クロリアのワンポイントコサージュ
午前八時 開店準備
慣れとは恐ろしいとつくづく思う。
二年ほど同じ仕事を続けていたら、睡眠時間が四時間も無くても特に問題なく動けるようになってしまった。油断すると欠伸が出そうになる時こそあれ、初めの頃の頭がぼんやりするような感覚は殆ど無い。
水揚げなどの下準備を済ませた花々や葉を螺旋状に組んでいき、高さや位置の微調整をしてから革紐で結ぶ。長さがまばらになっている茎の先を切り揃え、装飾ペーパーで包み込んでからホチキスで留めれば、商品用のミニブーケの完成となる。
本日三個目であるミニブーケの結び目をリボンで装飾したところで、まるでタイミングを見計らったかのように穏やかな声が静寂を破った。
「終わった?」
振り返ると、美しい茜色の瞳が印象的な青年が笑みを浮かべて立っていた。シャツの袖を肘の辺りまで捲った両腕にはバケツとモップ、それから茶色や黒に変色した植物だったものが入っているであろうごみ袋と筒状の黒い容器を抱えている。
わたしはその青年、アルトの問いに軽く頷いて肯定の意を示してから、彼の細い腕に抱え込まれた大量の荷物に目をやった。
「掃除と水の入れ替え、任せてごめん」
「いいよ。俺よりもレイの方がアレンジメントとか上手いし、男としては力仕事くらい率先してやらないとね」
表はもうオープンできる状態にしてあるよ、と付け加えながら、アルトはこの部屋の奥にある掃除道具置き場まで歩いていった。わたしは荷物を半分だけでも受け取ろうと彼に近付いていったが、やんわりと拒否されたのでその様子を黙って見守るしかなくなる。特に不快になったわけではないが、ところどころバランスを崩しそうになっている彼を見ているとやっぱり手伝った方が良かったのでは、と思ってしまう。
そんな私の不安をよそに、アルトは無事に掃除道具を元の場所に片付けて残りの荷物を持ち直すと、棒立ちになっているわたしを見て首を傾げた。
「どうかした?」
不思議そうにしている彼に伝えるのもなんとなく気が引けて、わたしはなんでもないと答えてから先程まで向き合っていた作業台の上の片付けに取り掛かった。
アルトの言う通り、表ーーーー売り場の準備は既に完璧に終わっているようだった。
唯一開けたままになっているショーケースの中に先程作った作品を飾ってしまえば、とりあえず八時半の開店までに終わらせなければならない仕事はもう無い。時計を見ると、いつもと殆ど変わらない、開店時間の十分ほど前を示している。
わたしは狭くも広くもない店内を見渡し、改めてアルトの仕事の丁寧さに感服する反面、こちらの掃除や水換えといった準備の殆ど全てを彼に任せてしまったことに罪悪感を覚えた。アルト本人はああ言っていたが、やはり掃除くらいは手伝った方が良かった気がする。彼に負担をかけ過ぎるのは本意ではない。
「…………まぁ、今更言ったところで仕方がないんだけど」
「何が仕方ないって?」
独り言に返事が返ってくるとは思わず、わたしは間抜けな声を上げそうになった。上げそうになっただけで、実際には声も出なかった。無言のまま振り向き、声の主であるアルトを見つめる。
「え、どうしたの?」
「びっくりした」
「全然そう見えないけど」
アルトは苦笑しながらわたしの横を通り過ぎ、店内と外を繋ぐ扉の方へ歩いて行く。もう開けるのだろうか。再度時計を見ると、いつの間にか長針は八時半より少し前の辺りを指している。
「もう開けちゃっていいよね。二分も三分も変わらないし」
「いいよ。ありがとう」
アルトの問いに短く答える。
無意識のうちにレジに凭れかかっていた身体を起こし、灰色のエプロンの紐を結び直して、わたしは開かれた扉から吹き抜ける柔らかな風に目を細めた。
救済植物販売店〈lullaby〉 影見 ハル @rainy
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