「ごめん、私マッチョしか愛せない女なの」と振られた青年、筋肉村へ行く。

サトウ・レン

愛して筋肉、許して恋心

「ごめん、私マッチョしか愛せない女なの」


 そう言って服をまくり上げ、彼女はシックスパックに割れた腹筋をこれみよがしに見せてきた。こんな失恋なんてあるのかよ。高校時代、地元を離れてひとり暮らしをしながら過ごすキャンパスライフは憧れだったが、結局過ごしてみれば、サークルには馴染めず、勉学では落ちこぼれ、好きな女性には筋肉を理由に振られる。落ち込んだ心を抱えながら歩いていると、大学の中央にある噴水のふち部分あたりに筋肉の塊を見掛けた。いや人間をそう表現するのは大変失礼と分かってはいるのだが、彫像と見まがうようなその上半身裸の男の肉体を遠目に、まず頭に浮かんだのが、その言葉だった。そして目が合い、やべっ、と思ってしまった。遠くから見るぶんにはいいが、関わりたくはない。


 だけど俺の気持ちを無視するように筋肉の塊は、こっちに向かってくる。背も高く、彼の歩いている姿は、地響きでも聞こえてきそうな雰囲気だ。実際にはただの人間だから、聞こえないのだけど。


「ははは、そうか、きみは筋肉が欲しいタイプの人間だな。うん、うん。分かる分かる。その目、間違いない」

 と開口一番、男は言った。本当にやばそうなひとだ。そして鼻息も荒い。


「違います。冬なのに裸だったんで、寒くないのかな、って思いまして」

「愚問だな。筋肉は寒さに抗う、最良の防寒具だ。で、きみの、筋肉が欲しくて欲しくて仕方のない件について、なのだが」

「一言もそんなこと」

「なるほどプライドが高いタイプの筋肉欲しがり、か。筋肉があってもなくてもプライドの高い奴はモテないぞ」


 いまひとの一番言われたくないことを……。


「なんですか」ちょっと腹が立って、俺の言い方にも険が混じる。「あなたは、ボディビル同好会のメンバーとかですか。勧誘なら、お断りです」

「ふん。俺をあんなこれみよがしに筋肉を見せることで、他人からのわーきゃーを得ている奴らと一緒にするな。俺が鍛えるのは神のためだ。神のために鍛えていたら、たまたま周囲のわーきゃーを得ただけだ。どうだ、きみもわーきゃーを得たいだろ」

「仮に鍛えたところで、あなたのようにはなれませんよ」

 こんな小柄で、がりがりに痩せた身体が。


「その辺のボディビル同好会ならな。だけど俺は違う。欲しいだろ、筋肉」

 ごめん、私マッチョしか愛せない女なの。あの言葉がよみがえる。別に彼女を振り向かせたい、とか一度振られた身でそんなことを思っているわけじゃない。だけど筋肉ひとつで人生が変わっていたとしたら、と思うと、悔しい気持ちも萌してくる。


「欲しい、です」

 俺の言葉に、彼がにやりと笑う。


「よし、じゃあ連絡先を教えてくれ。後日、書類を送るから」

 この会話をしたのが一週間前、何度、俺は彼とのやり取りを後悔したことだろう。これが悪夢のはじまりだった。彼と会った三日後、俺の部屋に一通の封書が届き、その中に、一枚の地図とそこに行く日時が記されていて、『もしも来なければきみの家に襲撃しに行く』という一文で言葉は結ばれている。あの彼にはひとを殺しかねない雰囲気があった。その脅迫めいた文章に怖くなり、俺はドタキャンすることができなかった。


 そして隣県のS市にある田舎の共同体に向かったのが、きょうのことだ。

 バスを降りて、その地域に近付く前から騒がしい声が聞こえていた。それが何かは分からず、俺の恐怖を煽るだけだった。色々な想像はしていた。もしかしたら怖いお兄さんたちが待っていて、借金を背負わされて、臓器を売られる、みたいなことを考えたりもした。


 だけど俺を待っていたのは、もっと異様な光景だった。


『新入村者様歓迎』

 大きな横断幕が張られ、その先に二百人近い半裸の男女がいた。男はふんどし姿で、女は水着姿だ。誰もがやはり彼のような筋肉を身に纏っている。なんだこれは祭り会場か。驚きで何も反応できない俺に向かって、ひとりの男が歩いてくる。八十歳は超えていそうな老人だ。

