悪英雄ラークと勇者ヴィル

泉新 一

【プロローグ】愛と絶望と恐怖と生涯の宿命

かつて、この世界には数多の神々がいた。


それは七大神と呼ばれたり七竜神と尊称された七柱の最高神と、それぞれの役割を持った神々が存在したのだ。


今、世間では五大神と云われているかも知れないが、七つの色を持った最高神様達がいらっしゃったのだ。間違えてはいけない。


そして、その中でも格別の神力を宿した二柱のことを超越神、創造神とう。


蒼龍神そうりゅうじん紅竜神こうりゅうじんがそれにあたる。


実のところ、我々は蒼龍神様の眷属であり子孫であるのだ。


我々の血族の中で蒼き髪色をたずさえ生まれ出る者がいる。


そうでない人間種族にも青い髪の者がいるが、我々のそれは全く違う。


お前は残念ながら蒼き髪色の者では無いが、落胆せずとも良い。


血族であることに間違いなく、たっときにしてたっとし蒼龍神様の末裔であり眷属なのだから。


これには意味がある。意義があるのだ。かけがえのない伝承なのだよ。


私がそうであったように、お前にもいつか記憶の命脈めいみゃくが喚び起こされるであろう。


我らが悲願であり、蒼龍神様から受け継ぎし命題がある。


———この世に安寧と平穏と静謐せいひつをもたらさん


幼きお前にはまだ理解できないだろう。いまだ私にもそれのまこととするところに到達してはいないのだから。


蒼龍神様は、遠き神々の聖域にてお隠れになった。《最果ての地にて待つ》そう云われている。


お前も次代へ継ないでいくのだ。



彼は村の中の砂道を歩きながら昨日の光景をぼやっと頭の中で回想していた。彼の7歳の誕生日に催された神祭しんさいの中、父親は外で御馳走をほうばっていた自分を自宅の中に招き入れ、相当かしこまった様子で先程の会話を一方的に言ってきた。


彼の感想としては、よく分からないことを言われて混乱したし、祭で高揚した気分も何となく意気消沈したし、できれは父親にはそんな話をしないで欲しかったという感情しか無かった。


ともあれ、今日は祭の後片付けにいそしむ大人を尻目に遊ぶ約束をした同年代の少女のもとへ足取り軽く向かう。


何故、いつも秋にしていたお祭りをこんな春過ぎにしたのか、どうして自分の誕生日と同じなのか、いきなり真面目な顔で不思議な言い伝えとかいうものを話してきた父親のことだとか、昨日自分の頭を巡っていたいくつもの思考は遠くまで続く青空のどこかへ行ってしまったのだろう。ウキウキして軽いステップで進もうとする足をなだめて、平静さをなるべく繕うよう努力するが、どうしても顔のあたりがニンマリして力が入らない。


思えば、いつのことだったろう。あの子と遊ぶことに、他では感じないようなドキドキとして、大切なことは何も話せていないようか気がして、でもなんだか何時いつまでもずっと一緒にいたくて、日が落ちて帰る時間になると無理やり昨日の食事のことなどを話し始めて可能な限り先延ばししようとする。


「・・・、ほんとにさぁ、なんなんだろうね、、、」


そう独り言がもれる。胸の中はなんだかあったかくて、お母さんに昔話をしてもらってベッドにいるような心地よさがあって、でもその時には感じないようなドキドキとした胸の音があって、風邪をいたわけでもないのにさ、なんなんだろう、本当。今度、お父さんに聞いてみようかな。そんなことを考えながら、先へ先へ進もうとする足をおさえて転ばないようにだけ気をつける。服をあまり汚すと少しだけ母親にお説教をもらったりするのだ。


『あらまぁ、私の可愛い坊っちゃまはこんなに元気に遊んでくれちゃって、お洗濯のやりがいがあるわね?』


なんて言ってくる母親の顔を思い出して、たまらず破顔して笑みがこぼれる。実際には説教などではなく、優しい表情で自分のあちこちを見て怪我が無いかなどの確認をしてくれる。ちょっと気まずそうな顔を自分はしているのだが、なんだか、くすぐったい気分で凄く幸せな気分になる。母親のことが好きだ。大好きだ。もちろん父親のことも、穏やかで優しい村人達のことも。少しだけ特別なあの子のことも。


