筋肉 is his friend
月見 夕
それはまるで羽化する蝶のように
俺の弟は昔、ヒョロガリだった。
中学生の頃なんかは同性でもちょっと心配になるくらいの骨と皮っぷりで、身長は百八十近くあって足も長いくせに、風が吹けば真っ先に折れそうだった。
水着になると、
「お前細くね? やーいアンガールズー!」
なんて安直なからかわれ方をしていた。言い返せばいいのに気弱な性格だから、適当に聞き流していたようだった。
転機は高校の体育祭だった。俺も同じ高校に通ったから分かるのだが、なぜか男は全員上半身裸になって謎の演武をやるという伝統行事があった。
弟は衆人の耳目のある中で貧相な身体を晒すのが嫌だったようなのだが、こればかりは仕方がない。嫌々ながら白い肌を日の下に晒していると、同じクラスの運動部の男子が目に入った。
本人から言わせれば衝撃だったらしい。
程よく日焼けした肌の下で隆起する筋肉が、演武の曲に合わせて躍動する。部活動で鍛え抜かれた身体によって動きにキレが生まれ、その姿は影まで美しかったという。
同じ年とは思えぬその姿にすっかり感銘を受けた弟は、その日から変わった。
まず食事が変わった。
食事はいつも適当にパンか米を胃に詰め込むだけだったのが、三食バランスよく摂るようになった。部屋の壁に厚生労働省が出しているような「食事バランスガイド」の表が貼られ、赤・黄・緑の三要素を心がけて食事をしているようだった。
その上で、足りなければ小遣いを持ってコンビニに行き、サラダチキンを毎日のように買い込んでいた。
「低カロリー高タンパクを達成するにはこれが一番だから」
弟は熱を込めてそう語った。
もっと安く上がる方法はないかとスーパーで安い鶏ムネ肉を買い漁り、自分で煮込んで鶏ハムを作るようになった。
一口貰ったが、口の中の水分を持っていかれるだけで決して美味しい代物ではなかった。でも弟は満足そうだった。
次に家中に筋トレグッズが増え始めた。
元々帰宅部だった弟の運動する手段と言うと、もう自宅で鍛えるしかない。彼はお年玉を切り崩して多種多様な筋トレグッズを買い漁り始めた。
手始めは握力鍛えるグリップ。十五キロからスタートして、果ては五十キロにまでエスカレートした。二、三十キロくらいまでは競い合うように握って遊んでいた俺も、そこまで行くと追いつかなかった。
握力グリップと同時に増えたのはダンベル。重量可変式のもので、円盤型のプレートを抜き差しすることで重さが調節できる。しかしすぐに上限の重さまで耐えられるようになった弟は、より重いダンベルを求めてスポーツ用品店に通った。
弟の部屋はダンベルだらけになった。一度漫画を借りようと部屋に足を踏み入れ、床に所狭しと置かれたダンベルに足の小指を打ち付けて泣きそうになった事がある。まあ、そんな部屋だった。
大学生になると、弟はアルバイトを始めた。
自由になる金が増えたからか、高価なトレーニング器具を買うようになった。
ある日家に帰ると、業者が大型の懸垂機を弟の部屋に運び入れているところだった。大昔に流行った、ぶら下がり健康器のちょっとイカついヤツだ。
「……買ったの?」
「うん。ジムへ通うにはまだちょっと恥ずかしくって」
弟はそうはにかんだ。
なるほど、身体を鍛える人達にとってはいわゆる「服を買いに行くための服がない」的な感覚なのかもしれない。「筋肉を鍛えに行くための筋肉がない」みたいな。
弟は毎日毎晩熱心に懸垂をし、同時に摂取していたプロテインのお陰もあってか見る見るうちにシルエットが変わっていった。
何かもう、この頃ぐらいから俺の知る弟の肩幅ではなくなっていたと思う。
その後、俺は遠方に就職し実家を出てしまったのでしばらく弟とは会えていないのだが、たまに来る母からのLINEには弟の近況として写真が送られてくる。
最近はパーソナルジムに通うようになり、より肉体美に磨きがかかっている。メジャー四年目の大谷翔平くらいガッシリ筋肉が付いていた。
その顔は晴れ晴れとして、自信に満ち溢れていた。兄として見ていて清々しい限りだ。
良かったな、弟よ。
きっとお前の
もう行くところまで行ってくれ。
筋肉 is his friend 月見 夕 @tsukimi0518
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