花筏(はないかだ)

七迦寧巴

第1話 花筏

 今年の桜は例年より少し早いようだ。天気の良い日が多い所為だろう。

 今日も青空に誘われて、近所の公園まで散歩に出掛けた。

 定年退職してから頻繁に足を運ぶようになった公園。この都立公園は整備されていて非常に歩きやすい。

 ジョギングをしている人、桜を写真に撮っている人、ベンチで談笑をしている人など様々だ。広い原っぱでは小さな子供たちが楽しそうに駆け回っている。


 少し歩けば大きな川があり、そこでは釣りをしている人も居る。何が釣れるのかは知らないが、釣り竿を垂らして寝転んでいる姿はのどかで微笑ましい。


 この日は桜の下でお昼を楽しもうと思い、おむすびを2個握ってきた。自分で漬けた梅干し入りだ。それからキュウリを入れた竹輪。


 桜の下ではレジャーシートを広げてお弁当を食べている家族が多かったが、まだ誰も居ない木の下に行き、そのまま腰を下ろした。

 見上げるとそこには桜の淡いピンク色が一面に広がっている。雀たちが飛んできては花をついばみ、その花がはらはらと頭上から降ってくる。


 なかなか風情があるではないかと、しばし眺め、それからエコバッグに入れてきたおむすびを出した。

 頬張っていると、子供が二人近づいてきた。

 熱心に下を見ながら歩いている。手に持っているガラス瓶に入っている桜の花から察するに、枝から落ちてきた花を集めているようだ。


「おにぃちゃん、これは?」

 幼稚園の年少くらいと思われる男の子が花を拾い上げ、小学一年生くらいの男の子に見せた。

「それはちょっと汚れているからダメ」

「むずかしいよぉ」

「ほら、こっちに綺麗なのが落ちてる」

「おにぃちゃんばっかりずるいー」


 おにぃちゃんと呼ばれた子が私のすぐ隣で、今落ちてきたばかりの桜の花を拾い上げる。

 他の桜の木の下はレジャーシートが敷かれている。

 さすがにそこに入っていくのは気が引けるのだろう。私の周りでその兄弟はせっせと桜の花を集め始めた。


 手のひらサイズの丸いガラス瓶に少しずつ桜の花が入っていき、まるで桜色のインクのように見えてきた。

 このインクで何を綴ろうか。誰へ綴ろうか。

 桜の季節に常世へと旅立ったあの人への手紙でもいいかもしれない。


「このくらい集まればいいかな」

「おにぃちゃんの瓶はいっぱいだね」

 その声に我に返る。

 兄弟は互いの瓶を見せ合い、手を繋いで歩き始めた。

「お兄ちゃん、喜んでくれるかな」

「うん。喜んでくれるよ」

 三人兄弟なのかな、そう思いながら二人の背中を見送った。


 おむすびと竹輪を食べ終わり、川沿いをぶらぶらと歩く。桜の木の中からは雀のさえずりが聞こえ、はらはらと桜が舞い落ちる。のどかな昼下がりだ。

 ふと見ると、先ほどの兄弟が川沿いに立っていた。母親らしき女性と一緒だ。

 兄弟はそれぞれ手にしていた瓶から桜の花を取り出すと、川に向かって撒き始めた。


「ばいばーい」

「ばいばーい」


 桜の花は水面に落ちるとゆっくりと流れていった。小さな花筏はないかだができている。

 一番上のお兄ちゃんにあげるものではなかったのか……そう思ったとき、思い出した。二年ほど前に川で溺れて死んでしまった男の子が居たことを。


 この子達の兄弟ではないかもしれない。けれど川を流れていく桜は手向たむけ花のように思えた。兄弟たちは桜が見えなくなるまで手を振っていた。


 小さな手で集められた小さな花筏は、常世へと流れていくのだろう。優しい思いを乗せて。

 心の中で静かに手を合わせた。

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花筏(はないかだ) 七迦寧巴 @yasuha

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