ふいに、遠くの方で地面が揺れる音がした。


なんだろう、どこからだろう。彼は勢い込んでいた足を止め遠くをキョロキョロと見回した。


大きな岩が転がった時のような音だった。その結果地面が揺れる音になったみたいな。彼は街道を整備する父親にせがんでついて行ったことがある。移動する馬車、特に商人のために村人は余裕があれば街道の整備をしたりする。豪雨などの影響なのか山肌に面した地帯などでは、突如、大小の岩が街道に出現することがある。それを往来に問題が無いように、場合によっては砕いて運んだり、可能であれば山側に押しやったりして安全にするのだ。商人の往来は村の存命に直結する。生活必需品はもとより、塩だ。とにかく塩が無ければ生きていけない。父親がちょっとしかめっつらをしながら彼に教えてくれた。複数人の大人で岩を砕いたり運んだり木の板や棒を使って谷側へ落としたり、頼もしく思ったものだ。その時に聞いた、岩が斜面を転がっていくような重くのしかかるような、びっくりした地面が声をあげて驚いて出したような音。ほんの少しだけ自分の足元にも揺れが感じられたような音。それに似ている。遠くでそれが合唱しているような。


時が経つごとにその音は大きくなっているように感じる。ここは村の中心あたりだ。村長の家と、村で一番大きな井戸のある場所。生活圏はそこを中心に広がって正確な円とは言い難いがそれに近い形で広がっていた。


大地がわななく音に加えて動物が狂い叫ぶような音も聞こえてきた。


彼は緊張した。もしかしたら村に大型の魔物が近づいて来たのかも知れない。お父さんが、お母さんが、大事なあの子が食べられちゃったらどうしよう。自分は耳が良い。まだ遠いはずだ。この村に一直線で向かって来ることなど無いはずだ。不安が心を覆う。雲のように広がっていく。それは恐怖と言って差し支えない領域に達していた。


ふと、空を見ると先程の快晴が嘘のように白い薄雲に覆われたようであった。夏場には稀に急な雨雲が発生して土砂降りの大雨が短時間降ることがあったが、その前のような空色だった。やがて暗くなって雷雨が人々に降りそそぐ。不気味な空気に思考を奪われ、呆けている自分に気付きハッと意識を取り戻した瞬間———


大きな爆音が鳴り響く。彼は突然のことに恐怖を増長させた。すると、ほどなくして黄色い砂嵐のようなものが迫って来ているのを視界に捉え、キーンと耳鳴りのする耳を両手で抑え前屈みになる。


砂粒が顔を叩きつけるように撫で続ける、不快な強い風が全身を揺さぶる。それは少し熱い。髪は不特定の方向へ引っ張られる。


地面が揺れる。強い、強い揺れだ。もうそれは肉体が風にあおられることであるのか、耳鳴りからの不調なのか、太鼓のような音を響かせ雄叫びをあげる地面であるのか分からない。分からない。何もかもが分からなかった。


砂粒の攻撃が少し止む。耳鳴りはまだ続く。多分、地面もまだ揺れている。心臓の鼓動は跳ね上がるを通りこし、全身の血流を尋常では無い速度へ押し上げ、全てに熱を持たせる。


何を、ということはない。本能は、思考が停止したような状態であっても彼の本能だけは全力で『逃げろ!逃げろ!』と告げていた。目を開けて周囲の状況を探ろうとする。村長の姿が目に入る。


老齢に差し掛かって尚、意気軒昂な村長。穏やかで優しくて、しかしながら屈強な冒険者であった過去を彷彿させる肉体。優れた指導者。自分達の代表。


「無事かっ!!!」


村長が平素に無い大声を上げ、こちらへ近づこうとする。耳鳴りのする耳でもそれだけはハッキリ聞こえる。そうだ、大人がいる。大人達がいるのだ。頼れる、強く逞しい面々が村にいる。彼はそう感じた。目からはいつの間にか涙が溢れ、口元は震えが止まらない。いや、身体中が震えている。村長の眼窩がんかからは目が飛び出しそうなほど見開かれ、恐怖と焦燥が入り混じったような表情で酷い顔色だ。髪に砂も混じっているようだ。口からは叫ぶ時に出たのであろうよだれが糸を引き口髭から垂れている。距離は十数歩かそれぐらいだろう、三十歩は無い。鍛錬を怠らない肉体はこの類稀なる混沌とした状況でもこちらへ真っ直ぐに安定した速度で、しかし全力で向かって来て、半分も進んだところで雲の影のようなものが揺らめいて、彼の顔が、彼の顔———