「ようこそ、筋肉村へ」


「き、筋肉村」

「まぁ正式名称は違うし、もう市町村合併があってからは、元の名前も残ってないんだが、な。息子から聞いたよ。入村希望者がいると。私がこの村の長です」

 息子、というのが、キャンパスで会ったあの男らしい。


「に、入村希望、って」

「違うのかい」

「は、はい。ち、ちが」言い掛けて、村長の向こうにいる二百の目に怒りがこもるのを感じた。「いえ、いきなりのことでびっくりしているだけです」

「そうか。あいつは説明足らずだからな。まず準備もさせてやらんとな。おい、泉屋。お前のところで泊めてやれ。その時に簡単に説明も頼む」

「はい」

 と泉屋と呼ばれた中年の男が俺のそばにきた。その様子を見て、二百人近い筋肉の群れが散り散りになっていく。


「いきなりでびっくりしただろ」

 と泉屋さんが笑う。穏やかな雰囲気のひとで、俺はほっとした。あまりほっとしていられる状況でもないのだが。泉屋さんの家に連れて行かれると荷物を下ろし、俺はふんどし姿になるよう言われた。


「最初は嫌だろうけど、すぐに慣れるさ。郷に入れば郷に従え、ってことで許してくれ」


 俺も裸になって思うのは、彼らとの筋肉量の違いだ。貧弱さが改めて際立つ。


 泉屋さんがこの村についての説明をしてくれた。昔からこの村には筋肉の神を崇拝する筋肉信仰があり、村人全体が肉体を鍛えることを義務付けられているのだ。泉屋さんの部屋には、ベンチプレスやスクワットに使うための器具が置いてあって、どの家にも一家に一台の感覚で置かれてあるらしい。でも何より鍛えられるのが、実戦、と泉屋さんは言っていたが、その実戦が何を意味するのかは教えてくれなかった。その時が来れば分かる、と。


「きみもきょうから、ここの村人だ」

「いや住むなんて一言も」


 さっきは全員の目に威圧されて言えなかったが、俺は改めて泉屋さんに不満を漏らした。泉屋さんが苦笑する。


「分かってるさ。でも他の人間には言わないほうがいいぞ。怒らせたら怖いからな。筋肉信仰なんて馬鹿げた言い方をしているが、狂信者の集団だからな」

「泉屋さんこそそんな言い方して大丈夫なんですか」

「もちろんみんなには内緒だぞ」


 泉屋さんが人差し指を自分の口元に当てる。泉屋さんの言葉にすこしだけほっとする。実際はどうか分からないが、味方寄りの人間がいた、と思えて。


 その時、大声が聞こえてきて、外に出ると、ふたりの男が肉体をぶつけあっていた。あれが実戦だよ、と泉屋さんが言った。


「相撲のぶつかり稽古ですか?」

「いや、違うよ。あれは似て非なる、〈筋肉の共鳴〉だ。肉体をぶつけ合うことで互いの筋肉が共鳴しあい、筋肉を増強させているんだ」

「本気で言ってます?」

「もちろん。きみもやれば分かる。特に新しい村人には重点的に、というのが村の掟だから」


 やるのか、と俺は怯えてしまった。こんなのぶつかり稽古で、スパルタ指導で、もっと言えば、ただのいじめじゃないか、と思った。


「ぶつかり稽古なんてやったことないです」

「〈筋肉の共鳴〉だ。その言い方を長の前で言ったら大変なことになるから、言葉には絶対に気を付けろよ。これはきみのためを思ってのことだ」

「は、はぁ」


 とはいえ、〈筋肉の共鳴〉を信じろなんて無理がある。なんだよ、〈筋肉の共鳴〉って。とりあえず嘘でも自分を信じ込ませるために、三回唱えてみる。〈筋肉の共鳴〉〈筋肉の共鳴〉〈筋肉の共鳴〉


「じゃあ連れてくるから」

 と言って三十分後、泉屋さんが連れてきたのは百人だ。ちょっとすくなかったかな、と言って。泡を吹きそうな時の適切な表現が思い浮かばない。あびゃびゃびゃ。やっぱりこれだろうか。


