エキスポネンシャル・パワー

姫路 りしゅう

私は負けた

「筋肉があるからって必ず勝てるわけじゃないからねー」

 大塚沙鳥おおつかさとりは、向かいの席に座っているゲームの対戦相手に向かってそう言い放った。

 対戦者は筋骨隆々と言った言葉の似合う男で、腕の太さひとつとっても、沙鳥の倍ほどもあった。

「ちゃんとルールを聞いたか? 要するにこのゲームはだ。腕っぷしの強いほうが有利にキマってるだろうが」


 今宵行われる、大金を賭けたゲームのルールは単純だった。


 

 

 相手の腕を、ねじ伏せた方が勝者となるゲーム。


「それでは、詳細なルールを説明いたしましょう。このゲームに制限時間はありません。どちらかが『まいった』と言った瞬間、ゲームが終了します」

 ゲームマスターがルールの説明を続ける。

 沙鳥と対戦者の間には机があって、そこに肘を乗せて腕相撲を行うのだと説明を受けた。


「腕相撲は10秒を1セット。決着から10秒のインターバルを挟んで次のセットを開始します。10秒以内に勝敗がつかなければそのセットは引き分けとして次セットへ移ります。これを、どちらかが『まいった』と言うまで繰り返します」

「…………」

「…………」


 次に賞金の説明をしましょう! とゲームマスターが手元のボタンを押す。

 すると沙鳥と対戦者の頭の上になにかが降ってきた。

「痛っ」

 それは、金色に光る500円玉だった。

「それが、勝者に贈られる基本賞金になります」


 対戦者は「しょっぺぇ」と呟いた。

 それを見て沙鳥は下を向き、少し考える。


「基本賞金ってどういうことですか?」

「基本賞金に時間ボーナスが掛けられるのです。時間ボーナスとは、1セットあたりの残り時間。1セットが10秒なので例えば5秒で勝てば、5秒分のボーナスが入り、500円✕5秒で2500円が賞金となります」

「ふむ…………」

「ほう?」


 二人の眉毛がぴくりと動いた。

 その瞬間、二人の腰と足首の部分にベルトが巻き付き、動けなくなった。


「以上がルールとなります。一度ゲームがはじまれば、ゲーム終了まで席を立つことはできません。ゲームが終了したら勝った方のみに支払いが行われ、椅子のロックが外れます。特別措置として、どちらかが『まいった』といえない状態になったらそちらを敗北とし、ゲームを終了します」

「…………お手洗いとかは?」

「まいったと言えば席を立てますよ」

「…………キュウ」


 沙鳥は鳴いた。



++++++++


「それではゲームスタート!」


 その瞬間、ドン! と音がして、沙鳥の腕がねじ伏せられた。


 記録、0.3秒。


「くく…………くはっ! 無理だよ女のお前には」


 残り時間は9.7秒なので、賞金は500円✕10秒の5000円となる。


 10秒のインターバルを置いて2セット目。


 全く同じように、ドン! と音がして、沙鳥の腕がねじ伏せられた。

 5000円。


 ドン!

 5000円。

 ドン!

 5000円。

 ドン!

 5000円。


 沙鳥は負け続けた。

 それも当然である。

 こと腕相撲に関しては筋肉がある方が強いのだ。


 ドン! ドン!


 ただ、鈍い音だけが響く。


 数十回、を超えたあたりで、沙鳥の手の甲が青紫色に変色し、血が滲んできていた。

「ほら、ギブアップしろよ。痛いだろう」

「誰が」

「強がるなぁ。まあ、お前が意地を張っている間、俺は稼ぎ放題なわけだからな。助かるよ」



 そして、1時間が経った。


 大塚沙鳥の右手は、目も当てられないほど変色していて、息も絶え絶えとなっていた。



「なあ、そろそろいいだろう。お前が俺に勝つ可能性はゼロだし、俺はギブアップしねぇ。右手に酷い後遺症が残っても知らないぞ」


 しかしそれを言われた沙鳥は、力なく笑って――


「きみのほうこそ、早く、敗北を認めたほうがいいよ」


 と言った。



++++++++


「なんで俺が敗北を認めなきゃいけないんだ」

「それはね、きみが、ルールを、勘違いしているから」

「…………は?」

 沙鳥は少しずつ言葉を吐く。


「このゲームには、罠が、2つ、ある。1つ目は支払方法」

 沙鳥は頭に500円硬貨が降ってきたことを思い出す。

「ね、きみはいま、何回勝った?」

「…………あ? 毎回ほぼゼロ秒で勝っていて、インターバルが10秒だから、1時間で360回。大体それくらいだろ」

「そうだね。360回も手を打ち付けられて、もう手がぼろぼろだよ……。まあ、てことはだよ? きみはいくら稼いだことになる?」


 1ゲームあたり5000円の賞金なので、180万円。

 対戦相手は頭にそう思い浮かべた。

 その瞬間、沙鳥はニヤリと笑って言う。


「このゲームの支払いは、頭上に500円が降ってくることだよね。気付いた? つまり、きみの計算だと、3600500

「なっ!」

「ね、これ、耐えられると思う?」

「…………くっ、だが、耐えてみせるさ」

「そ、じゃあ2つ目の罠を教えてあげる。きみの計算は間違えてるよ」


 対戦相手は沙鳥の言葉を待つ。


「基本賞金は500円。そこに時間ボーナスが掛けられるのが基本ルール。それってさ、2セット目以降はどうなると思う?」

「…………は?」

「2セット目の基本賞金が500円とはひとことも言ってない。これさ、2セット目は前セットの賞金が参照される可能性、ないかなぁ。要するに、1セット目の賞金である5000円に10が掛けられるってことじゃない? このゲームは足し算で賞金が増えていくわけじゃない。10の累乗で賞金が増えていくんだよ」


 10倍、10倍、10倍。


「きみの賞金は、500円の10の360乗。枚数に換算しても……ふふ……もう無量大数ですら表せないね」


 つまりきみは、圧死する。


 沙鳥は静かにそう言い放った。



++++++++


「数字のマジック、やば」

「どうしたの? さっちゃん」

 沙鳥はペンを置いて、ため息をついた。

「オリジナルギャンブルを考えたんだけど、賞金が1阿伽羅10の224乗を越えちゃってさー」

矜羯羅10の112乗より上で最勝10の448乗より下の桁なんて人生で使うタイミングないよ!」

 自分の恋人、久野鈴也ひさのすずやがそう突っ込むのを聞いて、沙鳥はなんで阿伽羅なんて知ってるんだよ、と思った。


 こういう人生で一回も使う機会のない雑学を知ってるところ、好きだなぁと思い、彼女はノートを仕舞って彼の手を握った。


「すずくん、腕相撲しない?」

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