が、鼻と唇のあたりから上が無くなった。


比喩でも何でも無く、無くなった。一瞬前にはそこにあった。消失されたというか、すごく早い鳥が目の前の横切るように、先程の黒い揺らめきと同時に横に動いていったような。直立したままその部分だけが無い。村長の体は膝から崩れ落ちるように垂直に小さくなっていって地面に横たわった。そこには水たまりのようなものが広がっていく。


馬がいた。村長の横後ろ。彼から見ての正面から少し左奥。馬には人が乗っていた。全身を甲冑に包まれた人間が右手に剣を持っている。剣先には赤い、さっき見た村長の涎のような何かが糸を引いて———


「何故、頭部を狙ったのか分かるか?」


馬上の男、おそらく男であろう人物はそう聞いてきた。周りの喧騒の中、それだけが村長の言葉と同じように明瞭に聞こえる。脳内に直接響くような印象だ。


左手で手綱を握り、だらんと右手の剣を下げ数秒待つが目下の少年から何も答えが無いと判断すると独り言のように続ける。


「通常であれば、胸でも首でも急所を突くか、致命傷を与えれば良い。だが今回は違うのだ。万が一にでも損ねれば回復され手痛い反撃を受けるやも知れん」


何を言っている?何が言いたい?意味不明だ。こいつはきっと村長の命を奪った。こんな光景は見たことは無いけれど、人はこうなったら命を失うのだ。


今、彼の全ては恐怖に支配されていた。


自分の荒い息遣いだけが耳に響いている。


はっ、、はっ、はっ、はっ、、、。

不定期に発せられる吐息。呼吸は考えなくても体がやってくれるが、激しい動悸に胸が締め付けられる、喉の奥で嗚咽が漏れる。

7歳の少年は涙を流し、どうすることも出来ない恐怖で動けずにいた。


馬上の男は馬を降り、こちらへ一歩の距離まで近く。そのまま無言でこちらの左太腿を刺す。


「んがぁぁああぁっ!!!!ひいぃぃぃぃっ!!!!」


自分でも聞いたことの無い声がまるで他人の声のように響き渡る。多分、もう何も分からないが声だけは聞こえる。まるでずっと遠くのようで近い声が。視界が地面へと変わる。刺された場所に両手がいく。きっと、たまらずに膝を曲げて屈んだのだ。


彼の眼前には鋭利な刃物、、、剣先が突きつけられていた。それがゆっくりと喉元へと近づく。全力で走った後に肺から絞りだされるような奇怪な高音がヒューヒューと呼吸音に混じる。先ほど切られた太腿はジクジクと凄まじい痛みを彼に与えているのだろうが、不思議と痛みはそれほど感じず麻痺していた。頭がぼうっとして何も考えられない。全身ににじむ嫌な汗が砂と混じってたまらなく気持ち悪い。


「ラーク!!!逃げてっ!!!逃げなさい!!!」


声のした方に、右に顔を向けるとステラおばさんがいた。井戸に水を汲みに来ていたのだろうか、恐怖と混乱が少し醒め活動できるようになったばかりなのだろう両手を胸の前で組み、あらん限りの声量でこちらに言っている。距離は十歩も無い。


甲冑の男は無言でステラおばさんに近づいて———


まるでそれが当然のように喉元へ突き刺した。恐怖で硬直していたステラおばさんの喉から血が出て、口からゴボゴボと音がして遅れて血が出てくる。ゴフッゴフッと口から空気が漏れ出す。口から喉から赤い泡と液体が止まることなく滴る。剣が引き抜かれる。鮮血が吹き上がる。ステラおばさんは初め目の前の空間を掻き毟るように手を動かし、そして血の噴水のような喉を両手で抑え数度ゆらゆらと体を揺らして後ろに倒れていった。


100人程の住人が暮らす田舎の村。それが彼の全てだった。穏やかで、つつましい日々が続く旅館二軒と商店一軒があるだけの村。ご近所のステラおばさん、自分をいつも気遣ってくれる優しいステラおばさん。ステラおばさんは横たわって左右に身じろぎして動かなくなった。


1分にも満たない。数十年生きてきたはずのステラおばさんとお別れするのに、たったそれだけの時間しか無い。そもそも自分は何も言えてない。さようならも、ありがとうも何一つ伝えられず命が終わっていく。村長さんもステラおばさんも、みんなみんな、、、。


