いい加減気付けよ

うた

第1話 いい加減気付けよ

「ねぇ。私、キックボクシングでも始めようかと思うんだけど」


「は?」


 学校で、幼馴染の森山京香もりやまきょうかが真剣な顔で言った。一昨日の夜、塾の帰りに変質者に追いかけられたと俺の母親から聞いた。俺、河田良平かわたりょうへいと京香の家は隣同士。小さい頃からよく遊んだりしていた。思春期に入り、遊ぶ事はなくなったが、挨拶や話は普通にするし、関係は良い方だ。親同士も仲が良い。


 高校に入って塾に行き出した京香。そんな彼女に起こった不幸に、俺ははらわたが煮えくり返るほどに怒りを覚えていた。京香は昨日、追われたショックで暗い顔をしていた。学校には連絡したらしいが、騒ぎにしたくないという本人の意向で、先生からは変質者が出たから気を付けろと言われただけだった。


 いつも元気にカラカラ笑っていた京香が、暗い表情で思いつめた様子をしていれば、さすがに心配になる。学校で話しかける事はあまりなかったが、今日声をかけると、返ってきた言葉が「キックボクシングを始めたい」だった。


「筋肉ムッキムキになったら、襲おうなんて思う奴はいないでしょ。返り討ちに出来る!」

「まぁ、護身術は分かるけど、筋肉を鍛えんの?」

「うん! 昨日ずっと考えてた」

 下を向いてたのは、ショックで気持ちが沈んでたんじゃなくて、次にまたこんな目に遭わないようにする方法を考えてたってわけか。その前向きな思考は嫌いじゃないが、ムキムキを目指すとなると、……なんだかな。モヤモヤするぞ。


「……んな事、しなくていいだろ」

「何で? もうあんな怖い思いは嫌なの。強くなれば良い話でしょ? 私は大丈夫だって、自信が欲しいんだよ」

「じゃあ、俺もやる」

「えぇ!? 別に、良平までやらなくても……」


 そこのジムで悪い虫がついたらどうすんだよ。変質者よりも厄介だ。京香の気持ちは分かるが、俺は嫌な気分だった。


「本気でやるなら俺も付き合う。これから塾の送り迎え、やってやるよ。これで自信ついたか?」

「そんな、悪いよ」

「俺がやりたいの」

「何で?」

 京香は、理解が出来ないと言わんばかりに眉を寄せた。



 ああもう、いい加減気付けよ。



「お前に俺以外の男が言い寄るのが嫌なの。不安なら、俺が守ってやる。それで良いか?」


「……」


 京香の顔がみるみる真っ赤に染まって行く。その表情を見て、俺は心臓が今になってバクバクと音を立て始めた。頭で考えるよりも、本音が先に口から出てしまった。俺も顔が熱くなってくる。


「何よ、それ。勘違い、しそうになる……」

「勘違いじゃねぇよ。キックボクシングはとりあえずやめとけ。俺ならおばさんも納得するだろ。文句ねぇな?」

「うん……。ありがとう」

「おう」



 教室の窓際の席での会話だから、周りには聞こえていない。気にする奴もいない。それが救いだ。二人で顔を赤くしてるのは、さすがに恥ずかしいからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いい加減気付けよ うた @aozora-sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