 一人目、五歳くらいの少年だ。ばんっ。ぶつかった瞬間、吹っ飛ばされ、頭を地面に打ちつける。二人目、ティーンエージャーくらいの女の子だ。ばんっ。さらにビンタが二発。いや、そのビンタ必要あったか、と思いながら俺は崩れ落ちる。俺は髪を掴まれ、立たされる。その髪を掴んでいた男が三人目。俺と同い年くらいだ。顔面を殴られた後、腹パンされた。もうぶつかるの関係ないじゃないか。切れた口の端から血が流れ出る。四人目は七十歳のくらいの老人で、股間を蹴り上げられる。そして「ちゃんと股間にも筋肉をつけろ!」と叱られた。無茶なことを。それが九十九人続いて、最後のひとりが泉屋さんで、真正面からぶつかり、俺は吹っ飛ぶ。だけど泉屋さんの時だけは、そんなに痛くなかった。手を抜いてくれたのか、その優しさに俺は泣きそうになった。


 家に帰って、泉屋さんが俺を手当てしてくれた。


「大丈夫か」

「大丈夫に見えますか?」

「そんな口が聞けるなら、まだ大丈夫だな」


 んなわけあるかい。俺の身体はまだ動くだろうか。なんとか動きそうだ。俺はその夜、脱走を試みることにした。ほとんど動ける気もしない身体で、地面を這って。どっちにしてもこのまま村にいれば、俺は死ぬ。どうせ死ぬなら、座して待ってなんてたまるか。きょうより元気な日なんて、永遠に訪れない気がする。逃げる一番のタイミングがあるとしたら、それはきょうだ。芋虫のように這いながら、家の玄関あたりまで来たところで、背中に衝撃が走る。


「逃げちゃだめだぞ」

 と泉屋さんが俺の背中に乗っていた。わずかに殺気を感じる。


「ごめんなさいごみぇんなひゃい、わかってるんですにげちゃだめだって、でもでもこわいんですおれ死ぬかもしれないんですみんなみたいにつよくないんですゆるしてくださいゆるしてくださいだってだってだって」

 とほぼ本気で、ほんのり演技も込めて。早口で言う俺に、泉屋さんが笑った。


「みんな最初はそうだよ。そのうち慣れるさ」

「無理です無理です無理です」

「分かった。じゃあまず一ヶ月、耐えてみてくれ。そしたらきみに良いことを教えてあげるよ」


 そして俺は泉屋さんに引きずられて、ベッドに戻された。


 二日目も、三日目も、同じように俺はボコボコにされ、痛みと死の恐怖で涙が止まらなかった。〈筋肉の共鳴〉を行う相手の数は大体百人前後で、面子はちょっとずつ違うが、ほとんどが同じで、いつも一人目は五歳くらいの男の子の、ケンジくんだ。五歳児のくせに、およそ子どもが持っていると思えないくらいの筋肉量だ。


 四日目で痛みに慣れはじめ、

 五日目で死の恐怖がなくなり、

 六日目で勝つことを考えはじめ、

 七日目ではじめて相手を吹っ飛ばした。

 相手はそのケンジくんだ。それ以外の相手には、またボコボコにされてしまったが。姿見で確認すると、本当に自分とは思えない筋肉を身に纏っていた。


「勝ちました」

 と泉屋さんに報告すると、


「別に〈筋肉の共鳴〉の目的は勝ち負けじゃなくて、おのれの筋肉を鍛えることだぞ。まぁ気持ちは分かるが。どうだ、まだ逃げたい、と思うか?」

「前よりかはその気持ちは薄くなってきていますけど、でも外出できないのは」

「そうだよなぁ」

 とは言っても、実は泉屋さんが時折、外出していることは知っている。何をしているかは知らないが、ちゃんと許可は貰っているらしい。


 筋肉村からの外出は、特別な理由がない限りは禁止されている。その際には村長の許可がいる。大抵はスーパーマーケットの主人が仕入れ行う時など、だ。定期的に商品の入荷などで部外者のトラックが出入りすることがあるが、それは特例中の特例だろう。村から離れて暮らす村人なんて、俺はあの村長の息子しか知らないが、以降彼とは一度も会っていない。村長の息子、ということでやはり特別なのだろうか。