「男だけと聞いているのでな。後継者がな?女であれば楽でいいものだ」


ステラおばさんの最後を評する言葉がそれなのか、奪う者の勝手な独言どくげんは続く。


「実際、部外者か標的か分かれば最初に処断して丸ごと村を焼けば良いのだ。男も女も関係無くなるから、、、な。そうは出来ないから、わざわざ包囲してから中心部へ殺到し外縁部へと追い込み確認しつつ狩る。兵法にこんなものは無いのだがな、中央部へと追い込むと数が多くなる。時間をかけて抵抗を許し、数を増やしてさらに時間がかかる。そして標的だけ逃すような間抜けな事態も起こり得るというものだ。分かるか?火は最後ということだ」


男はラークに淡々と話しかける。


「息子に言われて来たんだがな?まあ、そそのかされたという表現の方が正しいか。二人連れて来ているのだがな、後継者がいれば息子達が足止めをする。逃げようとすればの話だな、それは。基本的には中央突貫に連れて来ている3人の部下と私で対応するつもりだ。他の中央に連れて来た兵は撒き餌のようなものでな。どうでもいいのを中心に数十人だ。犯罪者上がりの奴隷も混じっていてな。外周に配備した数百人の兵もおるのだが、これは単純に囲いだな。壁というやつだ。さらにそいつらの生命力を素とした結界を張ったのでな。我等が到着するぐらいの時間は稼げるという算段だよ」


どうしてこの人は自分にこんな話をするんだろう?ラークは頭をもたげる疑問を思いながら、どうせ自分に出来ることは何も無いのだと諦めて聞くままになっていた。


「驚くでないぞ?これを計画したのは、お前と同年齢くらいの私の息子だ。今回連れて来てはおらん奴がな。襲撃計画者が来ない、という珍妙な話だ。よくある話かな?成果や行程の進捗が気にならんもんかね?私としては、後継者の息子がこのような幼い子供であったなら、生け捕りにしても良いとも少し思うのだ。親は殺すがね。この様子では戦争準備どころか戦闘準備も満足に出来ていない状態ということだろうな。商人に偵察させたから何かしらの催しがあっただろうことは知っていたよ。昨日は商人に滞在を許さなかったそうじゃないか?来村者すべてだったかな?というか不意を衝くつもりだったので、下調べして入念に準備したよ。この話し方は意地悪だったかな?」


親、親というのはお父さん?お母さん?この人はさっき男を狙ってるって言ってた。だからお父さんのことだ。お父さん、お父さん、、、お父さんがこんな奴らに、、、刺されて、、、命が、、、いのち、、、ぼくも、、、いのち、、、



「お前ら、一人残らず俺が滅ぼしてやる!!!」



夢を見る。毎晩のように同じような悪夢だ。



最後の言葉を言った俺は、もう少しだけ大きい俺だ。

そして、今の俺はもう少し大きくなった。


「アタシに比べりゃ、大した違いは無いさ!」

ステラおばさんなら、笑ってそう言っただろうか。


「冒険者になるってんなら、俺が基礎を叩き込んでやろうか?」

年がいってるのに儂という言い方を拒否し続けた村長なら先輩として指導してくれたろうか。


あいつなら、あの人なら、村の住人を思い出し、答えの出るはずの無い問答をして時を空費したりする。


そして、あの子なら、大好きだった、あの子なら———



「見ていろ!世界を、この世の全てを終わらせてやる!」



そう言ったのは今の俺だ。

数日前の俺だ。


啖呵で終わらせるつもりは無い。言葉通りにする。

それだけの為に生きて来た。


夢は一人称視点の時もあれば三人称視点の時もある。混同して滅茶苦茶な時もある。

当時の俺と今の俺。どっちかの視点で見る時もあれば、どっちも混同した時もある。

昔の俺の数歩後ろで、成り行きを見る今の俺がいる。

叫んでも叫んでも声が届くことは無い。


街道の脇の森で野宿しながら空を見上げる。

みんなの顔が少しずつ色褪せてゆく。そんなに年数は経っていないのに、両親の顔も、ステラおばさんの顔も、村長の顔も、村人達の顔も、あの子の顔———


俺が夢の続きを見せてやる。ただし、演者はこの世の生ける者全て。


終わらない永遠の悪夢エターナル・ナイトメアを、な———

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