筋肉泥棒【KAC2023 5回目】

ほのなえ

筋肉泥棒

「な……なんだよ、これ……!」


 朝起きて自分の体に違和感を感じ、鏡の前に立った俺……五里幹雄ごりみきおは、唖然とする。

 そこにはヒョロガリ体型の……筋トレを始める前の、昔の俺の姿が映っていたからだ。


 あまりの自分の姿の変貌に、一瞬タイムリープでもしたのかと思ったが、スマホで日付を確認したところ、今現在の日時で間違いなかった。


 そして次にを思いつき、ハッとする。

(そうだ、窓は……!?)

 俺はすぐさま窓を確認する。すると窓には、何やら鍵が壊された……と思われる形跡があった。


 俺は、すっかり厚みのなくなったこぶしを、ギュウと強く握りしめる。

「くそっ、筋肉泥棒にやられた……ッ!」




 筋肉泥棒とは……筋肉を目的とした盗みを働く、やからのことだ。


 一年前くらいに、人の筋肉をまるで泥棒のように盗む犯行を繰り返す、謎の集団が出現した。

 奴らは謎のマシンを使って人の寝ているところに忍び込み、こっそりと筋肉を吸引して奪い取る……「筋肉泥棒」なる犯行を繰り返す。

 盗まれた筋肉がその後どうなるのかは知るよしもないが……闇ルートで売りさばかれ、金はあるが筋トレの努力をしたくないような富豪の元へ行き、その体に移植される……なんて噂を聞く。


 特にジム通いをしていたり、はたから見てマッチョだとわかりやすい体型の人は、奴らに狙われやすいそうだ。

 ……ちょうど、昨日までの俺のように。


 筋肉泥棒の存在についてはニュースや噂などで聞いていたが、そんな嘘みたいな話、完全に信じていなかった俺は、注意を疎かにしていて……常日頃、筋肉を隠そうともせず、むしろ自慢げに見せびらかすような服装をしていた。

 それが原因で目をつけられ、家も突き止められて、筋肉泥棒に狙われる羽目になった……のかもしれない。




「他に盗まれたものはありませんでしたか?」

「はい……」

「それでは、やはり……筋肉が目的ですね」

 俺は警察に被害届を出し、今、警察署で事情聴取を受けている。


 目の前に座っている警察官は、書類を書き終えると、顔を上げて俺に話しかける。

「犯人が見つかり次第ご報告しますが……盗まれた筋肉をあなたの体に返すことは、おそらく難しいでしょう。筋肉には誰のものといった目印などないですから、盗まれた筋肉を追跡するのは不可能なんですよ……」


 確かに、俺のものかもわからない筋肉を返してもらったって困るし、仮に俺の筋肉を見つけられたとしても、一旦誰かの体に入れられた可能性のある筋肉など、気持ち悪くて体に入れたくはない。

 つまり、俺の筋肉はもう元通りには戻らないのだ。


 しかし、だからといってめげる俺ではない。失われた分の筋肉は、再び自分の力で取り戻すまでだ。


「……その点は覚悟してました。また、今日から筋トレします」

 決意を込めてそう言った俺に、警察官はにこりと笑みを見せる。

「その意気です。きっとまた元の体型に戻りますよ。でも今度はせっかくつけた筋肉を盗まれないように、注意してくださいね。私たちも全力で犯人を探しますから、お互い頑張りましょう」



 警察官に後押しされたのもあり、俺は気持ち新たに、筋トレに励んですぐに前の体型に戻してやろう、と燃えていた。

(もう、戻ってこないものは仕方ない。早速今日から筋トレを始めよう)

 そう決心した俺は、部屋に置いてあった、一番のお気に入りの大きなダンベルを手に取る。

 しかし……。


「……くっ…………重っ!!」


 俺は……そのダンベルを持ち上げることができなかった。

(そうか、筋力落ちたから仕方ないな。初心に帰って、昔使ってたダンベルを出してこよう)

 俺はそう考えて、棚の奥を探すことにする。



 それから15分後――――――。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 俺は、筋トレを始めてたった10分も経たないうちに、を上げてしまった。

