異世界の後
異世界なんて何の意味もなかった。
当たり前の話だ。現実世界でどうしようもない人間が、異世界に飛んで何になるというのだろう?現実なら、言葉が通じる。文化が違っても、機械や身振りで何とでもなる。金を稼ぎたいなら、どんな仕事だってつくことはできる。異性が欲しいなら、自分を磨くか、さもなくば金で買えばいい。…
そんなことすら満足にできない人間が、全く何一つとして物事のわからない世界に行って、一体何ができる?
幼稚園児でもわかるだろう。何もできるわけがない。魔法に目覚める?実は優秀だった?知らないうちに異性が寄ってくる?…子どもの戯言も、程々にしろ、というものだ。
コンビニから車を走らせた。夜の闇は相変わらず味気ない。アレが夢なのかはどうでもよかった。煙草とライターは、買った。行方など知ったことか。
そんなこと、どうでもいい。
行く宛がない。だが、帰る家はある。贅沢だろう。そうだ、贅沢だ。私は贅沢で、無気力で、傲慢でさえある。
思いつきで、最寄の峠に向かう。気分転換にはちょうど良いアテだった。
シフトダウンして、坂道を愛車で駆け上る。徐々に大きくなるエンジンの声が、視界が狭まっていくと錯覚させる高速で流れる周囲の景色が、脳を直接的に刺激する。確かノルアドレナリンと言ったっけ。そんなことを考えながら、コーナーを曲がる。重力に体が横に振られる。膝が、肩が、車内のそこここに押しつけられる。それを、感じる。
ああ、生きている。俺は生きているぞと、脳が叫んでいる。
アクセルをさらに踏みつけた。エンジンが唸る。思考は研ぎ澄まされ、あらゆる動作は全て速度を上げていく。まるで処刑台から目が離せない死刑囚のように、それは命を守るために半強制的に。
ブレーキ、シフトダウン、コーナリング。
アクセルオン。シフトアップ。
ブレーキ。シフトダウン。コーナリング。
日常の操作を、まるで倍速にでもなったかのように無意識のまま体が押し進めていく。鼓膜にはタイヤの、路面から剥がれる寸前の鳴き声が響いている。これ以上はいけない、と俺を止めるかのように。
長い峠ではない。あっという間に山頂付近の、トンネルの前、特に何もない道路脇のスペースにたどり着いた。車を停めて、ドアを開ける。
夜の空気がひやりと頬を撫でた。ポケットから煙草を取り出し、火をつける。無性に苛立っていた。愛車のボンネットとタイヤは熱を発している。だが、支障のある範囲ではない。その冷静さに、大人を感じて嫌気がさす。
「馬鹿らしい」
副流煙と共に夜空へと吐き出した。
「なんて、馬鹿らしい」
荒っぽく吸い込む煙草は、不味い。缶コーヒーでその後味を流し込む。
「いっそ帰りはもっと攻め込むか」
する気もない事を、口にして笑う。もう、若くはなかった。限界を知っている。そして、その一歩手前で自らを遊ばせる術を、知っている。それは無邪気さを失った、どこか厭らしい快楽だった。
「知ってる。無理だ。俺は今から、また程々に車を飛ばして、家に帰って寝るだろう」
空虚な独り言は慰めになるだろうか?
「このまま事故でも起こして死んだら、楽しい異世界にでも行けるのかね」
馬鹿らしい薄汚れた欲求は、希望だろうか?
「…クソほど、どうでもいい」
結局のところ、吐き捨てた言葉と煙草の煙に紛れたタイヤの焼けた匂いだけが、事実だった。…
ヘビースモーカー異世界へ行く 鹽夜亮 @yuu1201
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