意を突かれたような気分になった。

 猫は得意げにピンとひげを立てていた。嫌味を言われたことに気づいていたのだ。そして意趣返しできるタイミングを待つべく無駄話につきあっていた。実に猫らしいやり方だ。影に身を潜め獲物を待ち、足音を消して忍び寄る。


 飛びかかる寸前、きっとこの猫はにゃあと鳴く。獲物は声に驚き振り返る。そのとき、足は常に止まっている。いまの僕のように。

 僕は敗北感に打ちのめされ、また猫をあなどったことを恥じた。


「――申し訳ない。そういうつもりではなくて」


 そう僕が謝ろうとすると、つまり背を向けて逃げ出そうとすると、


「ではどういうおつもりで?」


 と猫が回り込んできた。

 僕は観念して言った。


「すいません。僕は人と馴染むのが苦手で、猫を羨ましく――妬ましく思ったんだと思います。それで、つい、あんな言葉を」


 猫は人がポンと手を打つように、尻尾で地面を叩いた。


「なるほど! ようやく合点がてんがいきました」

「申し訳ない」

「いえいえ。それならばこちらも、少々、失礼な口を」

「え?」


 僕はまた、猫に虚を突かれた。

 猫は言った。


「さきほどの話――蕎麦屋さんの話を覚えておいでで?」

「え? ああ、はい。そこの角の先の」

「そうです、そうです。そっちは別の猫の縄張りで」


 太陽が忙しく動くものだから、挨拶にも伺えない。僕は猫の言葉を反芻し、あ、と思わず猫の顔を見返した。

 猫が照れ隠しをするように顔を洗った。


「私も、うまく馴染めていなくて」

「猫会議ですか」

「そう言うも多いですけど、ほら」


 猫がぽつぽつランチから戻ってくるヒトを見やった。


「同じですか」僕は言った。

「同じですねぇ」猫が言った。


「実は私も、集まりから離れておひとりで優雅に歩くあなたを気楽そうだと思っていまして」


 猫はくわっとあくびをした。


「お恥ずかしい話です。あなたに先手を取られて、しかも図星ですから、ついムキになってしまった」

「なるほど」


 負けたつもりが勝っていた。そうでなければやり返されない。

 僕と猫は、どちらともなく深く息をついた。


「おたがいに八つ当たりはよくありませんね」僕は言った。

「ええ、本当に。それに――」猫が言った。「いいわけも」

「まったく同感です」


 僕は猫と和解し、人の流れに押し流される前にと、ひとつ頼み事をした。


「もしよろしければ、ひと撫でさせていただけますか? なんだか、さわり心地がよさそうで」

「ええ、どうぞどうぞ。できれば顎の下をお願いします。お腹はちょっと――さいきん、少し太ってきたみたいで」


 いいわけはやめようといったばかりなのに。

 僕は思わず吹きだし、猫の顎の下に手を回した。

 

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ヒトのいいわけ、ネコのいいわけ。 λμ @ramdomyu

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