 二週間が経ち、俺は二十人の相手に勝つことができた。

 俺にはどうも才能があったのか、この短期間でここまで成長できる人間はまれなことだそうだ。


 三週間が経った。半数近い相手が、俺に負けるようになった。


「もう村のあたりでは、上位のほうにいるんじゃないかな」

「でも、さすがに泉屋さんには負けますよ」


 泉屋さんの筋肉量、その強さは、村に来たばかりの頃は分からなかったのだが、もし筋肉四天王なるものがあるのなら、その一角を担う存在であるのは間違いないだろう。


 そして一ヶ月が経った。

 村に、新たな入村者が来るらしい。

 だけど俺はそれどころではなかった。


 泉屋さんが消えたのだ。


 そして家に、泉屋さんが手紙を残していた。読むと、前置きもなく本題からはじまっている。


『村を離れることになりましたので、この家は好きに使ってください。何故かというと、一か月前に話す、と言っていた〈良いこと〉にも繋がるのですが、この村には、村から出ることを許される特別な任務があり、それが新たな村人探しです。現住人の何人かは村人になってくれるひとを探して、日本全国に散らばっています。たとえばきみを勧誘した村長の息子もそのひとりです。ある程度、村長から信頼を得た者だけが務められる大切な役割です。もちろん結構大変な役割で、ひとから恨みを買うことも多い。その代わり、役目を成し遂げた時には、相応の見返りがあります。自由の身です。三人の人間をこの村に誘い込むことができれば、この村から完全に離れることができるのです。三人を集めるまでは、きみと接していた時の私のように、行ったり来たりにはなりますが。それで、ですね。私は、私の後任としてきみにバトンを繋ごうと思っています。私は最初に見た時から、きみに親近感を覚えていました。きみはたぶん私と同様、この地の水に馴染んだとしても、外へ出たがる、と。そんな強烈な意志があるように感じました。理由もおそらく私と同じです。せっかくこんなに筋肉も得て、強さも得て、女の子からわーきゃー言われる人間になったのに、なんでこんなせせこましい村にいないといけないんでしょう。もちろんこの村にも女性はいます。そんな数はいなくても、確かにいます。だけど彼女たちは筋肉を見慣れ過ぎて、自分も筋肉をつけ過ぎて、筋肉の魅力に鈍感になっていますから。きゃー、その腕に抱きつかせてー、お姫様だっこしてー、みたいなことを言ってはくれないのです。こっちはだっこでもおんぶでも、片手持ち上げでも、なんでもする準備万端なのに。悲しいと思いませんか。私は女にモテたいモテたいモテたい。モテたくて仕方ないのです。だってそもそも私が誘い込まれた理由だって、女の子にモテますよ、なんて言葉からなんですから。あの村長の息子さんですよ。きっと彼だって、わーきゃーのために、この役割を務めていたに決まっています。村長にはきみを推薦しておきました。もちろんどうするかはきみの自由です。でもきみもその筋肉をこの村だけにとどめておきたくはないでしょ』


 そこで手紙は終わっている。

 手紙を読み終えて、いまここにはいない泉屋さんと、筋肉よりも深い共鳴を果たした俺は真っ先に村長のもとへ向かった。


 そして俺はいま大学近くのショッピングモールをうろうろしていた。


 そんな時偶然、俺はかつて俺を振った女を見つけた。彼女への恋心など、いまさらもう残ってもいない。普通に歩いていれば、もっと魅力的な女から声を掛けられるんだから。だから俺が怒っているのは、そんなことじゃない。


 彼女はその時、デートをしていた。

 細身の腕に、自分の腕を絡ませていた。そう、彼女は筋肉なんて欠片もない、ただイケメンなだけの優男とデートしていたのだ。『ごめん、私マッチョしか愛せない女なの』なんて言ってた、あの女が。


 嘘つきめ。


 ふたりを尾行する。そして彼女と彼が束の間、離れた時を狙って、

 俺は彼に声を掛けた。


「ははは、そうか、きみは筋肉が欲しいタイプの人間だな。うん、うん。分かる分かる。その目、間違いない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ごめん、私マッチョしか愛せない女なの」と振られた青年、筋肉村へ行く。 サトウ・レン @ryose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