筋トレはできなくても

月代零

筋トレはできなくても

「勉強はできなくていい、筋肉をつけろ」


 それが、何かにつけて父の言うことだった。

 一見するとそれは、成績が良くないことに対する慰めのようにも聞こえるが、我が家に限ってそれはなかった。


 父は、何故だか勉強、学問というものを忌避しているようだった。テレビで何かの専門家などが話をしていると小馬鹿にするし、僕が家で勉強していると、「そんなモンいいから外で遊べ」と言われた。本を読んだりゲームをしたりしている時もそう言われるから、もしかしたら僕が家にいるのが邪魔だったのかもしれない。宿題をしている時までそう言われるのは、子ども心に理不尽だと思った。

 ではそんな父が筋肉質のスポーツマン体形だったかというとそんなことはなく、自分は運動などせず、休日は酒を飲んでゴロゴロして、子どもには無関心で仕事ばかりしているような人間だった。食事は酒のつまみが中心で、不健康に痩せていた。


 そんな父の元で育った反動と生来の性格で、僕は運動が嫌いだった。かけっこではビリっけつだし、運動部には絶対に入らなかった。

 そうしていつの間にかぽっちゃり体形がデフォルトで、モテたことなどなかった僕だが、幸運にも結婚して、息子が生まれた。

 妻も息子も愛おしい。幸せだった。

 そんなある日のこと。


「親子リレー?」

「そう。出てあげてよ」


 会社から帰った僕がスーツの上着をハンガーにかけていると、妻が一枚のプリントを差し出してきた。それは、息子が通う幼稚園で開催される、運動会のお知らせだった。なんでも、親子でバトンを繋ぐ、「親子リレー」なる種目があるらしい。

 普段から家事は分担しているし、子育てにだってできる限り参加している。妻ともちゃんとコミュニケーションを取っている。自分の父親とは違う……と思いたい。

 だが、しかし。

 僕は自分の身体を見下ろす。そこには、ベルトに押さえつけられてもなお存在感を主張する、厚い脂肪があった。


「僕、運動は苦手なんだけど……」


 ささやかな抵抗を試みるも、妻に一蹴されてしまう。


「こういう時こそ父親の出番でしょ。それにあなた、健康診断でも引っ掛かってたじゃない。いい機会だし、ちょっと運動したら?」


 うん、わかっている。ごもっともです。

 そうして僕は、運動会に向けてちょっと身体を鍛えることにした。




 とは言っても、会社勤めの身では、運動を日課にすることはなかなか難しい。そこでひとまず、平日はストレッチや簡単な筋トレを少しずつ初めて、休日に時間を作ってランニングに励むことにした。運動会までは約一ヶ月。息子にあまり格好悪いところは見せられない。多少は体力が付くと信じたい。


 しかし、そこで発覚したのが、息子も僕に似て足が遅いということだった。どことなく浮かない顔をしているから、聞けばそのことで同じクラスの子から馬鹿にされているという。


「だからさ、速く走れるようになって、あいつらを見返したいんだ。パパ、どうしたら速く走れるようになる?」


 僕は、苦手なことを無理して頑張る必要はないんじゃないかと思う。人には得手不得手がある。

 そう言おうとしたが、思い直した。息子は頑張ろうとしている。その努力の芽を摘むことは、親としてやってはいけないだろうと思ったのだ。それでは、自分の父親と同じだ。

 一緒に頑張ろう。そう思った。


 今までろくに運動をしてこなかった人間が、闇雲に走り込みなどしたところで、効果が上がるとは思えない。そこで思いついたのが、科学的アプローチだ。

 息子と交代で、スマホで走るところを撮影し、フォームを点検する。腕の振り方、足の上げ方なんかを研究した。

 僕は身体を動かすのが苦手な代わりに、昔から理屈で攻めるところがあった。苦手なことは、効率よく攻略する。それが僕の戦略だった。

 まだ幼稚園の息子に、プロテインを飲んで筋トレなんかはさせられないし、自分もそんなにきついことはできない。運動会までに多少スタミナが付けば御の字だろうと思っている。


「やったあ! パパ! さっきよりちょっと速いよ!」


 研究の甲斐あってか、回を重ねる毎にタイムは少しマシになった。息子も、僕も。

 相変わらず腹には脂肪が乗っているし、筋肉がついたかは不明だが、研究の成果が出たことは嬉しかった。息子が喜んでくれてよかったと思った。




 そして、運動会当日。

 親子リレーの結果は、ビリではなかったものの、順位は下から数えた方が早かった。まあ、付け焼刃でどうにかなるものじゃないだろうし、こんなものだろう。

 しかし、息子は僕と走れて楽しそうだったし、全力で走って、身体を動かすことが純粋に楽しいと思えたことが、嬉しかった。


(これからもちょっと筋トレくらい、してみようかな)


 そう思った。



  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

筋トレはできなくても 月代零 @ReiTsukishiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説