 やはり、ヒョロガリ体型で筋肉なんてものが根こそぎ奪われてしまった今の体では、何をやるにも超絶ハードモードで……あんなに好きで毎日当たり前のようにやっていた筋トレが、地獄の特訓と化してしまったようだった。

 それだけではなく、精神的にもキツいものがあり……今まで簡単にできていたものが、全くできなくなってしまった苦痛は、俺にとって何よりも耐えがたいものだった。


(ちくしょう、また一からやり直しかよ……。ここまで毎日トレーニング頑張って、稼いだ金は全部筋トレグッズとかプロテイン代に費やして、食事だって毎日制限して……本当は好物の鶏もも肉の唐揚げとか食べたいところを、鶏むね肉のサラダチキンばっか食べてきたってのに……)

 そうして俺は、「筋肉」とは、今までの努力と汗と涙の結晶で、大金なんか及ばないくらい貴重な宝であり……何物にも代えがたいものであるということに、今、ようやく気が付いた。


 大切な筋肉を盗まれたいら立ちが最高潮に達し、俺は周りもはばからずに大声で叫んでしまう。

「くっそおぉぉ、俺の筋肉返せよおぉ~~~っ!」


 ピーンポーン!


 そのタイミングで、玄関のインターホンが鳴る。


(まずい、今の叫び、外にいる人に聞かれたか? ま、どうせ新聞か何かの勧誘とかだろ……?)


 俺は冷や汗かきつつ、そんなことを思いながらインターホンのモニターを見て……絶句する。そこには、先月できたばかりの最愛の彼女……増田瑠美ますだるみさんの姿があった。


「瑠美さん……」

 俺はそう呟くと、ふと瑠美さんに告白した時のことを思い出す。


 瑠美さんは会社の先輩で、入社した頃からずっと憧れの人だった。数年前に筋トレを始めたのも、女性にモテたくて……瑠美さんに振り向いて欲しくて始めたところがあった。


 その甲斐あって、俺はすっかりゴリゴリのマッチョ体型になり……そしてある日の飲み会で、瑠美さんに「すごい筋肉だねぇ」と褒められたばかりでなく、その場で俺の腕を触ってくれた。

 華奢な瑠美さんの手が俺の上腕二頭筋に触れた瞬間、俺は気が動転してしまい、気づけば「好きです!!!」と大声で、会社の皆のいる前で告白してしまった。

 瑠美さんのことを考えると迷惑なことをしてしまったと猛省しているが、瑠美さんはなんとその場でOKしてくれて……おかげで俺は、先月から瑠美さんと付き合うことになったのだった。


 それもこれも、鍛え上げた筋肉のおかげだ。それなのに、今の俺には筋肉というものが皆無だ。瑠美さんにこんな姿の俺を見られたら、見限られるかもしれない……。


(瑠美さんにだけはこんな姿、見られたくない……)

 俺はそう考え、居留守を決め込むことにした。


五里ごりくん?」

 扉の向こうから俺を呼ぶ瑠美さんの声がして、ドキッとする。

「話は聞いてるよ。筋肉盗まれたんだって?」

「な、なんでそれを……」

 俺は震える声で答え、そしてすぐに後悔する。

(やべ、答えちまったら居留守使えねぇじゃねーか……。あっ、でもさっき叫んでたからどっちにしろバレてんのか……)

「あ、やっぱりいた。部長から聞いたの。五里くん、筋肉を盗まれて、警察に被害届出しに行くから会社休むって」

(くそっ、部長め。よりによって瑠美さんにそのこと言わなくてもいいのに……)

「ね、出てきて顔だけでも見せてよ。あたし、五里くんにいいもの持ってきたんだ」

「…………」

 俺は、いいものが何なのか気になったのもあり……おそるおそる扉を開ける。


「あ、昔の五里くんだ」

 瑠美さんが俺の姿を見て、いつもと変わらない様子で微笑む。俺はその表情に救われつつも、怖々と尋ねる。

「瑠美さん、こんな姿、失望したでしょう……?」

「ぜーんぜん。あたし、入社した時の、ガリガリの頃の五里くん見てるんだし。それに……」

 瑠美さんは少しうつむく。俺はその美しい横顔にドキッとしていると、顔を上げた瑠美さんから衝撃の事実が告げられる。


「あたし……実は、細マッチョが好きなんだ!」

「え」

 俺がぽかんとしていると、瑠美さんはそれに構わず話を続ける。

「五里くんのことは、中身が好きだから付き合うことにしたけどさ。本当は、筋肉つけすぎだって……もっと筋肉バカじゃない方がいいなって思ってたよ?」

「……マジっすか……」

「うん。だから……今の体型からやり直すのも、あたしはちょうどいいんじゃない? って思った。応援するからさ。五里くんは、ゴリッゴリのマッチョが理想なのかもしんないけどさ。くんだけに?」

「………………」

 確かに俺の理想とする体型は、ゴリゴリのマッチョ体型だった。でもそんな理想、瑠美さんの理想を聞いたら……大して大事なものではない。

 俺はそう思うほど、瑠美さんのことが大好きだった。


「あ、そうそう」

 瑠美さんは持っていた白いビニール袋の中をゴソゴソとさぐり、そこからタッパーを取り出す。

「はい、手土産に五里くんの大好物の鶏もも肉の唐揚げ、作ってきたから」

「え、もしかして、瑠美さんの手作り……っすか?」

「そ。ちょうど五里くんの好物、あたしの得意料理なんだよね。作りたてだから、食べてみて。こうなっちゃった以上、今までみたいに、筋肉のためにサラダチキンにこだわらなくてもいいでしょ?」

 俺はタッパーを開け、前にいつ食べたか思い出せないほどに久々の、大好物の鶏もも肉の唐揚げ、それも愛する彼女の手作りの唐揚げ……を眺める。黄金こがね色に輝く唐揚げが並び、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。俺は我慢できずに一つを手で掴み取ると、口に入れる。

 カリッカリとした衣の楽しい食感に、毎食食べていたサラダチキンにはない、じゅわっとした肉汁溢れる唐揚げのジューシーな味わいが、俺の五臓六腑に染み渡る。


 そのあまりの美味しさに、俺はぼろぼろと大粒の涙を流す。

「瑠美さん、世界一美味いっす……」

「はは、大げさだよ」

「いや、本当に……」

「……そう? ならよかった」

 瑠美さんは、天使のような微笑みを見せる。

「これからはリクエストしてくれたらいつでも作ってあげるから、一緒に食べようね。あたし、五里くんだけ毎食サラダチキンで一緒に同じもの食べられないの、正直ガッカリしてたんだから」

 俺はそんな瑠美さんの本音を聞いて驚き……彼女の気持ちを察することが出来なかった自分に気が付く。

(筋肉泥棒は許せないけど……彼女の本当の気持ちを知るきっかけになって、良かったのかもしれない……。このまま俺の筋肉中心の生活が変わらなかったら、いつか、気持ちのすれ違いで別れてただろうな……)


 そして、これからは食事制限や筋トレはほどほどに、俺は瑠美さんの理想の「細マッチョ」を目指すことに決めたのだった。




 その後、俺が瑠美さんの応援を力に努力を重ね、瑠美さんの理想の「細マッチョ」体型になった頃……筋肉泥棒を行う集団はこの世から消滅した。


 俺と瑠美さんはそのニュースを見た日、そのことを祝うささやかなパーティーをした。メニューはもちろん、俺の好物であり瑠美さんの得意料理の鶏の唐揚げだ。


 しかし、大規模な集団は解体したものの……今でもどこかで筋肉泥棒をする輩が、ちらほらと生き残っているそうだ。

 だから諸君の中に、筋トレが好きな同士がいれば、くれぐれも気をつけて欲しい。


 以上、「筋肉泥棒」の被害にあった俺からの忠告だ。

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

筋肉泥棒【KAC2023 5回目】 ほのなえ @honokanaeko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